第137話 あるじと世帯主の、決定的な相違へのアプローチ

 大宮氏は、かつての老園長の言葉に何かを感じた。

 自分を標的にされたわけではないのだが、確実に標的にされている者がいる。

 その人物を、息子夫婦を通して、よく知っているだけに。

 彼に、どう伝えたものだろうか・・・?

 少しひるんだものの、気持ちの上での体勢を立て直し、老紳士に話を返していく。


 このこと、あの米河君にそのまま伝えていいものかどうか、正直、ぼくもためらいがある・・・。そのくらいでビビる「タマ」じゃないとは思うが、彼とて、そうそう精神的に無傷で屁ともなく聞き流せるとは、到底、思えないね。

 それはまあいいとして、おじさんと大槻君の差なんだが、これまで話してきたことを総括してみれば、こんなことが言えやしないかと、思うのね。


森川一郎 = 一家のあるじ

大槻和男 = 世帯の世帯主


 こんな感じだね。

 ポイントとなる言葉はもう、ここしかない。


「あるじ」と「世帯主」


 この2つの言葉こそが、森川一郎氏と大槻和男氏の、同じよつ葉園という養護施設長としての違いのすべてが現れたものであると、ぼくは、気付かされた。

 その違い、少し、考えてみたい。

 ただ、今すぐ答えろと言われても、それこそ、東先生がいつだったか、おじさんに返答されたでしょ、「とっさのことで賛成とも反対とも・・・」って回答。

 まさに、ぼくが今、その立ち位置に否応なく立たされてしまった。

 それこそ、ドリフターズの志村けんのギャグじゃないけど、


怒っちゃ、や~よ!


 とでも、こちとら、言いたいよ。


・・・ ・・・ ・・・・・・・

 

 そうか・・・。

 例えばこのギャグへの対応ひとつとっても、違いは、あるだろう。


「あるじ」なら、ふざけるなと、げんこつのひとつもお見舞い。

「世帯主」なら、余程のことがない限り、適当にあしらって終り。


 こんな感じで、その差を表現してみた。

 申し訳ない。今度もだけど、ぼくのほうが、時間を欲しい。

 あと1日あれば、何か気付きもあるかも、しれない。

 おじさん、どうでしょうか?

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