第135話 現代っ子の父親として

 元園長の老紳士の弁に対し、今やほぼ同年代となった大宮氏が、答えていく。


 そうか。

 おじさんと大槻君が、ともに、同じ土俵で歴史の評価を受けるってことやね。

 それは、ぼくも間違いないと思う。

 さて、おじさんについてはともかく、大槻君について、ぼくなりに思ったことを申し上げる。大槻君のよつ葉園での仕事上のキャラクターというか、まあ、そこは無難な言葉で「役どころ」と言えばいいかな。それは、一言でこう表せるよ。


「現代っ子の、父親」


 厳密には、よつ葉園という養護施設に過ごした子どもたちの父親役というのがベースにあるけど、その中でも、ある程度、こことここが最も象徴的な職員と児童という人物を何人か挙げて、そうだな、やっぱり、あの米河清治君を出すのが一番象徴的な児童ということになるかな、そことの「対立軸」を、彼の50年間のよつ葉園職員としての人生の中の一番象徴的な出会いということで見れば、大槻和男というよつ葉園職員の特質が、はっきりと浮かび上がるわけだ。

 まさに、米河君は大槻君とは親子くらいの年齢差がある。そして、大槻君からしてみれば上の息子さんより1歳だけ年長の米河君は、まさに、その前後年齢の子どもたちはもとより、初期の児童指導員時代も、退任時の入所児童たちまでも、すべてを含めての、養護施設における職員と児童の関係の一種の「象徴」とみなせる。


 さて、米河君はと言えば、1969年、昭和で44年生れ。

 彼の両親は、昭和で言えば22年と23年の生れ。

 ほら、いつか流行った(はやった)でしょ、「戦争を知らない子どもたち」なんて歌が。そんな人たちの、子どもってわけよ。

 彼がかねて言っているのは、「戦争を知らない子どもたちの子ども」。

 まさに、昭和50年代前半の小学生で、如何にも、典型的な現代っ子。

 昔ながらの牧歌的な時代の子ども像を、彼は、徹底的に払しょくするかのような幼少期を送った。自らの思うところがどこにあったのかはわからないけど、とにもかくにも、ぼくが見聞きした限りにおいても、なかなかな少年だったみたいやね。


 そりゃあ、東先生や山上さんなんかにしてみれば、扱いづらい少年だったと思う。

 だが、あの少年は、当時のよつ葉園の職員が与えようとしたものすべてを否定したわけではないけれども、根本的なところを見る限り、そんなものは彼にとって何の役にも立っていないかのような節が、少なくともぼくには、見受けられるね。

 最も決定的なのは、何と言っても、小学生のうちに大学のサークルにスカウトされるなんて経験。あれこそが、彼の生きるべきところを示していたわけよ。

 別にぼくは彼がいた当時の職員の皆さんを非難するつもりはないが、それほどの子を導けるような職員は、残念ながら、すでにいなかった。


 ただし、大槻君だけは、別だった。

 彼は、そんな子であっても、きちんと導けるだけの力を持っていた。

 米河君の叔父さんがよつ葉園から引取りに来た時の話もお聞きしたが、あれはぼくが聞いても、なかなかなものだったね。大槻君は、自分のいる組織の限界をよく知っていて、それに応じた行動が出来たと、ぼくは思っている。

 普通なら、取込んで何とかできないかというところを模索するのだろうけど、大槻君は、そんなレベルの手法には、甘んじなかった。

 そこは確かに、立派だったね。


 だからこそ、大槻和男君は、「現代っ子の父親」足りえたのよ。

 そしてそれは、いや、それこそが、だね、彼のよつ葉園職員として否応なく求められた、最大のテーマだったンだよ。

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