第134話 歴史的評価を受ける対象者として
「大槻君は、ぼくの前では若い頃とそう変わるところはないようだけど、仕事ということになれば、そりゃあ、変わらざるを得ないよね。山上先生がされていたことがすべていいとは、ぼくも言わない。あの米河君あたりを指導なんて、そりゃあ、厳しいだろうね。中学生や高校生にもなった、今どきの現代っ子だよ、当時の彼は。しかも上昇志向はすさまじいし、自分自身の成長と向上のためなら、何でも、どんなことでもする青年だからね、合法の範囲内とはいえ。そんな彼に、失礼だけど、前世紀の遺物のような保母さんが、牧歌的な手法と言動で太刀打ちなんて、無理よ」
大宮氏の弁に、老園長は頷く。そして、同年代となった元少年の前で、改めて私見の続きを述べ始めた。
前世紀の遺物、なぁ・・・。
哲郎も、人の悪いこと言ってくれるのぅ(苦笑)。
じゃが、その趣旨、わしは、よぅわかる。
そういう現代っ子の父親世代の大槻君じゃからこそ、あのくらいの少年でもうまく導けるし、現にそれなりに、よつ葉園という接点をうまく活用して、導けるだけのことをしてきたと、わしは思っておる。
米河君は確かに、ある意味社会性においても飛び抜けたものをお持ちのようであるし、それは彼自らの力で獲得してきたものじゃ。よつ葉園の職員のお仕着せの指導内容など、微塵もとは言わんが、基本的にそんなものが役に立ったと思われる要素は見られん。そりゃあ、自分で身に着けた力ほど、強いものはない。そこは何じゃ、今どきの日曜のテレビ番組でもないが、米河君には、あっぱれ! と言えようのう。
さて、大槻君に戻るが、彼は確かに、飛び抜けた米河君のような人間ばかりを育てていくわけにいかん。いろいろな子が、どうしても、こういう施設には来る。
よつ葉園も、その例外ではない。
そんな中で、彼自身は、よつ葉園という施設に集ってきた人らあの、児童だけでなく、職員も含めて、すべての社会性を底上げしていく役目を追っておったわけな。
それは、わしも実は同じ立場であったけれども、正直、そこまで、わしのときには、意識が回っておらなんだ。
そういうことに意識をもって取組んできた大槻君は、さすがである。
大槻君にも、あっぱれ! じゃ。
わしが生きておった頃の基準で大槻君を論評することはまかりならんし、まあ、逆もまた真なりで、大槻君の時代の基準でわしを論評されても、かなわんところではあるが(苦笑)、そうなると、わしなんか、国鉄総裁をされた十河信二さんのような古機関車の、それもさらなる劣化版とでも、言われようけどのう・・・。
まあ、それはええ。
いずれにせよ、大槻君はこの時代にあったよつ葉園にするべく、この半世紀の間、職責はともあれ、粉骨砕身、自らの職務を全うした。
彼のこれまでの「仕事」は、これから、後世の者、それこそ米河君のような、大槻和男の息子世代の人ら以降の、若い人たちによって、歴史的評価を受ける。
その相対的な評価対象として、実はわしも、大槻君と同格で、評価の俎上に上げられるわけじゃ。
どんな評価をされても、わし・森川一郎は、甘んじて受けるしか、ないわな。
もっともそれは、大槻君も同じじゃ。
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