第133話 「偉く」なっていく青年職員

 老紳士は、さっそく話題の核心へと入っていく。


 さて、哲郎君。いや、まあその何じゃ、わしと同年代になった貴殿には失礼な言い方であることは重々承知ではありますが、まあ、生前からの年齢差もあることですので、そこは、ご容赦願います。

 というわけで、さっそくじゃ、哲郎(両者苦笑)。

 大槻君は、ここまで50年にわたって、よつ葉園という職場に勤めて、仕事をしてきたことになる。最初の14年は児童指導員であったが、残りの36年間にもわたって、あのクンは、園長の責務をこなしてきた。

 わしが確か、古京さんが亡くなられて園長職を引受けて、約20年勤めたが、それよりも倍近く、彼は、園長を務めた。それも、37歳の若いうちから、な。

 若い頃は、何だかんだで、元気なものじゃった。子どもらともよう遊んで、仕事は仕事でバリバリやって、それはそれは、わしが見ておっても、大したものじゃった。

 わし、実は見ておってな、彼の就任の際の、子どもらへの挨拶を。

 昭和57(1982)年の3月じゃったな、確か。

 あのとき、司会役の山上先生が、みんな(児童たる子どもたち)の親くらいで、一緒に元気に遊んでくれる園長先生、とまあ、こんなことを述べられた。

 山上さんも、そんな感じで大槻君のことを、その頃はまだ、見ていたようじゃ。

 とはいえ、園長ともなった以上、そんなわけにもいかなくなってきたわな。


 東さんの頃は、園長室を無理に使わず、事務室で他の職員と一緒に事務を執っていたのが、丘の上に移転後は、園長室を設けて、そちらで仕事していくようにしたのはどうやら、大槻次期園長センセイの御意向だったようじゃ。

 東さんも山上さんも、何もそんなことをと述べたみたいじゃが、大槻大センセイは一切、聞く耳をお持ちにならなんだ。そのことで、津島町にいた頃の事務所で、東さんと大槻君が、怒鳴り合いをしたことも、あった。

 あんたの息子さん、太郎君とたまきさん夫妻の後輩の米河君、彼の叔父さんが東さんを怒鳴りつけたことがあったそうじゃが、あれとええ勝負、大槻君は仕事であの地で、やっておったぞ。

 まあ、元気がよかったのう、あの青年は。

 東さんにされてみれば、正直、たまらんかったろうけど、なぁ・・・(苦笑)。


 それにしても、大槻君は、若い頃から、元気もええが、同時に、プライドもやたら高い男じゃったな。わしや哲郎の前ではそんなこともなかったが、東さんが園長に就任されて以降、と言って、その実わしがお願いしたのではあるが(苦笑)、それも、哲郎の言う誤差の範囲ということで、な(苦笑)、ともあれそれから、あのクンの本来持っておったプライドが、徐々に、頭をもたげてくるようになっていた。

 それでも園長になっていないうちはよかったが、園長になって日が経つにつれ、それはもはやだれも止められないところまで「肥大化」したというか、よく言えば、確立していったわけじゃよ。

 まあ、わしはそうなることくらい、予想は立っておったけど、山上さんあたりは、彼が園長になって最初の数年間、だんだん、大槻君が自分たちのところから離れていくような、そんな印象を持ったようじゃ。ほれ、「だれさんも偉く(えらく)なったものじゃな」、みたいに言いたくなる例が、あろうがなぁ。あのパターンよ。

 「大槻センセイも、えろーなられたもんじゃのぉ~」

 岡山弁なら、ズバリもずばり、こうじゃろうがなぁ(両者爆笑)。


 まあ、山上さん側から見れば、そう見えるのも無理もないことじゃろうけどな。

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