第122話 ワンマンにはなれぬ職場から
米河氏は、さらに話を続ける。
東さんは、小学校の教員だったわけだ。
まして、戦後の民主主義が根付き始めてこの方、その職場には、左ともいうべき組合系の先生も、逆に、右側がっちりの先生もいたはずや。
そんな中、どうバランスをとりながら「学校経営」をしていくか。
校長のイニシアティブでワンマンよろしく、これと言ったらこれで進められるような環境じゃなかったろうな。
ところが、養護施設という職場は、ワンマンに進めないといけない仕事がたくさんあるわけや。自分の個性を出して、どんどんと先駆的なことだってして行ける場所。そこに、教育現場からやってきた校長先生上がりの東さんが、自分のカラーをどんと出せるような仕事をして、それで力を出し切れたかというと、わしは、それ、どう見たって無理だったろうなと思う。
それゆえ、ってことになるが、養護施設に「再就職」させてもらって児童指導員をかねた事務長を経て、園長職を頼まれたとき、前任者の森川さん程のことができたかとなると、そりゃあ、無理だわな。つなぎでいいからと言われても、前任者に比べれば、周囲から見れば明らかに、見劣りと言っては失礼かもしれんが、と言ったら、わしの怒りが向いたような感じになるけど、まあ、叔父がわしを引取るとき、東さんに向かってボコボコに「論破」したくらいやから、その米河家の血がそう言わせているのだろうなというのは、我ながらいやというほどわかるのが辛いところだが、まあその、何だ、くどくなったけど、そりゃあ、前任者と、それに続いて後任者もまた、わしとよく似た意気のある大槻さんだぜ、その間をよくもまあ、勤められたと思うぜ、10年も、園長職を、な。
森川さんにしてみれば、とにもかくにも、管理部門で東さんにつないでいただいている間に、大槻さんに力をつけてもらおうというところだったのは間違いないだろうけど、児童指導員の仕事と言っても、学校の教師とは違う。それもあんた、生活が仕事の養護施設やからね、学校の手法が適用できるわけもないところ、多々あったろうになと、思えてならん。まあ、前例にしたがってぼちぼちやって、あとは職員会議でガス抜きでもやって玉虫色にぼちぼち決定して、それで、まあ、やっていきましょうみたいな感じで、学校では通用していたかもしれんが、生活の場である養護施設でその感覚が通用するわけもないわな。
もちろん、森川さんが理事長で在任中は、そちらからもいろいろ言われたろうから子どもらにはまだ、良かったこともあったかもしれん。
しかも、東さんのすぐ目の下には大槻さんが控えているわけだ。
森川さんと大槻さんの間にいる東さんは、言うなら、学校長時代と同じく、教育行政と教諭各位の間の板挟みが、森川さんと大槻さんという、世にも個性の強い世代の違うその世界の「プロ」に囲まれて、それこそ、中間管理職の悲哀のようなものを、老いてなお受けていたということになるわな。
わし個人としては、東さんには別に今さら恨みなんかないが、叔父に聞かされた話なんかを思い出せば、やっぱり、わしにとっては「敵」だったと、言えような。
ベテラン保母の山上先生もそうだが、東先生もまた、わしにとっては、叩き潰してでも前に進まねばならん、「敵」として立ちはだかった人やったわけや。
その点については、大槻さんもそうやった。
わしと大槻さんの共通の「敵」やったのよ、あのお二人は、ね。
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