第121話 確かに、あったな。
ラウンジのテーブルに陣取った彼らは、早速、アイスコーヒーを注文した。
最初に話を切り出したのは、米河氏のほうだった。
確かに、あったな。
あの冊子ができたのが、1978年。昭和53年。
その年の1月に亡くなられているからな、森川一郎さんは。
それで、それから数カ月かけて編集され、年末頃にはこうして出版物として印刷されて、世に出回ったというか、関係各位に配布されたという次第よ。
まあ、一種の香典返しのような形になったってわけや。
あ、そんな感じで本を作った奴も、おったな。誰やねん(苦笑)。
~ 君以外の誰でもなかろう。アホなこと言うな、と、賀来氏より。
わっはっは。わしやねん。ごめんごめん。
それはともあれ(苦笑)、東先生の文章を拝読しておって、まあ、確かにこういう場所だから、こういう内容で書いておかないといけなかろうな、というのは、わかるわな、ってところや。
ただ、1点、ここはさすがに、時代を切り開いてきた福祉人と、一公務員として生きてきた元教師の違いが際立ったところが見つかった。
賀来ちゃん、どの部分か、わかる?
~ あの「教育勅語」の話だろ、と、賀来氏より。
そうそう。
教育勅語を、教育の目標とせないかん、教育勅語普及国民運動を興そうではないかと、そんなことを突如森川さんが言い出されて、東さんが泡食ったのか、
「とっさのことでここで賛成とも反対とも申し上げられない」
と、その旨述べたら、森川大先生、えらくご不満というより、ご立腹のようであったと、そんな記述があったでしょ。
~ あったあった。あれな。さすがのオレも、びびったよ、と、賀来氏。
これはやね、単に、森川さんが右寄りの思想の持主で、東さんがそうでもないというか、戦後の民主主義教育にどっぷりつかった人でとか、そういう問題なんかでは、もはやないところであると、わしは強く思った次第である。
~ 君にしては、やたら主観を交えた言い回しだな、と、賀来氏。
いつかわしが、山崎さんと大槻さんのやり取りで、人間性か社会性かというやりとりをされた話を書いたことがあるでしょ、あれほどはっきりとは見えないようで、ここは実に、それに匹敵するほどの、ビンゴやで。これはこれで、ウルトラジャイアントキングコング級のビンゴやと、わしは思った。
なぜか?
森川さんは、戦前の県職員の時代から、児童福祉の世界に携わり、徹底的に福祉の業界をリードしてこられた。そしてよつ葉園という孤児院の実質的創業者として、子どもたちを、これから生きていく人たちの将来を見据え、時代を切り開いていけるよう、仕込んでいかれた。
それに対して東氏は、あくまでも一教師、私立のユニークな取組をする学校ではなく、ごく普通の、岡山という街中の、公立小学校の、昔なら尋常小学校か、ひょっと高等小学校ってところだろうけど、その教師として、子どもらを毎年毎年、教え続けて来られた。最後は校長になったが、まあ、それはそれとして、で、いい。
こうも対照的なお二人であるが、その人生が、このひとつのやり取りの中に凝縮されていると言ってもいいのではないかと、わしは、思う。強く、思ったぞ。
これは、あの当時のよつ葉園における状況のすべてを、物語っていると言ってもいいほどのものやねんな。
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