第76話 家族の発展的解消
森川氏は、生前大宮氏と話していた頃にはなかったほど、深々と、頭を下げた。
大宮氏にとって、森川のおじさんが深々と頭を下げる姿を見たことは、これまで一度もなかっただけに、青天の霹靂という言葉さえ頭によぎったほどであった。
それでも何とか、大宮氏は、言葉をつないだ。
おじさん、どうか、頭をあげてください。
ぼくは、天皇陛下じゃありませんし、皇族でもなければ、ノーベル賞を獲得した大学者でもありませんから・・・。
頭をあげた森川氏、苦笑しつつも、顔にはいくらか輝く液体が見受けられる。
頃合いを見計らって、大宮氏が口を開く。
御礼をしろとか、そんな厚かましいことを要求できる立場じゃないよ、ぼくは。
大槻君の件ですけど、もちろん、私か彼のどちらかが先になくなってそちらに参るまでは、少なくともぼくは、しっかりと、見守らせていただきます。
どうか、ご安心ください。
その言葉を聞いた老紳士は、穏やかに、頷いた。
森川氏に対し、大宮氏は、さらに、話をつないでいく。
彼にどうしろとは、もはや、いい年齢の大人なのだから、そんなことは言えない。
だけど、ぼくなりに見守っていくことは、可能だ。
何はともあれ、大槻君は大槻君なりに、彼の思うところをしっかりととらえて生きてきたわけだし、それは、これからも決して、ブレることはない。
あの米河君あたりもそうですけど、大槻君も、奥さんもとい大槻前夫人も、どちらも、ゲマインシャフトではなくゲゼルシャフトでこそ力を発揮できる人だ。
要はね、家族とか血縁とか、そういう共同体の中ではその力を持て余すほどの力を持ち合わせているのよ。
そんな人たちが、利益共同体ともいうべき、赤の他人であるはずの者同士が集ってできる共同体の中に入って、そこでそれぞれが、それぞれの力を発揮して社会全体を維持・発展させていく。そんな彼らに、ゲマインシャフトの論理など通用しないのは当然よ。ましてや、取込んでその力を・・・、なんて考えを起こそうものならどうなるか。その共同体は、いつか必ず、致命的な損害を負うだろうね。
大槻家という核家族は、決して壊れたわけじゃない。
大槻家は、発展的解消を果たしたってことだよ。
やっぱり、ぼくは、この結論だけは譲れない。
かの米河君に至っては、すごいよ。
なんせ、婿養子の話を持込んだ母親に対して、そんな話を聞くぐらいならA級戦犯として巣鴨プリズンで絞首刑になった方がましだとか何とか言って、持ち込まれかけた縁談を木っ端みじんに叩き壊したそうな。
確かに彼の破壊力はすさまじかったようだけど、長い目で見たら、無駄な係累を作らず、不幸になる人間を最大限減らすための、彼なりの方策だったのではないか。
結婚して子どもが生まれれば何でも解決するなら、児童虐待もなければ養護施設なんかとんでもない、そんな幸せな社会にとうの昔になっているはずだよ。
でも、そうはなっていないわけだからね。
さすれば、大槻君のご家族もそうだが、米河君のような生き方も、ある面必要とされる生き方であり、思想なのかもしれない。
さすがのぼくも、それにはいささかならず、ついていけないけどね。
ぼくに同じことをやれと言われても、こればっかりは、勘弁だよ。
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