第75話 老園長のボヤキ
老紳士は、大宮氏の弁に、生前の口癖を思わず披露せざるを得なかった。
「そうか、哲郎はやっぱり、賢いのう・・・」
この言葉、大宮氏が少年の頃から、ことあるごとに言われていた。
少し間をおいて、森川元よつ葉園長は自説を述べ始めた。
わしは、哲郎あたりにはまだしも、大槻君や、さらにその息子の世代の米河清治君あたりには、おそらく、前世代の遺物以外の何物でもないじゃろうな。
大槻君夫妻には、子どもらが巣立って後も、どうか、仲睦まじく暮らしてほしかったが、のう・・・。
哲郎にもいつか話したことがあったと思うが、中学を出てよつ葉園に遊びに来た卒園生の子らに、わしは、今の仕事辞めてどうやって飯を食っていくんなら、もう少し頑張ってみられえ、とか、とにかく、「辛抱」という言葉をかけておった。
山上先生なんかは、わしのそんな姿を見て、50周年の記念冊子に懐かしさを込めて書いておったようじゃな。
じゃが、大槻君や、ましてや彼の息子さんとほぼ同世代の米河君あたりには、そんな言葉、何の意味も価値もないようじゃ。くだらん郷愁論とまで言われたあかつきには、わしも何かな、全否定されたような気がして、ならんのよ。
もちろん、わしにも至らんところは多々あった。
あの時代だから仕方ないとか、そんな言い訳をするつもりはない。
しかし、わしがあの頃、必死でもがいて少しでも子どもらのためにと思ってやってきたことは、米河君はともかく、大槻君にはせめて、わかって欲しいと思っておる。
大槻君と米河君とが、以前よつ葉園で飲んでいた時にな、わしも実はそのとき様子伺いに行っておったのよ。
そのときに大槻君は、わしのことは懐かしそうに語っておったのだが、まあ、それはええわ。わし個人としては、悪い気は、せん。じゃが、わしが園長をやめて、東先生に園長職を譲って後のことは、なぜかほとんど、話していなかったようじゃ。
米河君も、そこは特につつかなかったのだがな、あの二人にとっては、立場の違いこそあれ、東先生や山上さんのような人らは、前世代の遺物にして、叩きのめすべき共通の敵のようなものではなかったかと、わしは、思っておるのよ。
大槻君じゃが、よつ葉園にわしが引き止めなかった方がよかったのかと思ったことも何度かあったが、しかし、息子二人はきちんと育てて、巣立たせた。
今西さんもまあ、そこまでやって、あとは御自身のされたいことをされておいでなら、わし如き前世紀のロートルが出張って、あの二人に偉そうにこうせい、ああせいと、まして、夫婦の縁を維持するために辛抱せんかいとか、そんな戯言(タワゴト)を述べる資格など、あるわけもないわな。そこでせめて、哲郎に大槻君を叱り飛ばしてやってくれと、言いたくもなったが、それもそれで、野暮じゃのう。
とはいえ、そんなことを言って聞くぐらいであったら、実は、あの御仁はおそらくよつ葉園の園長など、務まりはせんかったろう。
あのくらいでないと、実は、ああいう施設のトップは務まらん。哲郎の会社の代表取締役なんかより、ある意味、孤独で厳しい立ち位置なんじゃよ。
最後は金で済ませるとか、そんなことまかりならん世界よ。
すまんが哲郎、大槻君については、引続き、見守ってやって欲しい。
あの世からでは御礼も出来んで済まないが、どうか、お願いしたい。
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