第47話 結局、笑いものが笑いものになっただけ?

 かくしてこの日の昼過ぎ、私は紅茶の店「チャイヤ」に行って、大宮太郎・たまき夫妻とお会いしました。

 この店は、よつ葉園がまだ津島町にあった頃にできた店です。

 久しぶりにやってきまして、紅茶を飲むことと相成りました。紅茶を飲みながら、お二人が4月8日の明け方見たという夢の話、一通りお聞きしました。

 そういうこととわかっていれば、話を効率的に(?)進めるためにもということで、以前出していた夢のエッセイも持参しておりました。


 お二人の夢のお話、興味深くお聞きいたしました。

 なんかね、私に関する話ですので、いやあ、正直何とも言えませんでした。

 私は、その姪の近況についても、いくらかお話しておきました。


 その姪というのは、このエッセイにもある通りでして、生まれて間もない頃にあることで障害を追ってしまい、自力歩行も言葉でのやり取りもできないのですが、その分、幼いころから、大人の言うことを私ら大人が考える以上に思う以上に、理解している節が見られていました。

 ただ現在は、自宅でというわけにも参りませんで、A荘で過ごしておりまして、まあこのご時世下ですから、私は言うまでもなく、母親である妹や祖母である母でさえも、満足に面会さえできませんからね。

 実は、昨年6月の誕生日で満20歳になっておりまして、それで、成人ってことに相成りまして、と申しましても、民法改正で18歳成人が実現してしまいましたけども、それはまあ、それとしまして、いずれにせよ、20歳を迎えたわけです。

 それでね、振り袖を着せてやりたいと、私の母、姪からすれば祖母でありますが、孫娘に、娘二人の成人のときの着物の写真を見せて、どっちがいいかって尋ねていて、どうやら、どっちもよさそうだって意思表示をしていたみたいですな。

 本音として、どっちがいいと言葉で表せないのは、悲しいですが現実。

 でも、あの子は大人の言うこと、特に悪口なんか、つついてやめさせるそうですからね。それでも、例外はおりまして、その人物の悪口を母が、というかお婆さんが私のことを言うのだけは、怒ってつついたりせず、ケラケラと笑いながら楽しんでいるみたいです。外ならぬ、わしですねん、ワタクシ・・・(苦笑)。

 もっとも、私がいつだったか、母のことを例の言葉で評したときは、ケッサクでしたね。姪が私の前で、しかも私の言葉を聞いて大笑いしたのは、あとにも先にも、あの時だけです。

 まさか、「岩崎渡辺コレクションに出てくる、明治時代の寒漁村民」なんて言葉で自分の祖母が息子である伯父から評されているのを聞いて、悪口だと言って怒るどころか、ケラケラと笑い出されたあかつきには、こちらの方がびっくりでしたよ。

 ま、笑いものが笑い「者」になっただけってことかもしれませんけどね・・・。


 大宮夫妻は私の話を、笑うとも呆れるともつかぬ顔で聞かれていました。

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