第10話 私も、「同じ」夢を見ました 2

 どうやら私は、福塩線と木次線を乗ってここまで来たようで、それなら、1984年の4月(伯備線電化後)に山陰号に乗るまでに来たルートとまったく一緒でした。

 でもこのときは、岡山に戻るという話。しかも、電化前の伯備線。待っていると、確かに、181系気動車の「やくも」が入ってきました。

 おかしいなとは思ったのですが、なぜか、「やった!」という思いで列車に乗り込みました。確かに、あの181系です。で、石本氏とともに食堂車に向かう途中、昨日お会いしたはずの新婚さんを見つけ、石本氏が声をかけて、あとは、お二人の夢の通り、食堂車です。そのあたりも、お二人と一緒でしたね。本当に不思議でした。


 いやあ、それにしても、夢の中でお二人とも、しっかり「見せて」くれました。正直、いい年の私にはつらい光景でしたな。よっぽど、「いい年をして、よくそんなことができますね」と言いそうになりましたが、そんなことを言おうものならセーラームーンをつつかれると思って、黙っておった次第です(苦笑)。あ、結婚式当日のセーラームーンは、翌日、ビデオ録画を見ました。そりゃそうでしょう。

 ともあれ、石本氏の「おごり」でどんちゃんということになっていますが、その前に、おまえも3000円ほどあるかと言われて、ちょうどあったので、それも軍資金になっています。一応、私の名誉のために申しておきますね。何と申しましょうか、いい年をした知人の目の前のラブラブなんか、見られたものでもありません。

そこで、私と石本氏は、これ見よがしにあの青木氏ことアオチュウの話や、某鉄研の窃盗事件の話をしていました。確かに、覚えています。チュウはチュウでも、恋人や夫婦のキスではなく、困った御仁のアオチュウではねぇ・・・。


 しかし、当時小4だったはずの私がまた、なぜゆえにこんなところでビールを飲んでいるのだろう? 

 ま、いっか! 

 しかも、その頃食堂車で飲食できなかった私がなぜここで飲み食いしている? 

 さっぱりわからないけど、ま、いっか! 

 加えて、石本氏が「料飲税をかけない作戦」をすることは玉造温泉駅で確認していたので、それはやっぱり、こう来たか・・・、と。特に不思議な感じがしなかったのは、なぜだろうか。

 ま、よくわかりません。


 そうそう、料飲税がかからないようにする作戦については、中学生の頃から、石本氏にお聞きしたことがあります。全国組織の鉄道趣味の会播備支部のベテラン会員で、O市内で精米店をされている山藤さんも、同じようなことをされたそうです。

 まあ、昭和の大酒飲みの工夫ですな。

 とにもかくにも、目の前の新婚さんはホンマ、仲良さそうで、まあ、今もいいのですけど、こちとら当時も今も独身で、ま、別にいいですけど、うらやましいのはうらやましかったですな。ちょうど結婚式の日は、毒舌を披露してウケまくりましたしね。結婚なんてものは妥協の産物だとか、特急の停車駅争奪戦にかこつけてどうこうとか、結構楽しませていただきましたし。

 しかし、なんでまた私が実際に乗って食べたこともなければ、まして酒を飲んだわけでもない「やくも」の食堂車に行ったのか、今もっても謎です。とにかく私は、石本氏と鉄道の話ばかりしていたな、という記憶はあります。どんなことをしゃべっていたかは、先ほどの問題の人物たち以外、ほとんど覚えていませんがね。

 でもまあ、倉敷の寸前で3回目の会計を済ませて、自由席に戻ってしばらく話したことは、覚えています。運転曲線がどうこうという話も、「やくも」に関わる速度表示「特通気A32」についても、かねてO鉄道管理局の人に教えてもらったり、鉄研の例会でも聞かされたりしていたことでもあるので、まあ、そんなことを言っていても、おかしくないでしょうね。

 私は、倉敷到着前に自由席の座席に座って、ちょっとうとうとしていたころで、そうですね、8時半前だったかに、眼が覚めました。

 今なら、プリキュアが始まる、寝坊してしまう! と慌てるところですが、当時は、テレビを観るといえば、土曜日の19時から30分のセーラームーンだけでしたしね。慌てることもありませんでした。


 それはともあれ、あの夢は、今も覚えています。


 最近O大の学遊会事務室で行われた「公開講座」の席上、吉本隆明の「共同幻想論」に関わる話で「対幻想」という言葉が題材として出ました。

 これは、恋人同士や夫婦や兄弟姉妹、親子などの2者間における「幻想」の形の一つだということです。全共闘世代には結構読まれたそうですが、私は、そうですね、言葉だけは知っていましたが、実際に読んだわけではないので多くは語れません。

 ただ、私が太郎さんとたまきさん御夫妻と同じ場面の同じ位置の夢を、その日の眠りの「後半」で見たということは、ひょっとするとこの「やくも」の食堂車の光景というのは、「対幻想」ではなく、私が絡んだ時点で、ある意味「共同幻想」の様相も持ち合わせているのかな、とも思えますね。


 でも何より、現実にはかなわなかった「夢」、特急「やくも」の食堂車で食事をするという夢が、こんな形でもかなったわけで、私としては、うれしいですね。

 もし夢で見られるのなら、他の時代の他の列車の食堂車にも、行ってみたいものです。まあ、未来よりどうしても過去に向かってしまうのは、鉄道趣味者の一種「倒錯」した感情からくるものですから。

 それはそれで、楽しめばいいのではないでしょうか。

 そしてね、そういう「倒錯」した感情を持って楽しめているからこそ、現実社会をうまくわたっていける側面も、大いにあるのかもしれません。

 白黒はっきりつく仕事、例えばコンピューターやら何やら、そういうものを扱う人は、逆にあいまいさが必要不可欠なもの、例えば小説とか旅とか、そういうことをするとよい。逆に、あいまいさが必要不可欠な仕事をしている人は、逆に白黒はっきりつくことを取り入れるとよい。そうすることで、バランスをとった方がいいのではないか。

 私はある時、そんなことを考え付きました。


 よくよく考えてみれば、私個人の人生はかなり白黒はっきりつく、リアリストのような人生を歩んできたようにも思います。

 なんか、黒のほうが多いのは、気のせい気のせい。

 でもまあ、その逆にある「あいまいさ」というか、本来「切り捨てられるべき存在」に目を向け、楽しみを見つけるというのは、今述べた構図とまったく同じで、要はこれでうまく私なりのバランスが取れているのだから、これでいいのではないかと、思っています。

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