第9話 私も、「同じ」夢を見ました 1

5 私も、「同じ」夢を見ました ~ 米河清治


 大宮太郎さん、たまきさん御夫妻の夢の話は、その翌日、彼らの家に呼ばれて聞かされました。私もその夜、夢を見たには見ましたが、太郎さんやたまきさんとはまったく別の場所での夢で始まりました。しかも、過去に起こったこととほぼ同じことが、その夢では起こっていました。


 私がO大学に現役で合格した1988年の夏、O大の鉄研は四国で「合宿」をしました。まあ、みんな好き放題列車に乗って、何日かどこかに集まって泊まって、そこでどうこう、というだけのこと。他大学は分かりませんが、少なくとも当時のO大の鉄研は、それこそ強い時期の西鉄ライオンズじゃないけど、一種の「野武士集団」的なところがあって、集まる日以外は全くの個人行動。これでよく統制が取れるなと思われますが、まあ、群れたらいいってものでもないから、こんなものです。これなどまさに、プロ野球選手の「移動」と「試合」の関係のようなものと言えばいいでしょうかね。


 その合宿のさなか、私は確か、宇和島から予土線に乗って窪川に出て、そこから土讃線の急行列車に乗りました。当時の四国にはまだ急行列車があり、なぜか、車内販売もありました。

 車両は確か、キハ65だったと思います。向かい合わせのボックスシートではありますが、シートは昔ながらのものとは違って、新しいものを使っていました。


 そこで私は、たまきさんより2歳ほど年上の男性と出会いました。旅の好きな人で、東京から来られたとか。しかも、酒も大好き。あいにくお互い酒の持ち合わせがなかったので、どちらともなく車内販売で買い込んで、そこでますます意気投合。いろいろな話になりましたね。実家が都内で自営業をされていて、時間の融通は利くのだとのこと。この石黒賢一さんという方は、鉄道が特に好きでどうというわけではないが、全国あちこち、時には外国さえも「旅」をされるとか。

 今時だと、そんな形で出会った人と会話が弾んで住所交換なんてことはあまりしなくなりましたが、当時は、そういうことは頻繁に行っていましたね、それで仲良くなった人もいますし、石黒さんのように今も親交のある人もいます。

 この石黒さんは一時期、ある政府系団体に勤めたことがあって、O市に住んでいた時期もありましたからね。


 それで、まあ、酒を飲みながらいろいろお話して、そうこうしているうちに、O大鉄研の2学年上の上本氏が途中の駅で乗って来られて、まあ、とりあえず高知までこの急行で行ってしばらく飲もうという話になったわけですわ。

 当時の高知駅は高架ではなく地上にありました。改札のある1番線のホームの東寄りにちょうど頃合いのベンチがありました。幸い、8月下旬でお盆のピークも過ぎており、人もあまりいない。酒やつまみなら、足らなくなったら駅のKIOSKで買えばいい。ますます「酒宴」は盛り上がりました。

 とっくに成人の石黒さんや成人になったばかりの上本氏はともかくとして、私はそのとき、19歳の誕生日が来ていない、満18歳。

 今なら大変なことですが、当時はそう難しいことは言われませんでした。


 さあ、酔いも回ってきたころ、181系気動車の高松行き「しまんと」号が1番線に入線してきました。

 私はO大鉄研に「スカウト」されてこの方、当時岡山から出雲市・益田を伯備線経由で結んでいた181系気動車「やくも」が大好きでした。ちょうど新幹線が博多まで行ってしまった後で、在来線特急が夜行列車を除けばこの「やくも」だけの時代でした。その上さらに、鉄研には181系気動車の好きな人は結構おられ、その影響も受けた私が「やくも」に熱中するのは時間の問題でしたな。

 瀬戸大橋の開通で、四国からの特急も来ることとなり、この岡山という駅は、新幹線博多開業前のように「趣味的」な意味でも興味深い場所へとなっていました。

伯備線が電化して「やくも」は電車特急になり、少しがっかりしていた矢先、再び、岡山で181系気動車に出会えるようになりました。その181系気動車の「しまんと」号を目にした私が、酒を飲みながら何を言い出したかというと・・・


「それでは、ただいまよりO大鉄研に古くから伝わる歌を歌います!」


とか何とか、石黒さんとU氏の前で宣言し、「しまんと」号の先頭車をバックに、以前鉄研の会誌で紹介されていた鉄腕アトムの替え歌「鉄輪やくも」という歌を歌い始めました。著作権の問題もあるので、ここでは披露しませんが(苦笑)。実はこの歌、鉄研に来始めて最初の最初に、覚えろと言われなくても、すぐに覚えてしまいましたね。今でも、歌おうと思えば歌えますよ。ただ、酒飲んでそんな歌を歌って、たまきさんにばれたらまた嫌味を言われますから、今はやめています。

 その後安芸市方面に行かれる石黒さんと別れ、私とU氏は四国の合宿の旅館というか民宿というかに移動しましたが、市電の車中では、さすがに、そういう歌を歌っていなかったことは言うまでもありません。ちなみに「鉄輪やくも」を歌ったという情報は、上本氏を通じて直ちに皆さんに知れ渡り、さんざん呆れられました。


 その日の夢ですが、どういうわけか私は「鉄輪やくも」を歌い終わって181系「しまんと」が岡山に向けて高知駅のホームを去っていった頃に、ふと、眼が覚めました。

 

 それまでの夢の経緯は、今まで述べたこととほとんど変わりません。まあ、太郎さんとたまきさんの結婚式で相当量飲んでいたこともあって、トイレに行ったのですけどね。それが夜中の2時半過ぎだったか。

 水を一杯飲んで、もう一度、寝なおしました。


 しばらくすると、また、夢を見始めました。

 今度はなぜか、私が小学生の頃の玉造温泉駅でした。年恰好は20代当時の姿で、なぜかここで、キャンディーズの鉢巻をした石本氏にお会いしたところから、夢は始まりました。

 記憶の限り、そこが「起点」ですな。

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