第8話 カーテンが取り払われた日 2

 彼と結婚して(というより、それまで実質「同棲」していたわけですけど)、いろいろな意味で初めて、二人の間にあったカーテンや壁が取り除かれたあの日、私たちは、これまで述べた通りの夢をお互いに同じ夜に見ていました。

 私も太郎君も、気動車時代の「やくも」号に乗ったことはありません。

 一度だけ「やくも」で使われていた食堂車(「キサシ180」というそうです)が境線の大篠津駅に何両も留められていた光景を、列車の中から一緒に見たことがあるぐらいです。

 マニア氏は、食堂車に入って写真を撮らせてもらったことはあるものの、「やくも」の食堂車で何か食べたことはないとのことです。それどころか、初めて乗った振子電車の「やくも」で岡山から新見まで行く間に、まず乗り物酔いしないにもかかわらず酔ってしまったとか。当時中2でしたから、もちろん「酒を飲んで」酔ったわけではありませんよ。これは彼の名誉のためにも、しっかり申し上げておきましょう。


 しかし、JRになって何年も経つにつれ、夜行列車の需要は減ってしまい、ついにブルートレインは日本の鉄道からは完全に姿を消してしまいました。その「後継」となる列車も生まれずじまいです。一種の「クルーズトレイン」はあちこちでできていますが、それはもはや、ブルートレインではありませんね。色の面でも、役割の面でも。

 カーテン一つでよそのベッドと区切られただけの、それこそマニア氏が言うところの「無防備性抜群(これはある鉄道評論家の方の言葉らしい)」の薄暗く狭い、風呂もない列車に乗って何時間も揺られて移動する必然性がなくなった今となっては、病院ならいざ知らず、列車でそんなものに乗って移動なんてことをしているほどヒマな人はそうそういない。

 新幹線か飛行機でさっさと現地入りして、ビジネスホテルにでも入った方がいい。男性で別に「個室」でなくてもいいというなら、カプセルホテルだってあるし、それこそサウナもついた風呂はあるし、ロッカーに入れるかフロントに預けるかすれば貴重品は鍵をかけて管理できるし。その方が寝台列車を使うより極めて安くて安全かつ快適に移動できる。

 これじゃあ、いくらJR各社が躍起になったって、復活のしようもないというものです。

 これはある意味、社会のいろいろな場所で「個人化」が進んだ結果だと、マニア氏はある時私たちに言っていました。だからこそ「個室」が当たり前になり、雑魚寝やそれに近い寝方をする文化もまた、廃れていったのだ、と。


 終戦後間もなく製作された小津安二郎の名作・「東京物語」には社員旅行で熱海の温泉に来て宴会をしているサラリーマン一行が描かれている。それを平成の世でオマージュした山田洋二の佳作・「東京家族」では、同じような家族で同じような旅行をプレゼントしたはずなのに、行った場所は横浜のホテル、しかもそこは個室できっちり区切られた空間、宴会の喧騒などとんでもない、強いて言えば、ある部屋の中国人らしい客が大声でホテルマンと何やら話している声だけ、という状況。この二つの作品を見比べれば、約半世紀の間の動きがよくわかるでしょう、とのこと。

 それでも、「家風呂」が当たり前となった今でさえ、昔ながらの「銭湯」が根強く人気があったり、ある程度の都市には必ずあるサウナ付きのカプセルホテルが盛況だったりするのも(女性向けのそういう施設はあまりありません。正直、そういうところに行ける男性がうらやましいです。

 実際、マニア氏は、そういう場所が大好きみたいですね)、単に昔ながらの人との距離感覚に「郷愁」を覚えるからというだけでなく、ある程度、人肌の近いところに身を置きたいという人間の本能からくるものがあるのではないか、だから、当時は「蚕棚」と揶揄されていた列車の寝台が今なお「郷愁」をもって語られるのも、必然と言えば必然ではないでしょうか。

 それこそ、動かすのに手間とエネルギーが散々かかった蒸気機関車を懐かしむのと、同じような構図ですね。

 素人の私にも、その当たりの間隔は、よくわかります。


 「カーテンでさえも区切られない場所で何人かと一緒に夜を過ごす」

ことと、

 「最低限、壁で区切られたたこつぼのような「区画」に入って、そこで一人一人が夜を過ごす」

ことと、どっちがいいのかな? 


 後者が当たり前となって久しい今日ですが、どちらがより「人類の進化」なのかは、マニア氏あたりなら即答で後者と答えるのかもしれません。

 でもね、少なくとも私には、そんなに割り切った答えは出せません。太郎君に先日聞いたら、少なくとも後者のほうが進化だというのは、あまりにも早計にすぎるだろうな、とのことでした。

 私たち夫婦は、多感な中学生のとき、カーテン一つで区切られた区画で数週間共に過ごしました。その後、途中壁などで仕切られていた時期もあったけど、ある時を境に、その「壁」は崩壊?し、カーテン1枚でさえ区切られることなく、いまは、同じ寝具の中で夜を過ごしています。

 子どもたちも大きくなった今、そこは太郎君と私だけの空間です。私にとって一番幸せなのは、そこで太郎君と昼夜を共に過ごせることなのです。


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