ひげ
彼が無かったことにしたいのか、覚えていないのかを読み取ることは私には困難だった。
おしゃれ髭の上でパチパチと小さく弾けて消えていくビールの泡と一緒に、私は休みの間や今日の仕事の合間に、彼に会いたいと踊っていた心を落ち着かせて「明日早いから一杯だけ」とマスターに声をかけた。
その一杯を早いペースで飲み終え店を出ると、私の後を追うように彼も店を出て、彼は当たり前のようにするりと私の腰に手をまわした。
それから、その手に驚いて体をかたくさせた私の顔を覗き込んで「この前の続き、する?」と言った。
あの日、くちびるを何度か重ねて、火照りはじめた体を冷ましたのは、マスターが彼のために呼んでくれたタクシーのヘッドライトだった。
ふらつく足取りでタクシーに乗り込んで私の腕を引いて彼は「続きは?」と聞いた。
確かにあの時私は「また今度」と言って腕をほどいた。
さっきまでうれしそうに彼女の話をしていたのに何を言っているのだこの男はと思ったけれど、ソワソワとした恋心と好奇心が勝って、私は彼と寝た。
◇
彼の筋肉質な体は、スーツを脱ぐとまるで彫刻のようだった。
硬くなだらかに形成された筋肉の「うね」は無駄なく美しかった。
肩のあたりにはタトゥーが彫られていて、くちびるでなぞると、それは僅かな凹凸で形成されていることが分かって、今まで触れたことのない不思議な質感にわくわくした。
けれど、彼に私への愛情が無かったからか、私の彼女に対する罪悪感のせいか、行為自体は非常にお粗末なものだった。
はやいだけの乱暴な腰の動きに、私の気持ちは置いてけぼりになり、さっさと果ててくれとただただ念じて、それはあまりに長く感じる時間だった。
シャワーの後、髪の乱れをかきあげる仕草に見とれて、私はこの美しいものに抱かれたのだと思うと同時に、きっと彼はこれまで、この美しさから、女達に許されて来たのだと思った。
◇
私の好奇心は満たされ、こんなヒリヒリと痛むようなキスは二度とごめんだと思った。
くちびる 凡imi @bon60n
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