後編


「いやいやいや、アレは普通の冷蔵庫だぞ? 異世界と繋ぐだなんて、まさかそんな」


「いえいえいえいえ? 間違いないであります。メルグはあのゲートからハッコウワサワサの臨界反応を検出して、それを頼りにやってきたのでありますから」


「だからそうやって知らない単語を言われても、俺には分かんないんだって……」


 念の為に冷蔵庫を再び見に行くが、別に何かが起こった様子はない。


 中にあるのは調味料と発泡酒の缶ビール、しなびかけた野菜や特売の卵たち。あとは実家のオカンが数年前に仕送りしてくれた、未開封の手作り味噌……。



「あれ? 味噌のふたが開いて……って、中身が全部無くなってる!?」


「それであります!」


「え……?」


「物凄いハッコウワサワサのパワーであったであります! 世界をまたぐほどのハッコウワサワサは、長いメルグせいでも初めてでありました!!」


 そこで俺も気付いてしまった。

 メルグは嬉しそうに飛び跳ねているが、こっちはショックで開いた口が塞がらない。


 “ハッコウワサワサ”ってもしかして、発酵が進み過ぎた味噌だったのか!? まさか、オカンの手作り味噌が発酵の限界を超えて、世界を移動するほどの力を生むとは……。



「これもまた、運命なのであります! メルグはケンジダさまを生涯の捕食者さまと認め、この身を捧げるのであります!!」

「いや、いきなりスライムに身を捧げるって言われても」



 第一、捕食って俺がメルグを食べるってことなのか? いや、そもそも食べても安全なのか……?


 いくら見た目が可愛らしいスライムだからといっても、まぎれもなく異世界産の喋るモンスターである。毒があることを疑うな、っていう方が土台無理な話だ。



「安心してください! メルグは栄養満点。一口食べれば、あまりの美味しさに昇天するであります!」


「いや、まったく安心できないよね? 栄養はともかく、昇天って完全に危ない食材じゃないかそれ!! 俺を殺す気か!?」


「……?」


「いや、なんでお前が不思議そうな顔をするんだよ。俺がおかしいみたいなリアクションすんな」


 わざわざ頭をキノコの傘型にして、首のようにグニャァと傾けるあざとさよ。なんか馬鹿にされているようで、めっちゃムカつく。



「ふっふっふ。冷静に考えてほしいでありますよ。そんなことをして捕食者が死んでしまったら、子孫を増やしてくれる存在が少なくなる。つまり、我々メルグも滅亡しまうであります」


 冬虫夏草のように、寄生するタイプの生物なら宿主が死んでいようが別に構わないだろう。


 だがメルグは違うみたいだ。捕食者にはメルグを食べつつ、生き続けてもらわないと困るらしい。これもまた、一種の共生のカタチなのだろう。



「だから一流のメルグは、安心安全をモットーにしているでありますよ? 毎月欠かさず、メルグの被食安全機構でチェックを行って、ちゃんと証明書も発行しているであります! 毎晩寝る前のボディケアも欠かさず、SNS上で有用な情報は共有する。我々の被食意識は非常に高いのであります!」


「いや、すごいなメルグ!? ていうかメルグの世界にもSNSがあるの!?」


「さらに! メルグを食べるメリットはそれだけではないであります!」


 あ、今スルーしたなコイツ。



「メルグを食べることで、腸内の悪い菌が減るであります!」

「おぉ!? 地味に有難いぞそれ!?」


 実は俺、昔から腸が弱くって。給食の牛乳とか、あんまり飲めなかったんだよな……。



「二日酔いにも効くでありますし、なんならダイエットにも効果的!!」

「最近ちょっとお腹周りが気になっていたからそれも助かる!!」


 なんだなんだ、良いことづくめじゃないか! 急に食べたくなってきたぞ!?



「当然、毎朝のお通じもスッキリ! そして今なら何と!!」


「なんと?」


「メルグを食べるごとに、SNSで“いいね”がちょっとだけ貰いやすくなるであります! モテモテになれるでありますよ!」


「急にぶっとんだ効能出てきたぞオイ!? 地味に凄いけど!! あとモテるなら是非食べたい!!」


 なんだそれ、インフルエンサー垂涎すいえんまとじゃねぇか! だけど俺は要らんぞその効能!!



「でもケンジダさま。渾身のネタが滑って誰からも反応を貰えなかったとき、あとでこっそりその投稿を消しているでありますよね?」


「うっさいよ!! どうしてお前が俺のSNS事情を知っているんだよ! そっとしておいてくれよ!! それにどうせ、そんな効果なんて無いんだろ!!」


「嘘じゃないであります! ……メルグの国だけでありますが」


 駄目じゃん! “いいね”は欲しいけど、さすがに異世界のメルグの国にまで行くつもりはないよ!! あと喰われて“いいね”が付いているのは、メルグの死生観あってのことだからな!?



「ま、まぁ最後のはともかく。特に食べても問題はないどころか、俺にメリットしかないわけだな?」

「はいであります! メルグにケンジダさまをモテさせる力はないですが、食費の軽減とケンジダさまの健康には貢献できるであります!!」


 悪かったな。どうせモテないのは、俺に原因があるんだよ。知ってるってば。


 んー。しかしまぁ、試してみる価値はあるのか? 気になるポイントは他にもあるんだが……。



「それに味は……」


「プレーンの状態ではわずかに甘いであります。自然の優しい甘みが身体にみるであります」


「お前は採れたての野菜かよ」


「それにメルグが何か他の食材を摂取すると、味も変化するであります。どの食材とも合う、万能生物であると言えるのであります」


 いやぁ、変化って言ってもなぁ。


 そもそも、俺は普段からあまり料理をしない。一人分の量を作るのも手間だし、作る時間もない。

 必要最低限のカロリーさえ摂れさえすれば、それで良いと思っていたクチなのだ。



 ――グルルル。


 だがしかし。お腹が空いているのもまた事実。仕方ない、腹をくくって食べてみるとしよう。



「じゃあ、冷蔵庫の中身を使って鍋にでもしてみるか」


「得体のしれない生き物でも取り敢えず食べようとするあたり、さすが日本人でありますな!」


「ねぇ、やっぱり俺のこと馬鹿にしてるよね?」


「日本人褒めているであります!! 食べられなくても、どうにか食べようと試行錯誤する精神は、被食生命体として尊敬に値するであります!!」


 こいつ……こちらが食べる気になったのを良いことに、調子に乗りやがって。

 だが日本人だろうが異世界人だろうが何だって良い。喰っちまえばこっちのもんだ。



 買ってから数回しか使っていない両手鍋に水を張って、コンロにかけた。


 萎びた野菜も鍋なら使えるだろう。白菜やシイタケを適当にカットして、鍋の中へどんどん入れていく。


 ダシは顆粒の合わせダシだ。ポン酢があるから味付けも大丈夫。ただまぁ、個人的には肉が欲しいな~、肉が。



 チラ、とメルグを見る。


 果たしてコイツは、なんの具になるのだろうか。生き物だし、いちおうは肉に入るよな?

 いやでも、この軟体生物が肉に成り得るのか?? ていうかどう調理すればいいんだ? こっちは生きている魚すらさばいたこともないんだが?



「ケンジダさま、メルグを指で引っ張ってみてください!」

「引っ張る……こうか? って身体が千切れたぞ!? おいっ、大丈夫かメルグ!?」


 ぐね~と指で摘まんで引っ張ると、ポンと音を立てて分離してしまった。俺は焦って元に戻そうとするも、プニプニと反射するだけで身体の中に入っていかない。



「えへえへ、痛みは無いであります~。それをお鍋の具にすると良いでありますよ!」


「えぇ……本当に大丈夫なのかよ。具って、これをか?」


「はい! どんどんいくのであります~!!」


 身体の一部を失ったというのに、メルグはまるで気にしている様子もない。まぁ神経や内臓も無さそうだから、平気なのか……?


 手の平の上に転がる、ピンポン玉ぐらいの薄黄色い玉を見やる。見た目はレモンゼリーに近い。はたしてこれが、具の代わりになるのだろうか。



 迷っていても仕方がないので、それを鍋の中にチャポンと入れていく。水に溶けたりはせず、鍋の中でプカプカと浮いていた。



「えいっ、とうっ……」


「あうっ、あううっ」


「ふははは。良いではないか、良いではないか~」


 最初はおっかなびっくりだった俺も、途中から夢中になってしまっていた。メルグはくすぐったそうに喘ぎながら、俺にされるがままになっている。


 スライムといっても手にベタつくことも無く、紙粘土遊びみたいで楽しい。指をムニッと押し返す弾力が何とも気持ち良い。



「よし、こんなもんかな」


「うぅ~、ケンジダさまは意地悪であります~」


「あはは、悪かったって」


 メルグが元のバレーボール大から半分ぐらいになった辺りで、鍋が一杯になった。


 小さくなった彼女は少し恨めしそうな声をしているが、まだまだ元気そうだ。



「そうだ、せっかくだからビールもいただこうかな」


 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プシュッという気持ちの良い開封音を立てる。


 ふふふ、まずは景気づけの一杯だ。料理の匂いをツマミに、カラッカラに乾いた喉をコイツでうるおそう。



「くあぁあぁあっ、ウマァイ!!」


 冷蔵庫でキンキンに冷えたビールが、仕事で疲れた身体に染み渡る。やはり一日の最後はビールに限る。



「おおっ、ちゃんとそれっぽい匂いがしてきたぞ!?」


 鍋の香りをツマミにしながら晩酌をしているうちに、鍋の方が完成していたみたいだ。


 湯気と一緒に、肉と野菜の良い匂いが立ち昇ってきている。スライム玉も鶏肉のツミレみたいな色に変わり、スープと一緒にグツグツと踊っていた。



 具に箸を刺してみると、スッと抵抗なく抜けていく。他の野菜にも火が通っているようだし、もう食べても大丈夫だろう。


 こうやって見ている限りでは、普通に美味しそうなんだよな。未知の食材がどうなるのかドキドキしていたけれど、どうやら杞憂だったみたいだ。



 リビングに鍋を持って行こうとも思ったが、酔いが回っているし移動するのはちょっとメンドクサイ。良いや、コンロに鍋を掛けたまま食べちまおう。


 お玉とどんぶりを持って、いざ実食である。俺は味見をすることもなく、熱々のメルグ玉から食べることにした。



「……やっぱり見た目はツミレだよな」


 箸で摘まんでみると、フニフニとした感触があった。クンクンと匂いを嗅いでみても、香りは肉そのものだ。



「ケンジダさま?」

「お、おう。食べるよ。食べるってば」


 少し迷っていたら、流し台の中に居た小さなメルグが俺を顔を覗いていた。今さら怖気づいても仕方がない。勇気を出して、えいっと口に放り込んだ。



「……うっっまぁあっ!?」


 グッと噛みしめれば、舌の上で雪解けのようにホロホロと玉がほどけていった。それと同時に、ジュワァっと肉汁が口いっぱいに洪水のように溢れてくるではないか。



「この食感と味は、ほぼ鶏肉じゃないのか!? それも臭みのない、極上の!」


 噛めばそぼろ肉に似た食感もあって、いつまでも楽しくモグモグとしていられる。

 俺がやった味付けと言えばポン酢だけなのだが、それが却ってメルグの旨味や甘みを引き出してくれていた。


 事前にメルグが飲んでいた紅茶のおかげか、ほんの少しの茶葉の風味が後味をスッキリとさせている……気がするな。



「あ、メルグの言った通りだったわ」


 まだひと口しか食べていないのに、身体の中を幸せが駆け巡る。仕事の疲れも簡単に吹っ飛びそうな勢いだ。


 くぅ、これは美味いわ。やばい、箸が止まらん……!!



 気付けば俺は、夢中になってメルグ鍋を食べていた。



「お口に合ったようで良かったであります!」

「あぁ、これはビックリだ。メルグからダシが出ているのか、野菜も美味しく食べられるよ」


 缶ビールに残っていた液体をグビっと飲み干し、ぷはぁっと至福の溜め息を吐く。こんな風に美味しい食事を誰かと楽しむなんて、かなり久しぶりの経験だ。



「えへえへ。そこまで喜んでもらえると、メルグも嬉しいでありますね~」

「あぁ。これは何度でも食べたくなる味だったよ。是非とも次は別の料理も試してみたいぜ」


 調理の前にメルグが食べたもので味が変わると言うのなら、もっといろんな料理にも使えるということだ。これだけ美味しいのだったら、仕事終わりだろうと喜んで俺はメルグ飯を作るぜ。



「ほふぅ~!! この“びぃる”というお酒は最高なのであります! 美酒びしゅ~!!」

「ちょっ、俺の酒を勝手に飲むなよ!!」


 俺が鍋に集中していた隙に、飲みかけだったビール缶をメルグが抱えて飲んでいた。



「おい、大丈夫か? お前、顔が赤いぞ!?」


「らいじょうぶれす~! メルグがお酒を飲むと、さらに身が美味しくなるでありますよぉ~! この状態のメルグを食べると、店で購入したポテトフライが必ず揚げたてになるであります~」


「だから地味にちょっと嬉しい効能だなぁ!? あとそれ、絶対にアゲタテンのお陰だろ!!」


 まったく、どうせならもっと派手な特典が欲しかったぜ。


 飲まれてしまったものはしょうがない。冷蔵庫から新しく缶を取り出し、プシュッと開けた。



「……おい。今度は何をしているんだ?」


 黄色から少し赤味が増したメルグは鍋の隣りで、上下にビニョンビニョンと伸びたり縮んだりしている。まるで何かの準備運動のようだ。


 やっぱり酔っ払ってんだろコイツ……。



「なにって……旅支度でありますよ。それでは、ケンジダさま。また来世でお逢いしましょう~であります~!」

「え? あっ、ちょっと待て!」


 咄嗟に手を伸ばすも、あと一歩のところでメルグには届かない。彼女はグツグツと沸騰している鍋の中に、自ら飛び込んで行ってしまった。



「メルグ……!!」


 しかし、メルグの声はもう聞こえない。あっという間に火が通ってしまい、良い香りをさせながらプカプカと浮いている。


 まったく、お前は因幡いなばの白兎かよ。せめて別れの挨拶ぐらいさせてくれよ。



「……はぁ。寂しいが、かといって食べないわけにもいかないし」


 せめて最後まで美味しくいただこう。箸でつつきながら、メルグとの僅かな思い出に浸る。



「しかしこうなると、なんだかシメが食べたくなってくるな」


 具はほぼ完食したが、せっかく美味いスープが残っている。コイツを無駄にするというのは有り得ない。



「そうだ。これを使って、久しぶりに茶碗蒸しを作ってみるか」


 名付けて鍋の残り汁を使った、ナンチャッテ茶碗蒸し。

 これは俺の母親が晩御飯が鍋だった次の日に良くやっていたものだ。


 作り方は残り汁と卵液を混ぜてレンチンするだけで超簡単。手抜きだと思われるかもしれないが、俺も親父もオカンが作るこのお手軽茶碗蒸しが大好きだった。



「冷蔵庫にあった卵と、鍋の底に残ったメルグの欠片と野菜とシイタケ……うん、これで十分だろ」


 鍋を食べる時にも使った耐熱性のドンブリに具だけを入れ、レンジで温めておく。

 その間に卵と鍋の残り汁をコップに入れて混ぜ、ザルでしていく。



「こうすると、舌触りが良くなるんだよな。手は抜くけど、これだけは絶対にやるんだってオカンが言ってたっけ」


 なんでもこれをやらないと“す”が入って美味しくないんだそうな。懐かしいなぁ、この作業はいつも俺の役目だったっけ。今度の休日、たまには実家に帰ろうかな。



「あとはこの卵液を入れてっと……」


 温まった具の上に、卵液をそっと流し入れていく。あとはラップをしてもう一度レンジでチンだ。


 たまに様子を見ながら、待つこと数分。あっという間に完成だ。



「おぉー、ちゃんとメルグになってる! かなり久しぶりだったけど、やれるもんだな!」


 ラップを剥がせば、そこに居たのは消えたはずのメルグだった。


 とは言っても、本物のメルグではない。レンジで温める前に、ちょっとした遊び心で茶碗蒸しの表面にスライムの形にした具を浮かべておいたのだ。



「そうだ。メルグとの出会いの証として、写真に撮っておこう。ついでにSNSにも載せてみようか」


 スマホでカシャリと写真を撮って、あまりフォロワーの居ないSNSに投稿してみることにした。



「『#おうちごはん 社畜アラサー男子が深夜に茶碗蒸し作ってみた』……と。これで良いか。さぁって、久しぶりの茶碗蒸しを食べるぞー!!」


 あれだけ飲み食いしたのも忘れ、俺は夢中でメルグの茶碗蒸しをむさぼった。



「……はぁ、美味かった」


 メルグ茶碗蒸しは熱々で滑らか、そしてプルップル。何となくビールの旨味もあった。メルグのダシと優しい卵の味が鍋のシメとして最高にマッチしている、非常に満足のいく逸品だった。


 結局、あれだけ山盛りだった鍋は綺麗サッパリの完食と相成あいなった。


 食事が終わったと同時に、気持ちの良い満腹感と睡魔が俺を襲う。もう動きたくなかった俺は風呂にも入らず、最低限の片付けだけをしてこの日は布団に入ってしまった。



 そして次の日。

 俺はメルグの本当の恐ろしさを実感することとなる。




 ◇


「ふぁ……朝、か……?」


 昨晩は風呂にも入らず、睡魔に負けて爆睡してしまった。



「身体の怠さが全くない……だと!?」


 眠気無し、二日酔い無し、顔のむくみも無し。深夜に暴飲暴食をしたのに、身体が羽根のように軽い。肌の艶も良いし、ヒゲも剃らずにツルツルだ。社会人になってからすっかり遠ざかっていた、“若さ”の二文字が帰ってきた。



「ありがとうメルグ……俺は健康的な身体を取り戻せたよ……」


 すでに居なくなってしまった相棒をしのび、布団の上でなむなむと手を合わせた。


 きっと彼女はメルグの国で生まれ変わっているのだろう。仲間や子孫たちと末永く幸せになって欲しい。



「うわ、昨日の投稿した画像にめっちゃ“いいね”が付いてるし……」


 さっきからスマホの通知が止まらないなと思ったら、数千件のいいねが付いていた。ネット上でもボッチをキメていた俺が、ここまで誰かから反応を貰えたのは生まれて初めてだ。



「しかもサユリンからも“いいね”が付いているだと!? マジか……ってヤベェ、もう出社の時間だ!」


 さすがのメルグと言えど、ブラックな会社までは変えてはくれないだろう。

 ささっとシャワーで身を清めたあと、スーツに身を包み、俺は部屋を後にした。




 ◇


「いやぁ、同じ仕事量なのに疲労度が段違いだな。仕事の効率もグンと上がった気がするし」


 昨日は深夜まで掛かった仕事が、今日は僅か三時間の残業で済んだ。まだスーパーがやっている時間に帰れるなんて幸せすぎる。


 帰り道に買い出しもできたし、今日は久々にサユリンがやっている動画配信でも観ながら酒でも飲むかぁ!



 ウッキウキのテンションで玄関のドアをガチャと開ける。と、そこに居たのは――



「お帰りなさいであります、ケンジダさま!!」

「……なんで?」


 昨日と同じ薄黄色いスライムのメルグが鎮座していた。しかも、二つに増えている。



「昨日、俺は間違いなく完食したはずだが……」


「はい! 如何でありましたか、メルグのお味は?」


「美味しかったでしゅか!?」


「え? あぁ、結構なお手前で……えぇ~、今度は赤ちゃん言葉かぁ」


 二匹のスライムがピョンピョンと俺の周りを飛び跳ねる。俺の帰りを喜んでくれているみたいだ。


 賑やかなのは良いのだが、近所にこの光景を見られたら大変だ。さっさと玄関を閉め、中に入る。



「ケンジダさまが被食してくださったおかげで、無事に仲間が増えたであります!」


「ぱぱ!!」


「やめてくれ!! 俺はまだ未婚どころか恋人も居ないんだぞ!?」


 交際の経験がないとは言わない。

 恋愛ができないんじゃない。する余裕がないだけなのだ。



「ケンジダさまは、あのサユリンという女性が好きなのでありましょう?」

「なっ、どうしてそれを……って、なんだよその身体!!」


“あります”口調の方のメルグがみるみるうちに大きくなり、俺の知るサユリンそっくりの姿になった。



「転移した初日に、この世界について学ぶために部屋の中にあった資料を拝見したであります! ついでに人間の生態についても学んだであります~!」

「ちょっ!? 勝手に俺のパソコンを見たのかよ!! ていうかその恰好はやめろ!!」


 見た目はそっくりなのだが、いかんせん服を着ていない。

 俺は慌てて着ていたスーツを脱いで、素っ裸のサユリンメルグに被せた。



「嬉しくないでありますか?」

「めっちゃ嬉しい……って違う!! どうして俺のところに帰ってきたんだよ? お前はメルグの世界で子孫を増やすんじゃなかったのか?」


 被食によって子孫を残す種族であるメルグ。少子化を打開するため、ゲートを越えてこの世界にやってきた。てっきり元の世界で子供を育てるのかと……。



「はい! ケンジダさまの捕食で、メルグの子孫が百株も増えたであります~! 歴史的快挙、メルグは国の英雄であります~!!」

「あ、良かったね……」


 あぁ、メルグの数え方って“株”なんだ。菌と一緒じゃん。増え方もそれ、菌の増え方だよね……?



「しかし、まだまだであります。もっともっと数を増やして、世界を再びメルグで満たすであります!!」


「えっ、怖くない? もはやメルグの侵略じゃんか……」


「それにメルグは、ケンジダさまをあるじさまとして認めたであります。ケンジダさまにもっともっと、子孫を増やしてもらうであります!」


「ぱぱ、メルグを食べて?」


「いや言い方ァ!!」


 ニコニコと笑うサユリンメルグと小さな子供メルグ。とんでもない状況になってしまった……。



「はぁ、仕方ない」


「いいでありますか!?」


「ましゅか!?」


 でもまぁメルグが帰ってきてくれて、俺はちょっとだけ嬉しかった。

 ただ寝るために帰っていた家が明るくなった気がするしな。



「ほら、今日はオムライスだ。一緒に食べよう!」



 こうして俺はこの日から、メルグという変わった生き物との同棲生活が始まるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

被食生命体メルグの超越 ~帰宅したら変なルームメイトが勝手に棲み付いていたんだが~ ぽんぽこ@書籍発売中!! @tanuki_no_hara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ