土鍋パッカーン ぐつぐつハンバーグ
はてさて、このままでは勘三郎を知っている人に会うと面倒。
一月ためた神力を使うと、たちどころに。
印象に残らぬおっさんに周りは見えるというわけだ。
勘三郎安心せよ。今日はお主の身体の負担にならぬものをちゃんと選んで見せるからな。
笹川神社とつくように、この辺りには小さいながら川があった。
そのせいか、きれいな水であればこそ、うま味が引き立つような素朴な料理屋が多い。
郊外ではあるが。
そういった、名店の味を求めて人々はちょっと街はずれまで足を運ぶ。
特に、そばはもう江戸の頃にはこの辺りの名物料理となっていた。
笹川の水でこね、笹川の水で湯がき、笹川の水で〆るそばは絶品だった。しかし、この今風にいうと憑依飯も江戸初期から続くと、そばはとうに飽きている。
今私の心を突き動かすのは、同じくうまい水で作られた麺を売りにした、背脂ちゃちゃ系のらーめんである。
勘三郎は、ここ2,3年前から神卸の儀の後は胸がむかむかする日が続いていたそうだが。
背脂ちゃっちゃ系のらーめんにはまった時期と一致しているし。
今年は特に健康診断の結果もよくなかったから、普段自重している勘三郎のように、流石の私も我慢したほうがいいだろう。
お気に入りのらーめん屋さんの前を素通りし、なら今日のご飯はどうしよう。
昼間から、焼き肉なんてどうなろう!
牛トロホルモンとビールでキュっと……は、なんかビールをたしなんだ後足が痛いってなって、痛風が発症してからビール飲むとひどい目にあうからやめたのであった。
何たる無念。
なんたる無常。
諸行無常とはこのことか……ぼたぼたと勘三郎の借りている体の瞳からボタボタと涙が零れ落ちた。
えぇい、年を重ねるとこれだからいかん、涙もろくなってしまう。
身体があるのに、身体があるのに。満足に飯も食えぬ。
あぁ、若い時はよかった。若いときであれば店をはしごできた物を。
せっかくの一月に一度のお楽しみ。
満足行く品で心を潤わせたい。
そんなとき、私は一軒の店の前で足を止めた。
『土鍋亭』、笹川のおいしい水を使った料理に舌鼓しませんか? ってものだった。
私が食べたいものはガツンとしたもので、水がおいしいだのは気が進まないが。
身体のことを考えねばな。
すっかり前にせり出した勘三郎の腹を一つ叩くを、私は暖簾をくぐったのだった。
前は居酒屋だった店だ。
入れ替わりの儀は、たいてい日中に行われるので、夜しか開いていない店には私は入れない。
中はこんな風になっていたんだな。
一枚板の見事なかうんたーに私はそっと手を触れる。
これほどの大きさだ、さぞ見事な巨木だったのだろう。
すまんが、今日はお前の上に失礼させてもらうよと声をかけ、私はかうんたーに座った。
しばらくすると、氷が浮かぶ冷えた水とお品書きが運ばれてきた。
鍋は私も知っている。
すき焼きがあればいいのだが、いや、それは金が足りぬか。
土鍋亭とつくだけあって、土鍋で炊いたご飯が食べられるようだ。
こしひかりは知っているが、晴天の霹靂は米なのか? みるきーくいん、米なのにみるきーなのか?
初めて見る米の名前に浮足立つ。
炊きあがりまで20分かかるそうだが、待つのも一興。
米を選べば次はおかずか。
さて、水炊きか? それともどじょうか? とお品書きをめくり固まった。
は、はんばーぐだと。
一番人気おすすめという文字と共に書かれたのは、焼き野菜をたっぷりちーずのはんばーぐの文字だった。
あぁ、なんてことだろう。
はんばーぐをみたら、注文せねばならない決まりがあるのだったと私は、思い出した。
勘三郎すまない、私はへるしーなものを食べようと思ったのだ。
しかし、この世には守らねばならぬ断りがある。
はんばーぐなるものは、あれば避けては通れないのだ。
ゆるせ、勘三郎。
「すまぬ、そこなる女中」
そうして、女中を見事呼び止めた私は、はんばーぐを頼んでしまった。
さいきんのはんばーぐは鉄板で運ばれてくることが多い。
服への油跳ねが気になるが、うまいものを食べるときはそんなことを気にしていてはいけないのだ。
じゅーっという素晴らしい音と漂う香ばしい香りを想像してうっとりを私は目を閉じた。
しかし、私の想像など覆すことがこの世にいくらだってあるのだ。
「ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
「ありが……とう」
どういうことだ、私が頼んだのははんばーぐと土鍋ご飯のはずだ。
なのに、私の前には一人用の小ぶりの土鍋が2つ並べられてしまった。
あの女中さては、店に勤めて日が浅いな!!
一人の客に米を二つ持ってくるなど、おかしいと思わないのか……と思った私がみた視線の先には、私と同じように土鍋が二つ並べられた人が。
も、もしや。これは理。
この店では、これだけ多くの米を扱っているので、普通は一つではなく二つを頼むものだとでもいうのか。
一つ頼むだなんて思わなくてとか言われてしまうのだろうか。
とりあえず、確認だ。確認をせねば。
ゆっくりと蓋を開けるとふわりと白い湯気をふっくらとした白米が現れた。
先に渡されていた、小さなしゃもじでかき混ぜると私は小ぶりな茶碗に米を盛り付ける。
ふむふむ、昨今は炊飯器なる家電で米を炊くようになって久しい。
土鍋でのご飯などいつぶりだろうか。実に懐かしい……
昔は、高い店ではこのように炊いたばかりの物を、手ごろな店ではおひつに入れられたご飯を食べたものだ。
口にいれると広がる米の甘味にうっとりとする。
うまい。
ではない、このままでは米が二つでおかずがないではないか。
とりあえず、もう一つも確認をと蓋をあけて驚いた。
湯気と共に立ち上るのは、まぎれもない肉の香りと、焼き野菜を覆う程の大量のちーずだった。
先に米を多少味わっていて時間が経っているはずなのに、そこは土鍋。
蓋を開ければ、湯気がのぼりて、ちーずもかたまることなく、とろとろで。
なんということだ、はんばーぐといえば鉄板という固定概念に縛られていたのは私だったのだ。
土鍋は保温性にすぐれ、温かさを保つ。
箸をいれると、ちーずが伸びる。その下から玉ねぎのすりおろししたはんばーぐのたれと、かぼちゃ、さつまいも、そして白色のあすぱらがのぞく。
野菜は後だ、まずは肝心の肉だ。
大きめに一口切り取りたっぷりのちーずとからめて、落ちぬように最新の注意をして口に運ぶ。
熱い。だがうまい。
ほふほふと行儀が悪いことになってしまうがそこはご愛敬だ。神力のおかげで私のことなどみな記憶に残らない。
熱くとろけるちーずと、玉ねぎのたれ。
そして、はんばーぐらしからぬ、ほっくりとした触感。
「あなや!?」
思わず驚きの声を上げてしまった。
「失礼」
周りに謝罪しほくほくとたべていく。
これは、蓮根だ。
それも、笹川の水で育てられている。なんとなつかしきことか……
30年ほど前までは笹川の水源では江戸中期から蓮根栽培が盛んにされていた。
最近は規模を縮小し、私の口には入らなくなっていたが。
お前、まだいたのかと懐かしい気持ちになる。
玉ねぎはたれに、肉の中にいれたのは、粗みじんの蓮根。
これは、よきよき。
最近はとーんとたべていなかったが、実に懐かしい味わいだ。
あぁ、本当に懐かしい。
志郎が亡くなって、私の声が聞こえるものが誰もいなくなって。
江戸の中期頃から街で沢山栽培されるようになった蓮根。
穴が開いて変わっている、ぜひ志郎に食べさせたいものだと思った味は、気が付けはこの辺りでは見かけなくなっていた。
時は移ろい、あれだけ当たり前だったものがある日全く見かけなくなるのは実に怖いことだった。
私の楽しい楽しい神卸による食べ歩きも、いつまでできるものではないと突きつけられているかのようであった。
そうか、そうかそこにいたのか。
小さな米の一粒まで大事に大事に食べて。私は席をたった。
「お支払方法は?」
でんしまねー? なんだそれは、とおもいつつも、私は財布からちょろまかしているお賽銭の一部から払う。
次は、この方法で金を払えぬかもしれなんな。
さて、気を引き締めろ。
家に着くまでがというやつだ。
そうでなければ、久々の懐かしい出会いに。
よきかなぁぁあああとかいいながら、勘三郎の身体をほっぽいて天に昇りて舞を披露しそうだ。
さぁ、行くぞ。
まだ私は百三十二段もの階段があるのだから。
秋の昼下がり。
神社の境内の一角で、私はいつものように勘三郎の身体からするりとすり抜けた。
勘三郎、今日もまことに大義であった。
お前の身体は都合が悪いなどと悪態をついてすまなかった。
今日の外出もまことにまことに、すばらしいものであった。
うんうん、よきかなぁ~としていると。
勘三郎がいつものように、ハッと目覚めた。
「今日も一心不乱に神卸の儀と向き合えた。それにしても、この年になると体中が痛い」
それは、先ほど階段を年甲斐もなく走ったからだ。すまん、勘三郎。
「髪も随分乱れている」
それも、時間がギリギリになってしまって慌てたせいだ、すまん、真ん中に寄せねばならなかったな。
「不思議と神卸の儀をした後は気持ちがいっぱいなのか、腹も減らない」
それは、先ほど沢山食べたからだな。すまん、勘三郎。運動はしたほうがいいと思うぞ。
「ん? なんだか肉の香りが……なんだこれ……」
まずい。焼き肉の時とちがいはんばーぐなら大丈夫だろうとふぁぶりーずなるものをしなかったせいだ。
まずい、ばれてしまうばれてしまえば、神卸の儀が……
おろおろとするする私のもとに、勘三郎の息子……なんだっけがやってきて、ふぁぶりーずをぶしゅぶしゅとやって。
ちらりとこちらをみて目があった気がした。
すまぬすまぬと両手をあわせてひらにひらにとしていると、息子のほうが笑ったのだ。
あぁ、どうやら、次は志郎以来に楽しい時間がきそうだ。
神様憑依飯 四宮あか @xoxo817
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