神様憑依飯

四宮あか

勘三郎は痛風

 笹川神社の御神体は直系3cmほどの手のひらに収まってしまうほどの小さな小さな――――鏡である。


 普段は社の一番奥に大事に大事に磨かれ飾られているだけの小さな鏡ではあるが……小さな鏡と侮るなかれ。



 平安時代にはすでにこの世に存在したという由緒正しき鏡だ。

 ご神体である鏡は真実を写すと言われており、江戸初期に宮司だった一宮 志郎という男は神から祝詞を賜り、その身に神を下して失せ物探し、盗み、火付けの犯人と様々な事件を解決したという逸話がある。



 といっても、神を下し事件を解決することができたのは一宮いちのみや 志郎しろうだけであり、その後同じように神の御身が宮司の身体に降りることはなく。


 神卸は昔は大勢の見物人がいる中で行われる神事であったが。

 今は、一月に一度。

 慣例に習い、神卸の儀を執り行うものの。

 昔とは違い、見物人などはおらず。

 小さな神社の境内で実に実にひっそりと、続けられている神事となっているのは表の話。



 平安時代に作られた鏡であり。

 笹川神社の御神体は付喪神となり、日々ご神体が祭られている建物の上に、ねずみを捕るように飼われた猫と一緒に寝そべり、人々の願いをただ聞き流す毎日だった。

 ところがどっこい、長い月日の流れゆえに何代目かとーんと忘れてしまったが。

 神をみることができるまなこをもった一宮 志郎が現れたことにより、意気投合。

 単体では、境内から出ることは叶わなかったものの。

 意思疎通ができたことで、その身に神を下す祝詞を教え、その身体をのっとって……ではなく、ちょっと間借りし。

 神の力を使いて失せ物探しや数々の事件を解決したのだがそれも遥か昔。




「かしこみかしこみ申す~」

 今の宮司、一宮 勘三郎かんざぶろうはもう五十三歳になる。

 頭髪の半分は白髪で、髪が薄くなってきたことをごまかすかのように左右のあっちこっちから、中央に髪を寄せ集める執念は、いったい彼を何に突き動かしているのだろう。

 老眼の進んだまなこには、近眼とのせめぎあいにより、ずっしりとした薄い玉が入った眼鏡がかけられており。

 眼鏡をはずすと、鼻の付け根にこれおど重き玉を支えた証である跡が必ずつく。


 大麻おおぬさが右へ左へと振られるたびに、五十肩は悲鳴を上げ。

 息は荒くなる。左右に拍子をとり振るだけなのに……だ。

 あぁ、なんとあわれなことか。


 神社というものはたいてい高台にあり、この笹川神社の境内まで続く百三十二段の階段も、今は数々の不都合に苦しめられている勘三郎だが、昔は風のようにのぼれたものだが。

 寄る年波には勝てず。四十あたりから勘三郎の膝は痛み、息は上がり、せっかく隠した薄き髪もそれどころではないほど乱れるありさまになった。


 毎月毎月律義に痛む肩の痛みを我慢し大麻を左右に振りながら、月に1度この糞めんどい祝詞を15分にもわたって読み上げ大麻を振ってくれるのは本当に、本当にありがたいのではあるが。


 他にもこの身体には不都合がある。

 でっぷりとせり出た腹、全体的にふっかりとついた肉の御身には健康診断でいくつもの要注意である星をいただけるほどだ。

 高血圧、めたぼりっく、糖尿病予備軍……とあげればきりはないが。




 一番あぁっとなるのが痛風だ。

 風が吹くと痛むとはうまいこと言ったもので、この身体プリン体というビールや魚卵に多く含まれている物質をちょいっととると、たちまち、足の指に常時痛みが走るというポンコツ使用なのだ。


 勘三郎の妻、はなはたいそう恐ろしい女性で。

 背脂ちゃっちゃのこってりと上手いラーメンでも食べてみろ、自身の身体を考えろと雷を落とされてしまうし。

 そうなると貴重な時間は華のご機嫌を取ることで終ってしまう。



 さっきから何をいっているかって?


 ようは、意思の疎通はできないが。

 神事により、神卸自体は成功しているということだ。

 神社の御神体であり付喪神であるこの私は、その時の宮司の身体を現在でいう2時間ばかし拝借できるのだ。



 勘三郎にすると、月に1度の神卸の儀を、この狭い神社の境内で2時間半にわたってしているつもりだろうが。

 実際は15分ほどで、神である私が勘三郎に見事おり、町に繰り出し軽くうまい物でも食べてここに戻ってくるというのをしているというわけだ。



 ただなぁ、勘三郎は悪い奴じゃない。

 隠し事も、毛髪が薄くなったことくらいで本当に宮司の鏡のような男なのだが、如何せん乗り移ったときがもうしんどい。



 最近はインスタ映えなるものが流行っており。

 肉がドーンとか、揚げ物からちーずがこぼれおちるような、勘三郎の身体にはたいそう悪そうな料理ばかりが私の食欲を刺激するわけだ。



 あぁ、私は何て悪い神なのだろう。

 一月に1度身体を借りて、つかの間の息抜きをさせてもらえるだけでもありがたく思わなければならないことは十分に解っている。



 それでも、痛風は嫌だ……

 ぽろぽろと、私の金の眼から涙が零れ落ちた。

 百三十二段の階段を上るときも、上がるときも指にグッと力がかかり、そのたびに痛風はしくしくと痛むのだ。

 身体を得て、境内の枯れ葉積秋の香りを楽しみたい、食べ物の秋だし、寒くなったら脂ののった食べ物がおいしいから、こってりしたものも食べたい。


 あぁ、しかし。勘三郎の身体はめたぼりっくというヤバい状況で、私が食べたいものを食べると寿命を縮めてしまうかもしれない。



 最近、どうも食事の後もったりすると思っていたのは、胸やけだし。

 もう、ちゃっと体借りて、バッと上手いものを食える身体ではないのだ。



(あ~肩痛い。肩が痛い。でも大丈夫、後もう少しすると意識が薄れて集中できる。)

 勘三郎の心の声が聞こえる。

 もう15分経ったから、身体を借りれるのだ。

 


 すまぬ、勘三郎。なるべく、なるべく五十を超えるお前の身体に負担にならない物をたしなむから、堪忍してくれ。

 そう唱えて、私は勘三郎の身体へとすぅーっと入った。


 軽かった身体がずっしりと重みを感じる。

 遠くまで見渡せた自慢の眼は、近くの物をみるときなかなか焦点が合わず、書物などはいったりきたり、ちょうどいい場所をさぐらなければいけない。


 昨日、神事の前の景気づけといってビールを飲んでいたけれど、案の定足の指はずきずきと痛風で痛む。


 借りていて申し訳ないが、もう嫌だこの身体。

 って、こんなことをしている場合ではない。

 時間は限られている。




 賽銭をちょろまかしたものを勘三郎の財布にいれて、気合を入れて、百三十二段もの階段をおりることとする。

 あぁ、頼む勘三郎。

 お主にはちゃんと跡取りがいるだろう。息子でも娘でもどっちでもいい。

 そろそろ神事を変わってもらっておくれ……



 そう思いながら私は、重い身体でえっちらおっちらと飛び出した。



 神事の日は朝から何も食べない決まりだ。

 さてさて、今日はどうしようか。


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