金蓮の足

スーパーボロンボロンアカデミィー

金蓮の足


 君が動くたびに、耳飾りが静かに揺れている。


 この間、俺が買ってあげたものだ。


 趣味じゃないと嫌がっていたけれど、やっぱり似合うじゃないか。


 耳飾りだけじゃない。


 艶やかな肢体に纏う桃色の薄衣も。

 形の良い唇を彩る口紅も。


 全部俺が買ってあげたものだよ。


 その中でも一際似合っているのが、君が履いているその靴だ。


 君に似合うと思って買ってきたんだ。


 ほら、よく見てご覧。

 真っ赤な布地に、金糸で縫われた蓮花の刺繍が可愛いだろ?


 金色の蓮の花だぜ。珍しいよな。

 君の名前と一緒だ。


 なあ、金蓮。君は本当に綺麗だよ。


 それこそ、金瓶梅に出てくる潘金蓮のようじゃないか。


 金瓶梅じゃなくて水滸伝だって?

 そうだね。でも、俺は水滸伝は好きじゃないんだ。

 水滸伝の潘金蓮なんてただの悪女じゃないか。


 金瓶梅を読んでご覧よ。


 潘金蓮は決して悪女なんかじゃない。


 笑い嘆き、ときに人を妬む。

 どこへでもいるような女さ。

 そういう感情を持たない人間なんて居ないだろ?


 潘金蓮なんてただの女だよ。

 金蓮。君もただの女さ。


 ……潘金蓮は私は違う?


 ああ、なるほど。

 君は俺が嫌いなんだね。


 それなら、俺を殺してここから逃げればいい。


 武大を殺して西門慶に嫁いだ潘金蓮のようにさ。


 君はどこにでも行けるんだ。


 その足で、うんと遠いところまで行ってご覧。






「おーい金蓮。酒を注いでくれよ。」



 空になった酒器を揺らすと、君は刺繍をする手を止めてこちらへ向かってきた。


 ふらふらと足取りはおぼつかない。


 たった数歩の距離だというのに、途中で何度も転びそうになりながら俺の元へ向かう。


 幼子のようにヨチヨチ歩く姿はなんとも可愛らしい。



「そうじゃないだろ?」

「はい……。」



 酒器に酒を注ごうとする君に向かって笑顔を向けると、君はすこしだけ不機嫌な顔をして靴を脱いだ。


 そうして、君は自分の脱いだ靴に酒を注ぐ。



「ああ、旨い。」



 靴に口をつけると、芳醇な香りがフワリと鼻を抜けた。


 ……ああ、なんて粋なんだ。


 君の靴で飲む酒は最高だ。

 今まで飲んだどんな美酒にも優るだろう。



「ほら、俺の上においで。」

「…………、」



 その足じゃ、立っているのも辛いだろ?


 寝台に腰掛ける俺の上に君を座らせる。

 まるで愚図る子どもをあやすような体勢だ。


 けれど、君が子どもじゃない事を俺はよく知っている。


 くびれた腰も。

 大きな尻も。

 型にはめられたこの小さな足も。

 

 君を君たらしめているもの全てが、女の形をしている。


 男の俺にはないものだ。


 だからこそ、こうして欲が湧くんだ。



「興奮するなあ、その感じ。」



 寝台に君を押し倒す。


 そのはずみで髪飾りが音を立てて床に落ち、長い髪がばらりと散らばる。


 いいね。とても、官能的だよ。



「…………、」



 いまに俺に犯されようとしているのに、君は顔色ひとつ変えない。


 ただ、黒曜石のような瞳で俺をじっと見つめるだけ。


 なんて強情なんだ。


 いつまでその澄ました顔を保っていられるか試してみればいいさ。



「……あっ、……う、ぐ…ぅう……ッ」



 すぐに君の顔は苦痛に歪んだ。


 目には涙がたくさん溜まっている。

 溢れた涙が頰を伝って、褥に染みを作った。


 君は俺をきつく睨んでいる。


 どういうつもりか分からないけど、君が思っているより俺は幾分も優しい男だぜ。


 辞めろと言われれば辞めてやるのに、それを言わないお前が悪いんだ。


 まあ、そんな目で見られたところで、俺は痛くも痒くもないから構わないよ。


 好きなだけ俺を恨めばいいさ。

 俺から逃げない君が悪いんだ。



「ひッ……ぁあ……っ」



 その殊勝な顔を、もっとぐちゃぐちゃに歪めてやりたい。


 下から強く突き上げると、悲鳴にも似た嬌声が部屋に響きわたる。

 

 君が声を上げるたびに、君の中は俺を強く締め付けてくる。


 ……ああ、最高だ。


 その小さな足で体を支えるために、ここが発達しているんだ。


 普通の女じゃこうはいかないな。


 金蓮。君は、最高だよ。







「君はさ、足が小さいから金蓮って名付けられたの?」

「はい……?」



 素足のまんまの足を撫でながらそう言うと、君は訳の分からないと言った顔をした。



「いくらわざと小さくしてるとはいえ、元々かなり小さかったんじゃないの?」



 金瓶梅の潘金蓮は小さな足が自慢で、自らの足を道行く男たちに見せつけ誘惑するのを楽しんでいたそうだ。


 その名は三寸金蓮9cmの足の女のいわれになったほどである。


 君の足も潘金蓮に見劣りしないほど小さく魅力的だ。


 色好みの俺は、今に至るまでたくさんの女を抱いてきた。


 素人だけじゃない。玄人もだ。


 俺はたくさんの女と数えきれないほどの夜を過ごしたけれど、君ほど小さな足の女は居なかった。



「そんな昔のこと……。もう、覚えていません。」



 君は悲しそうに目を伏せてそう言った。

 まあ、それもそうだろうな。


 だって、君が潘金蓮のような足になったのはもう何年も前のことだものな。



「それにしても、本当に小さな足だなあ。」

「……こうしないと、お嫁の貰い手がないと言われたものですから。」

「そんなんだから、君のお母さんも死んじゃったんじゃないの?」



 君の足をつついてそう言うと、君は悲しそうに目を伏せてしまった。


 君のお母さんも足がとても小さい美人だったという。


 ああ、可哀想だな。


 あんな足じゃなければ、逃げ遅れることはなかっただろうに。



「……うぅ……。」



 お母さん。お母さん。

 何度も小さくそう呟いて、君はしとしと涙を流す。


 どうして泣くかがわからないな。


 こんなの、よくあることじゃないか。


 戦で実家が滅んだなんて、ごくありふれた話だ。


 そうやって歴史は繰り返してきたんだからさ。


 むしろ、君は運がいい方じゃないか。

 俺が居なければ君はあそこで命の花を散らしていたんだよ。


 もしもあそこで生き延びていたとしても、君はきっと不幸になっていたね。


 汚い爺の慰みものになるのが関の山じゃないかな。


 その点、俺は有望株だぜ。

 俺は見目もいいし、頭だっていい。功績だって上げている。


 将軍の妻という席に座れたのだから、いいじゃないか。


 俺は暴力も振らないし酒乱でもない。

 俺が君を傷つけたことがあるかな。きっとないはずだ。


 それなのに、どうしてそんなに鬱屈しているんだよ。



「なあ。そんなに俺が嫌いか?……えぇ?」



 うつむく君の前髪を掴んでぐっと上に引き上げる。


 顔を一寸ないほどに近づけてそう言うと、君は涙がたくさん溜まった目で俺を睨んできた。



「……嫌い。嫌いよ。殺したいくらい、あなたの事が大嫌い!」

「じゃあ、俺を殺してここから逃げればいいじゃないか。」



 ドンと君を寝台に強く押しつけて、机に置いてあった小刀を君の前に投げた。



「ホラ、やれよ。武大を殺した潘金蓮のように、俺を殺せよ。俺を殺して、ここから逃げればいい。」



 君は、震える手で鞘に手をかける。


 けれど、なかなか鞘から刀を抜くことができない。


 しばらくがたがたと震えて、ついには刀を投げ捨てた。


 あれだけ威勢よく啖呵を切っていたというのに、君は俺に刃を向けることすらできない。



「君はどこにでも行けるんだよ。」

「……嘘つき。そんなわけないでしょう。」



 君はフイと顔を背けて、小さな声でそう言った。


 そのままゴロンと寝台に身を預ける。


 どうやら、臍を曲げてしまったらしい。

 足先を抱えて丸くなる様は、まるで幼子のようだ。


 君は俺を嘘つきと言ったけれど、俺は嘘なんてひとつもついていないよ。


 君はいつでもここから出れる。

 君はどこにでも行けるんだ。

 だって、君を縛るものはなにもないだろう?


 ……俺が怖いのかい?

 

 俺が怖いのなら、俺がいないときにこっそり逃げればいいじゃないか。


 いままでだってその機会はたくさんあったはずだ。


 それなのに、俺から逃げないのは君のほうだよ。


 いつのまにか不貞腐れて眠ってしまった君の小さな足を撫でてみる。


 この足で、ひたすら遠くまで行けばいい。


 俺の知らない、どこか遠くへ逃げてみろよ。






 その晩、俺は夢を見た。


 広い部屋の中で、俺は椅子に座って刺繍をしていた。

 

 誰かが俺を呼んでいる。


 立ちあがり声のする方に歩こうとするが、上手に歩くことができない。


 足元を見ると、俺の足には枷がついていた。


 なんと不便な。

 これじゃ歩くこともままならないじゃないか。

 

 ヨチヨチと幼子のような足取りで、俺は懸命に声のする方へ向かう。


 歩いていくうちに、足がどんどんと痛んでいく。

 足元を見ると、足枷が纏足靴へと変わっていた。


 三寸ほどの小さな靴は、真っ赤な布地に金糸で蓮の刺繍がされている。


 これは、俺が君に買ってあげた靴だ。


 ああ、いま俺は君なんだな。


 こちらへおいでと呼ぶ声が、部屋の外から聞こえてくる。


 部屋の外は、すぐ近くだ。

 あとたった数歩で、ここから逃げることができる。


 そのはずなのに、俺は歩くのをやめてしまった。


 この足纏足では遠くに行くことができないとわかっているからだ。





 俺は寝台に横たわり、ぼんやりと天を見つめている。


 俺は床に伏せていた。

 もう、起き上がることはできない。

 じきに俺は死ぬだろう。


 原因は、前の戦で足に負った矢傷だ。


 あれほど酷く痛んでいたというのに、今はもうなにも感じない。


 ただ、ひたすらに眠い。

 目を閉じたら、俺はもう二度と目覚めることはないだろう。


 それにしても、足が原因で今にくたばろうとしているなんて、皮肉なものだ。


 いまに死出の旅に出ようとしているのにも関わらず俺は憂虞することはひとつもなく、悠々としていた。


 元より生に対する執着はない。死を恐れたこともなかった。


 ……ああ、眠い。

 永遠の眠りが、もうすぐそこまで来ている。



「金蓮。」



 椅子に座って刺繍をする君を呼び寄せる。

 

 君はふらふらとおぼつかない足取りで、何度も転びそうになりながら俺の元へ向かう。


 君の歩く姿も、これで見納めだ。



「旦那様……?……ッ、」



 君は俺の顔を見て、わずかに目を見開いた。


 賢い君は、俺がもう死ぬということをわかってしまったようだね。


 君はじっと息を呑んで俺を見つめている。


 最期に君に言いたいことがあるんだ。



「……もう君は、どこにでも行けるよ。」



 そう言い残して、俺はゆっくりと目を閉じた。


 君が、どこにも行けないことを俺は知っている。

 

 愛しているよ。

 君は一生、俺から逃げられない。


 


 



 

 

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