【読み切り短編】ヨモツヘグリ

山鳥 雷鳥

魅惑の※※※

 事実とは小説よりも奇なり、とは本当によくできた言葉だと思う。

 大きな屋敷の中で一人寂しく、やつれた私はそのような言葉を思い出す。

 本と筆を手に持ち、静かに大きな月夜が広がる空を眺める。

 そういえば、あの日も今日のように、綺麗な月夜の日ではなかっただろうか……。


 ゆっくりと、今のようになった経緯を思い出す。

 私が世界の様々な風景をこの目にして、本にしたい、という願いのためだけに、名門の家を飛び出し、様々な国々を旅していた時だった。

 今日のような綺麗な星々と月が輝く中、とある山道を歩いていた時、私は不思議な茶屋に出会った。


「いらっしゃい、なにを?」


 私が静かに茶の椅子に座ると、店番をしていたかわいらしい女の子が温いお茶が入った湯呑を渡してくる。


「んくっ、そうだな……この三食団子を貰いましょうか」

「わかりました」


 私は出されたお茶を一気の飲み干し、乾いた喉を潤すと甘味欲しさにそのように答える。

 店番の女の子は、私の注文を快く受けると店の奥へと消えていき、私は満月の下で山の香りを堪能しながらも、もう一つ置いてあった湯吞へと手を伸ばし、湯呑に口につけ、温いお茶を体の中に流し込んだ。

 歩き疲れた足を休めるように、ゆっくりとしていると、お待たせしました、とかわいらしい声が店の奥から聞こえる。

 私の視線は爛々と輝く月から出された団子にゆっくりと移し、団子の串を手に取り、大きく口を広げ、団子を頬張る。


「ん~、んまい」


 口に入れた三食団子は、仄かな糖の甘みが口の中に広がり、僅かな甘みと餅の柔らかくも、素人感のある固まりがより団子としての美味しさを強くする。

 それが今までの疲れを吹き飛ばすように幸福感を満たしていく。

 そして、口の中にある甘みを洗い流すかのように温いお茶を飲み干すと、静かにそれを悟った店番の女の子は静かに空となった湯呑を下げる。

 代わりに熱いお茶の入った湯呑を傍へと差出し、店番の女の子は再び店の奥へと入っていく。


 もちゃもちゃと、三食団子を食べ、淡い糖の甘さを口の中に広げながらも、月夜の下で団子を堪能し、熱いお茶を飲み口の中から甘味を何度も消す。

 その度に再び団子を口の中に入れてみる。

 すると、先程の甘さが再び口の中にやってきて、より強い甘みとなって広がっていく。

 ただ小さな甘みが今、私の口の中では濁流のように広がり小さな糖の甘みと餅本来の甘さと合わさり、より強い甘みへと変化させる。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様です」


 団子を食べ終わり、最後に手を合わせ、食後の挨拶を済ませると静かに立っていた店番の女の子は、返事を返してくれる。


「これぐらいでいいかな?」

「はい、大丈夫です」


 私が懐から僅かに持っていた賃金を渡すと、店番の女の子は白くも温かい指で、それを受け取る。

 さて、もうそろそろ行くか、と腰を上げようとした瞬間、店番の女の子は、お待ちになってください、と言う。

 はて、なぜか? と胸の奥底で首を傾げながら、店番の女の子の方へと首を向けてみると、女の子の手には一つの大きな風呂敷があった。


「これは?」


「お握りです」

「お握り?」


 店番の女の子が渡してきた風呂敷の中には、三つの竹皮に包まれていた物が入っており、私は一つ手に取り、紐を解く。

 すると、そこには月光に照らされ銀色の輝きを放つ三個のお握りがあった。

 美しく透き通るような純白の米粒が一つ一つ輝いているように見え、見ているだけでも膨れた腹を空かさせてしまう。

 濃緑色の海苔もまた、純白のご飯と対比になっており、まるで、黒い着物を着るかぐや姫のようで、食べるにはもったいないと思わせるものがあった。

 とはいえ、もったいないという気持ちと湧き上がる食欲に私は、昂る気持ちを諫め、静かに竹皮に包み始める。


「けど、なぜこのようなものを渡すのです?」

「それは旅人さんがこの先でお腹が減った際に、そのお握りを食べてもらえれば助かるかな、と思いまして」


 なぜかと思い、店番の女の子にそう問うと、彼女は優しそうな表情を浮かべながらそう答えたのです。

 その優しさに私は、つい眼から涙を溢れ出しそうになってしまうが、必死に眼の奥に塞き止めました。


「けど、約束が一つだけあります」

「約束?」


 ふと漏れる店番の女の子の言葉に首を傾げる。

 それは一体、どういうこと? と私は口にすると、女の子は約束の内容を口にする。


「このお握りは、一日に三回、朝、昼、夜、時を置いて食べなければ、あなたの旅を不幸にします」

「不幸に?」

「はい、それがどのようなものかは、わかりませんが」


 では、と不穏なことを最後に、店番の女の子は私の問いなんて聞かずに逃げるように店の奥へと入っていきました。

 残されたのは、渡された風呂敷。

 中に入っている魅惑的なお握りに私は、ごくりと喉を鳴らしながら、その茶屋を出て行きました。


 茶屋を出て行き、暗い山道を月光を頼りに歩き続ける。

 気味の悪い風が、私の頬を撫でる様に通り抜けて、背筋が震えるような感覚を抱きながらも、山を降りて行き、ふと目の前に大きな湖面が広がっていた。

 綺麗な朧月が湖面に映り、まるで、目の前の風景が泡沫の様に、ほんの少しでも目を離してしまうと泡のように消えてしまうのではないかと思う程、綺麗で美しく神秘的な場所だった。


「そうだ、この風景を本にしよう」


 目の前の風景を目にしながら、頭の中で浮かべる不思議な世界。

 構成と人物、言葉の羅列を考え始める。

 一言一句、真剣に考え続け頭の中で物語を構築していく。

 これはいい、と内心、良作ができたと思いながら、懐から一枚の冊子を取り出し、そこに頭に浮かんだ物語を書き込んでいく。

 あの時の私の手に持つ筆を誰よりも早く動かし続け、溢れ出す文字の羅列たちが私の思考を包んでいた。

 ただ目の間の風景を、ほんの少しでも残したかった。

 手に持つ筆を動かし、文字の端が擦れていようとも、私は手に握った筆を止める事は無かった。

 それはもう、辺りが徐々に霧に包まれているという事にも気づかずに。

 物語を書き終えた私は、自分の作品に満足していると、ぐぅ、腹の虫が鳴り始め、渡された風呂敷の中から竹皮に包まれた御握りを取り出し食べ始める。


「む! みそ汁の味⁉」


 手の近くにあったおにぎりから手に取り口の中に入れると、それは、温かい味噌汁の味がした。

 温かい味噌と具材の風味たち、そして仄かに鼻腔を突き抜けるかつお出汁もこの味噌汁の味を強くする。

 だがそれよりも、御握りの中に味噌汁が入っているのだろうか?

 冷たい御握りから、まるで母に作って貰ったかのような温かい味噌汁の味が溢れ出す。

 私はそれに驚き口からおにぎりを離し食べかけのおにぎりを見る。

 だがそこには、味噌汁の具材もましてや味噌汁のような液体物は何一つ無かった。

 なのに、何故か、このおにぎりから豊潤な味噌汁の味がした。

 温かい味噌汁が口の中できちんと、知るとして感触があったのに、私の瞳の先にはなかった。

 

「え? 確かに味噌汁の味がしたのだが………」


 だが、私の目の前には無い。

 もしかして、狐でも化かされたのか? と思いながら、私再び、御握りへと口をつける。

 すると再び、口の中に広がる味噌汁の味。

 まるで米粒を噛む度に、味噌汁が溢れ出すように、口の中で米粒とその味噌汁の味わいが溶けていく。

 それからは消えるのはあっという間であり、手に持っていた御握りを消してしまう。


「次はこれを食べてみよう」


 不思議なおにぎりの味わいに私は驚く。

 だが次は一体何が来るのかと言う期待を抱きながら、真ん中のおにぎりを手に取る。


「これは、鮭? 焼き鮭か……あまりにも普通だが、やはり、何も入っていないのか」


 真ん中のおにぎりを手に取り口の中に入れると、それは何ともありふれた味わいだった。

 焼き鮭。

 おにぎりの中身としては、ごく普通で当たり前の産物であったが、今まで食べてきた物の中でも極上の味が口の中で広がっていた。

 中身のないおにぎりを食べながら、口の中に広がる塩見のある脂、硬くも無く柔らかすぎない不思議な味わい。

 まるで鮭の生き様が口の中に広がるように、潮の味わいと水、そして肉に引き締まる脂の味がとろりと口の中に溶けていく。


「うん、旨い」


 私はそう言いながら、指の先についた鮭の脂を舐めとる。

 身の入っていない鮭のおにぎりを食べきると、最後に残されたおにぎりを目に入れる。


「これには一体、何が入っているのだろうか?」


 そう期待を寄せながら眺める最後のおにぎり。

 興味をそそりながら、おにぎりを手に取ると、そのまま口の方へと入れる。

 

「…………味がない?」


 何も味がしない。

 先程までのおにぎりとは違い、何一つ味がしない。

 だけど、おかしいことに、私はそれを言葉にできないほどの美味に感じることがあった。

 なんといえばよいのだろうか? なんと表現すればいいのだろうか?

 じゅーしー? さくさく? ぼりぼり? ふわふわ? やわらかい? かたい? 

 感じたことない食感に首を傾げながら、必死に中にある味を探す。

 だが口の中は味もない食感が、味のある食感に変わる。

 甘い、辛い、苦い、酸っぱい、いろんな味が口の中に広がり、鼻腔の奥底を通り抜けていく。

 不思議な味わい、不思議な食感、まるで頭の中を深いもやみたいなものがかかっていくように感じる。

 

「……あれ? もうないのか?」


 ふと気づいた時には、私の手からはお握りは消え、残ったのは、それを包んでいた竹皮のみ。

 一体、どこに? と首を傾げて見せるが、答えは見つからない。

 だがあの味が忘れられない。

 口の中からは涎がたくさん溢れ出る。

 また食べたいと私の体が欲している。

 喉を鳴らし、もう一つ、お握りが欲しくなる。

 そうお思い、風呂敷の中に手を入れる。


『一日に三回、朝、昼、夜、時を置いて食べなければ、あなたの旅を不幸にします』


 だが、その手を止める。

 ここで手に取り、食べてしまうと私は一体、どのような結果になってしまうのだろうか?

 店番の女の子の言葉が脳裏を過る。

 どうなるのだろう? 気になる。

 だがそれ以上に、身に降りかかる不幸とやらが恐ろしくてたまらない。

 今この場において、私は興味よりも恐怖が上回った。

 背筋を感じたことのないほどの寒気が走る程、まるで体力が貪っていく。

 まるで開かずの袋を開けてしまい、見てはいけないものを見てしまうかのような感覚にとらわれる。

 本当に開けていいのか?

 本当に食べていいのか?

 自らに降りかかる不幸がわからない。


 ごくり、


 喉を鳴らす。

 せっかく止めたその手を再び動かし、風呂敷の中に竹皮に包まれたものを手に取る。

 今までに感じたことのないほどの鼓動に、私は胸を高鳴らしながら紐を解くと竹皮を開き始める。

 

「これは餅か?」


 竹皮の中に入っていたのは淡い小麦色の餅が入っていた。

 不思議なことに、餅は温かった。

 先程まで冷たかった御握りとは違い、まるで先程まで焼かれていたと勘違いできるほど、温かった。

 だがこれが餅かと言われれば不思議と首が回る。

 私の手にあったのはどこか小麦の香りがする。

 私の記憶には、こんな餅は記憶に無かった。

 似たようなものは饅頭、だろうか?

 だが私の手にはもちもちとした感触。そして、ねばねばした感覚。

 饅頭と言っても、饅頭の食感じゃない。

 竹皮から取ろうとすると、もっちりとした触感が手に走り、手触りが良く先程までのねばねばとした感触が無い。

 

「……なんだこれは?」


 目の前の不思議な食べ物に、首を傾げながら口に含む。

 瞬間、電流が走った。

 感じた事の無いほどの柔らかい触感に私は驚きを隠せなかった。


 ただ旨い。


 甘いとか、辛いとか、苦いとか、酸っぱいとか、そんなものでは語り切れないほどの旨味が口の中で広がる。

 餅のような食感に、小麦のような香りが口の中に広がる。

 まるでみう義畑の真ん中にいる様な、そんな感じが。


「旨い………旨い」


 これから先は何とも記憶が無い。

 旨い。

 旨い。

 旨い。

 頭の中が霧が罹ったかのように、ただ目の前の餅のような物を食べていた。

 食べきった時にやっとの目が覚めたように、目の前の無くなった餅を見ていたが、空腹感が沸き上がる。

 我慢できない程の空腹感が、再び風呂敷の中にある竹皮を手に取り、紐を解く。

 涎が垂れる。

 ありえない程の空腹感が腹の中か沸き上がる。

 我慢していたはずの感覚はもう既に私の中から消え去っており、何度も何度も食べ続ける。

 頭の奥底には徐々に霧が強くなり、そのまま、私の視界が徐々に辺りに舞う霧に包まれた。


 目が覚ますと、私は山を下りていた。

 道の端で目が覚めた。

 呆然としている頭の中は、ふと店番の女の子の言葉を思い出す。

 もしかして、どこかおかしい所でもあるのだろうか?

 急いで体を触ってみるが、何も変化はない。

 腕も、足も、見た所おかしな所は無い。

 声も、視界も、辺りの草木の臭いも感じることができる。

 別に可笑しい所も無い。

 だがどことなく不穏な感覚が残る。

 拭えない店番の女の子の言葉に気持ちが収まらない。

 胸の奥が騒めく。


 ぐぅ、


「腹が………減った」


 唐突になる腹の虫。

 まるで、昨日から何も食べていないかのような空腹感。

 体の中に何も無く、只空っぽな器だけが残されたかのような感覚だ。

 

「近くに、食堂は無いのだろうか?」


 ふと鼻腔擽る温かい香りに私は近くの食堂に向かう。

 食堂に入ると、朝餉の準備をしているのか、店内は白い湯気と米と味噌の香りがする。

 近くにあった席に適当に座ると、私は店番に話しかける。

 

「すみません」

「はい、なんでしょうか?」

「この………鮭の定食を一つ」

「分かりました!」


 店番は元気よく声を上げると厨房に居ある店の主人に伝達を行う。

 店主は、すぐに料理の準備をしてくれ、私の前にいつも見る優しく美味しそうな料理が立ち並ぶ。

 不愛想に店主は何も言わず次々と料理を出す中、庶民的な朝の料理が並んでいく。


「では、いただきます」


 立ち並んだ料理に私はごくり、と喉を鳴らすと手を合わせて挨拶を行う。

 挨拶を行うと、置いてある細枝のような橋を手に取ると、並べられた料理に橋を突き立てる。

 純白の白米に箸を突き当て、とると白い湯気と仄かに美味しそうな匂いが香りだつ。

 空腹な自分には最高のスパイスがあり、喉を鳴らしながらその白いご飯を口の中に入れる。

 あぁ、これで満たされる。


「?」


 だが私は、あることに気づく。

 味がしない。

 何一つ味がしないのだ。

 香りは楽しめるのに、空腹感はあるのに、口の中にある米の味がしない。

 いや、するのであるのだろうが、感じ取れるのは美味しいものでなくなぜか土の味がする。

 不味い。

 出された料理、全て味がしない。

 代わりに言ってはなんだ、土の味がする。

 吐き気がする。

 砂利のような食感、土のような味、泥のような汁、出された料理が美味しく感じられない。

 私は鮭の定食を注文したはずなのだが、味がしない。

 何もしない。

 だからと言って残すのは悪いと、私自身、出された料理を完食する。

 

「ご馳走様……」


 食べ終わる時には、周りは既に客に溢れており、美味しい美味しいと声を上げる。

 だが私には出された料理が美味しく感じられない。

 周りはあれほど美味しいと言いながら食べているのに、私の舌は何も感じなかった。


 それ以降、何を食べても美味しく感じなかった。

 いくら食べても私の腹は満たされることはなく、毎日、私は食べるものが減っていき、どこかの野道で倒れた。

 近くを通りかかった人に偶然助けてもらい、病院に担ぎ込まれ、医者に診てもらうと私は栄養失調により倒れてしまったらしい。

 それ以降、私は歩くことをやめ、飛び出した家へと連れ戻された。

 家に戻されても私は何を食べてもすぐに吐き出し、来る日も来る日も私はやつれていった。

 やつれていく中、私はあの時出された料理は黄泉戸喫だったのかもしれないな、と思いながら私は誰も来ない床に伏せ、瞼を閉じた。


 とはいえ、あの美味しさには自らのせいさえも投げ捨てたいほどのものがあり、また機会があれば、あの食べたことのない不思議な味を感じたいものだ。

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【読み切り短編】ヨモツヘグリ 山鳥 雷鳥 @yamadoriharami

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