かれいなるかれいや

かさのゆゆ

第1話


 しおだしょうこ。♀(仮)。

職業、ジョブホッパー 。

時に接客、清掃。時に単発派遣。ほぼ無職。年齢29歳。

いまだ実家暮らしの精神障害、発達障害持ち。

仕事面でのミスも笑えない程多く、仕事先の客や職員にも迷惑ばかり掛けている給料泥棒。

今までは“若いから仕方ない”と、年齢にだいぶ救われてきた。

だがそんな彼女も、じき30。今までは(表向き)許された自身の立場や失敗も一層許されなくなり、彼女に対する世間の目も、ますます厳しいものに変わっていく。

この先なんとか生き延びたとしても、しょうこのような独身女性に待っているのはきっと、耐えがたい絶望のみの余生。

 


 超高齢社会、にも関わらず女性に対して異常なまでに若さと美しさを求めるこの世界。幼さ、若さ至上主義の男性も多いこの世で、女性が加齢と共に生きることは大変不利であり、醜く腐っても尚、公開処刑され続ける生き地獄でもあるのだ。

元から容姿も劣、愛されスキルもない無能、且つ既にハンデ持ちの未婚女性なんて、年を重ねていけばいく程、世間もただ邪魔でしかない廃棄物として鼻をつまみ、しいては害虫専門業者などに駆除をも願うのだろう。


“消えてしまいたい。

死にたくはない。けど、生きていたくもない。

自分はただ満たされた頃のままに、すーっと消えてしまいたいのだ。”



 しょうこは今日もそう心の中で繰り返す。



“30手前になってしまった。もうぎりぎりだ。”


避けられない加齢。

しょうこはここ数年で、今までとの明らかな違いも痛感していた。

「君大学生? バイトしてて偉いねぇ」と褒めていた客のじいさんも、「その年でまだバイトか。ちゃんと定職ついて早く結婚した方がいい」と諭してくるようになった。


“もう若くないんだから。”


“いい年してそんなことも分からないのか。”


”その年でそんなこともできんのか。”


“どうりでいまだ貰い手なしの独身なわけだ……。”


 加齢によってますます浮き彫りになっていく同世代、年下との格差。容赦されなくなっていく“訳あり”。

まだ30歳、じゃない。もう、だ。

楽に逃げることさえできないこの現実への恐怖にも、常に苛まれる日々。

世間による、しょうこのような人間に対しての差別や偏見、風当たりも、まだまだ根強い。


 失っていくだけの人生、孤独な苦境に堕ちてくだけの人生なんて、とても耐えられそうにない。

そんな余生なら、いっそ味わいすぎる前に、ひどく苦しむ前に、この世界から消してほしい。


点滅する他所よそ様の濁り街灯にまでたかって、ブンブン騒音を立てる目障りな害虫。


“ごめんなさい。在てしまって。ごめんなさい。死ぬ度胸もなくて。

ごめんなさい。ごめんなさい……。”


 


 しょうこの母親はかまってさんの介護福祉士で、一見(また自称)いい人だが、根は差別的で、偏狭な固定観念にしばられたタチの悪い俗人。

多忙を大袈裟によく嘆き、知人らとも、毎日愚痴や陰口などを、長々と共有している。

同情されることを好み、自分の苦労話もまあ盛大に話すこと。

そのわり、芸能人のネット上の不確かな経歴を検索しては勝手に見定めたりと、無駄な暇はもて余している模様。

家に帰ってきても口を開けばネガティヴな小言、自分だけがこんなにも大変で、頑張ってあげてるんです自慢。

兎に角自分の話が大好きで、人の話は聞かず、常に話題は自分に持っていく、承認欲求と自己顕示欲も強すぎる自己愛女。

だが、そんな母親でも娘のしょうことは違い、既婚の子持ち。ひとつの職場に最低でも5年は居座れる、しょうこよりも社会性、必要性ありとされる人材だ。


 地元の小さな老人ホームで働くそんな50代。それでも彼女の口からは、ごく稀に興味深い内容も聞く。


それは主に利用者の話題からである。

家族からも見捨てられた、身寄りのない老人の話だったり、性格に難ありで、皆から嫌われている老人の話だったり。

また仕事柄、しょうこの母親は老人の死にも数多く立ち会っており、彼女曰く、亡くなる老人は、亡くなる少し前から独特の“異臭”を放ち出すとのこと。

そして、死にゆく老人を何人も看てきた彼女は、ある日こうも口にした。

「こういうところで働いてると、人は死ぬときは死ぬということがよく分かる。

こんなにも呆気なく死ぬんだって実感するから、死が以前より身近なものに感じるようになった」と。

 


 しょうこの父は一人経営の自営業者のため、将来年金も殆どなし。

しょうこと父は色々あり親しくないが、数年前までは、たまに一緒にスーパーやコンビニに行ったりしていた。


 しょうこの心に今も強く残っている、父からの近年の言葉がいくつか。


「自分達はもう衰えていく一方で、あとは死へと下っていくだけ」


「働いても働いても何も残らない。働いてるのが馬鹿らしく思えてくる」


 ――など、やれネガティヴなものばかり。

どれも世知辛い現実を遠目で悟るような悲しい言葉で、これらも日々、しょうこの心をえぐる棘の数本となっている。

母も父も自身の年齢、現状を卑下し、年齢を理由にして諦めてしまう事が年々多くなっている。

両親の加齢、加齢へのネガティヴ発言も、実際に見聞きしては辛くなっていく一方。

弱っていく二人に未だ負担しか負わせていないしょうこは、己の存在にも、ただただ殺意を感じていた。


“主な死因、自己嫌悪。”


 社会的にも精神的にも、しょうこの死亡はとうに確定してるようなもんだ。なのに肉体は拘束され、吊るされ、ジリジリと嬲り殺されていく末恐ろしさときたら。


“金なしゾンビ、税金吸って延命――なんてのも、断固御免だというのに。”





 この通り、とことん悲観的、ネガティヴ思考しかできない三十路。

そんな女、しょうこが数年前から抱いている、とある持論。


 それは、「女性はティッシュ箱で脆く作られたロボットのよう」だということ。


どんなに飾って香らせて、便利なロボットを演じても、所詮は安価な使い捨て。

都合のいい時だけ社会と男はティッシュを必要として、不要となったら容赦なく潰してポイ。

中身がすぐ空っぽになってしまうティッシュ箱もあれば、僅かながら紙を残すものもいる。だが、それらも結局、自分の涙でしおれ消えていく。

拭ってくれるものもいないから、自分で拭くしかない。

やがて涙は箱をも溶かし、全体もろともシワシワにしてしまうのだ。


外も中もボロボロの残骸で、男、若者、社会からも貶され、潰される末路。

何度も踏まれ、悉くくしゃくしゃにされようとも、その存在は残ってしまう。

醜く残ってしまうくらいなら、跡形もなく消えた方がまし……。そうどんなに嘆いても。


だから“壊れたティッシュ箱、ないし手づくりロボット”は、今日もガタガタ震えながら、型を演じざるをえないのだ。燻る煙を発煙筒のように吹き、ギリギリ、ブスブスと。来もしない助けを切に求めながら――。

  


 この世界は壊れたロボットで溢れてる。

新品でまだ丈夫なロボット達や、心ないロボット達から、心身共に、どんなに粉々にされようと、

それでも消えられず泣いているティッシュ箱で溢れている。


 なんて哀れな性だろうか。

 なんて虚しい生だろうか。

 

人生100年時代”なんて美化しないでほしい。

長生きなんか、大抵いいもんじゃないのだから。”


 中途半端な年齢で苦労したまま死ぬのも辛いが、苦労にまみれた長生き、惨めな長生きをするくらいなら、とっとと“安らかなる死”を選択した方がマシだったりもする。

安楽死は合法にするべきなのだ。しょうこの両親も、その考えは娘と同じだった。







 と、この通り、持論も拗らせすぎた小心者、どちみちお先真っ暗な♀(仮)、しおだしょうこ。

生涯独身。学歴、経歴共になし。

正社員になれたことも、未だ一度もない無能。

いや、彼女自身、体裁のためにも、将来のためにも、早く正社員になるべきなのは分かっているが、なかなか行動にも移せず、無論自信もあるはずなく。だらだらと、甘ったれ非正規を続けてしまっているのだ。

“どうせ自分なんて、正社員にもなれるわけない。

でも自分みたいな奴が人様の税金で、何様無職になるわけにもいかない――。”

 こうして、仕事、金銭面に対しての焦燥感や不安も、しょうこの中で計り知れないほど莫大なものとなっていった。



 だからこそ、30歳目前、だめもとだが、しょうは就活をはじめた。

 そして誕生日を数日後に控えたある日、彼女を採用するという企業がついに現れる。






 埼玉県発で、全国にも展開しつつある人気カレー屋さん、『かれいなかれ~や』。

激安なのに味も美味しく、若者にも人気の高い店。


自分等の将来も踏まえ、以前から娘に自立を促していた両親は、しょうこが正社員として働けそうであることを、非常に喜んだ。そのため、内心働ける状態でなくとも、しょうこは内定を承諾し、実家を離れざるを得なかった。


 初めての正社員。久々の一人暮らし。

 だが、正社員として入社したしょうこは

すぐに知ることになる。

決して知られてはならない人気カレー屋さん『かれいなかれ~や』の秘密を。












 『かれいなかれ~や』の真実。


『かれいなかれ~や』は、誰にも看取られることなく亡くなった、引き取り手もない孤独な老人や、寝たきりなどになってしまった身寄りのない老人、病人らの骨や肉を使って運営されていた。(自然死の人もいれば安楽死を施された人もいる。自殺した子供や若者、中年、初老の体も、特に多い。)

老若男女、社会に見捨てられた障がい者、独り身の肉なども使われており、高齢や病により介護が必要、あるいは延命措置が一層困難となるも、医療費もろくに支払えず、厄介払いとして施設、病院から『かれいなかれ~や』に運ばれた貧困層の体も多かった。

 また、主に食材となるのは、薬の影響がない(もしくは少ない)人体であり、影響の多いものは、遺体の偽装、カモフラージュ用などにも回されていた。

 




 この世界では、必要以上に老人が生きながらえ、増えるべき子供や若者が多く亡くなっているのも、また事実。

 再三申すが、長生きなんてのも大概、美徳でもなんでもない。

“老害”、“憎まれっ子世に憚る”等の言葉が存在することも、それを大いに物語っているように。

 

 増えすぎた(増えていく)老人の数を減らしていき、若者の今後の金銭的負担を少しでも軽くするために、政府もあえて『かれいなかれ~や』の犯行を黙認していた。

 ただ、生前から死してなお、誰からも必要とされなかった者、居場所のなかった者、生きられなかった者にとっては、

自分らの体が“役立つ美味いカレー”となり、それらを食べてくれた若者の血肉、骨となるのは、いわば未来への貢献でもあり、彼らに存在価値を見いだしてくれる、唯一のティッシュの欠片でもあった。


 『かれいなかれ~や』の行い、存在は、一般的に見れば決して許されるものではないが、ある老人や病人、障がい者、彼らの身内、医療従事者に介護士、その他貧困層など社会的弱者、マイノリティ層にとっては意義あるものであり、救済や解放の場でもあった。

 だからこそ、当事者であり、関係者にもなってしまったしょうこも、黙秘するしかなかった。





 

 しかしある日、しょうこの母親の勤務する老人ホームにて、不可解な出来事が、とうとう発覚されてしまう。

しょうこの母親を可愛がってくれていた、一人のおばあちゃんの老死によって。
















「ありがとね。おばあちゃん」


 しょうこの母親はおばあちゃんを看取った後、おばあちゃんの顔と手をなでて最後のお別れをしていた。

おばあちゃんは独身だったため、遺体は葬儀屋が引き取る予定となっていたからだ。


「では、あとはよろしくお願いします」



 自分の仕事はここまで。そう肩を下ろした次の日だった。

おばあちゃんの息子を名乗る初老の男性が施設に現れ、突如「おばあちゃんを引き取りたい」と言い出したのは。


 おばあちゃんが昨日亡くなったことを伝えると、男はおばあちゃんとの幼い頃の写真、二人で笑いあっている写真を見せ、「実の息子ではないが、家庭環境のよくなかった自分を息子のように愛してくれた。だからやっぱりほっとけない」と低い声を震わせた。


“自分も娘のように可愛がってもらった身。ここはおばあちゃんのために。”


 しょうこの母親は急遽葬儀屋に連絡し、男性と二人で、おばあちゃんの遺体を安置所へ取り戻しにいく。

 だが時既に遅し、おばあちゃんの火葬は済まされていた。


 業者から渡されたおばあちゃんの骨を見て、男性は涙を流すが、その骨に、母親はなぜか違和感を感じる。

 ところどころピンク色が残る骨。

健康だったおばあちゃんの骨に、こんな色がつくものなのか……。


 後日、しょうこの母親は職場の仲間に相談するも、

「そりゃ長く生きてればあり得るでしょ。おばあちゃん服薬は自分でだったし、私たちも骨の色までは確認できないんだから、仕方ないって! 」 と、楽観的に返される。


 そして幸いなのか、不幸なのか、ここで(しょうこの発達障害は母親からの遺伝でもあるのかもしれない)、しょうこ同様に頭が回らない母親は、なんとなく納得してしまうのだった。

 






 しばらくして、おばあちゃんの件を、またふと思い出した母親。

誰かに話したくなり、彼女はたまたま気が向いた娘、しょうこの元に電話をかけた。





「どう? 正社員としてうまくやれてる? 」




「……大変だけど、前よりお金はもらえてるし、頑張るよ」




 おしゃべりな母親に、余計なことは言わない。




 「施設のね、好きなおばあちゃんがちょっと前に亡くなっちゃったんだけど、骨がピンク色でびっくりしたの。元気で薬もほとんど飲んでなかったのに」



「そうなんだ」



 しょうこは、ただ相づちだけをうつ。


 母親も信用できないため、決して、店の事実は話せない。

自分なんて世の中に必要ないクズ。この思いは正社員として働いたって変わらない。きっとこの先があれば、もっと――。

それでも、30歳の自身の命をなげうってまで国家機密レベルの事実を公にしようと考えられるほどの、捨て鉢なる自己犠牲、覚悟なんぞも、しょうこには到底持てなかった。








 しょうこは電話を切る前、母親にただひと言のみ伝えた。


「日曜日帰るから、皆で『かれいなかれ~や』行こう」









 そして迎えた日曜日、午後六時過ぎ。

父も母も仕事を終え、3人は父の車、心配な点が増えた父の運転で、近所の『かれいなかれ~や』に向かった。



 日曜日の店内も、多くの若者、子供連れ、カップルでにぎわっていた。



 「うま~」


「めっちゃおいしいよねこれ」


「うんうん!」


「「ごちそうさま~」」


「おう!また来いよ~!」


「おっちゃん、ごちそっさまっ!」


「おうよ~! ありがとさんっ! 」


「おまたせしました~!“特盛チーズ・にくにくカレー”に、“山菜にくもりカレー”でございます 」


「おいしそ~! いただきま~す! 」




 何も知らない客達。


 しょうこは少量頼んだポテトサラダを

勢いにまかせてすぐ食べ終えると、目の前の両親が人肉カレーを食べ終わるのを、ただ静かに待った。涙をこらえ、テーブルの下で両手を強く握りながら。



 「うまいな 」


 ルー大盛り“カツカレー”とされてるものを豪快に頬張る父親。



“ごめんなさい……。”

 


 人肉を食べさせているという事実。深い罪悪感、不快感、嫌悪感……。

ひどく気持ち悪くなり、毎度吐き気をもよおす。

奥からこみあげてくる毒素スパイスにも、うつむき、ひたすら堪える。





「まっず。おい、ティッシュ、ティッシュ。むりだわ。出す」


「うちもこんなん食べられない~。もう他いこっ。パパ」



 残した客が去った席でも、乱雑に置かれるティッシュゴミたち。






 喉と胸元を押さえ、しょうこは二人につぶやいた。


「お会計は私がするよ。

ふたりとも食べ終わったら“ごちそうさま”、忘れないでね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

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