第7話 鉄のハインリヒ

 目が覚めると、あたしは時計塔の下にいた。見慣れぬ黒いドレスを身にまとっていて、なんだか顔面にぬめっとした感触がある。

「伏せろ!」

 誰か男の人が、あたしをかばうように覆いかぶさる。なんだか清潔な病院のにおいがした……なんて感想を抱いた次の瞬間、鉄片が頭上を殺人的な勢いで通過した。

「なに、この状況!」

 あたしはこの春から大学生になる。平凡に受験勉強をして、受験者平均点くらいを取って合格し、平凡に地元を出て、平凡に一人暮らしを始めた大学一年生だ――という感じで、急いで第一章の内容を思い出す。

 マッチョがよくやるあのポーズを決めて殺人的鉄片を胸元から解き放ったのは、『工学部の茶髪』こと三ツ矢テツヤ。あたしをその鉄片から守ってくれたのは、『医学部の黒髪』不二ホクト。よし、思い出してきた。

「待て!」

 テツヤはそう言って、カエルを捕えたカラスを追う。カラスは時計塔のてっぺんに向かって飛んでいく。

「君はここにいてください」

 不二ホクトはあたしにそう声をかけて立ち上がった。言われなくてもそうするつもりだったけど。


「私の目を利用するなんて……あの魔女とは気が合わなそうだ」

 そう言って金髪をなびかせたのは、『文学部の金髪ブロンド』荒野キキョウ。毒の『櫛』はもう抜けており、自らの意思で立っている。

 自慢のブロンドを盛大に4,5本引き抜き、ふっと息をかけて飛ばす。黄金の網が出来上がり、カラスを捕えようとする。

『ホァア!』

 カラスは方向転換して、開きっぱなしの窓から時計塔内部に入る。


「熟女には違いないが、魔女は俺の好みじゃねぇな」

 そう言って赤髪をなびかせたのは、『理学部の赤髪ロート』伊原木ツムギ。『胸紐』はもう切れており、自らの意思で立っている。

 時計塔の壁に、両手をあてる。彼の服の袖からスルスルといばらの蔦が伸びていく。時計塔は見る間にいばらの棘で覆われ、出口がふさがれた。

『カァ、カァ』

 塔の中でカラスの鳴き声が反響している。


「オレ様がこの美脚でもって、奴を打ち落としてこよう」

 そう言って灰髪をなびかせたのは、『法学部の灰髪グラオ』落窪リオン。『毒林檎』をペッと吐き出して、自らの意思で立っている。

 赤々としたガラスの靴で、彼は時計塔の内部、螺旋階段を登っていく。その後ろに不二ホクトと三ツ矢テツヤが続く。

「ウィッチハント『血濡れの靴アシェンプテル』!」

 彼の美脚から生まれた二羽の鳩が、高速飛行してカラスに追いつき、その赤い目をえぐりだす。

『アホォ、アホォ!』

 ボトリと落ちた赤い目は、そのままグジュグジュと崩れて血だまりとなる。ぐったりとした一羽のカラスと一匹のカエルは、そのわきに横たわる。


「やったか?」

 と、テツヤ。

「いや、まだです」

 ホクトの指さす先で、血だまりから生まれた黒々とした影が魔女の形を成す。

『おのれらぁ、ゆるさんぞぉ』

 童話の中の、誰もがイメージする魔女の姿。

「ここはボクにやらせてもらいます」

 不二ホクトがテツヤの前に出る。

「お前たち、どうして……」

 魔女の異能のせいとはいえ、殺しあう気満々だった王子たちが、ここまで道を切り開いてくれた。それはなぜか。

「ボクたち王子様は、美しいものが大好きだからですよ。あなたたちの友情とか、ね」

 テツヤはぐったりとして動かないカエルの井上ケイのそばにひざまずいていた。

「真の白雪姫を見せてあげましょう」

 喉につっかえた毒林檎を吐き出したお姫様は王子様と結婚するのだが、話はそこで終わらない。『魔法の鏡』を使った継母への刑が執行される。邪悪なお妃さまは、焼けた鉄靴を履かされて、死ぬまで踊り続けるのだ。

魔女狩りの異能ウィッチハント紅鉄の靴シュニーヴィッツェン』!」

 落窪リオンの魔女狩りの異能に呼応する形で、それは発現した。

『ぐぁああああああああ!』

 白雪姫の物語には不釣り合いな紅の炎が、魔女の影を焼く。


「とどめだ!」

 灼熱の炎に焼かれる魔女に、王子様でも何でもない、ただの男が普通のパンチをくりだす。

『………』

 それがとどめになったのか、なっていないのか、魔女は完全に沈黙した。

「……やったな、テツヤ」

 テツヤの背後で、か細い声がする。

「ケイ!」

 先ほどまでカエルがいたところに、深い緑色の髪をした美少年が横たわっていた。


     ◇◇◇


「カエルの王様には、ハインリヒという忠臣がいました。彼の仕える王が悪い魔女にカエルの呪いをかけられてからというもの、悲しみで胸が張り裂けないように三本の鉄のタガをはめてもらっていたのです。王様の呪いが解けると、ハインリヒは馬車で主君を迎えに来ました。いまや不要となった鉄のタガは、ばちーんばちーんと音を立てて取れるのです。そのたびに王様は馬車が壊れるのではないかと心配しましたとさ」

 三ツ矢テツヤ先輩は、そう言って『グリム童話集』を一度閉じた。

「さぁ『グリム童話研究会サークル』春の新入生歓迎会シンカンはどうだったかな?」

 部屋の奥から井上ケイ会長の声がする。

「まず、ホントに会員の皆さんはイケメンなんですか?」

 あたしは最初に思ったことを尋ねる。

「もちろんさ」

 と、会長。

「性癖の方もマジ?」

「…………」

 沈黙する二人。

「何か応答して!」

 なぜか時計塔の最上階に居を構える『グリム童話研究会』。

 ――ガチャ

 扉の開く音。そこには黒、赤、灰、金の面々が立っていた。


 そうしてあたしはグリム童話研究会グリサーの姫となり、5人いや6人のプリンスとともに華々しい大学生活をはじめるのだった。

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グリサーの姫と5人のプリンス 美崎あらた @misaki_arata

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