第6話 緑と茶
泉のほとり。王様の娘でいちばん末のお姫様が黄金の毬を投げて遊んでいた。ある時、毬は姫の手をすり抜けて、ころころ転がり、深い深い泉へ沈む。
「どうしたんだい、プリンセス」
あんまりかわいそうなので、僕は水の中から顔を出して声をかける。
「なぁんだ、お前なの。あたしの黄金の毬が泉に落ちてしまって悲しいの」
姫が僕を見る目はひややかだった。いやらしい下等生物に話しかけられて心底気持ちが悪いという風だった。しかし僕はへこたれない。
「そんなことなら、僕が取ってきてあげましょう。その代わりに、お姫様は僕に何をくださいますか?」
「あの毬を取ってきてくれるなら、何でもあげるわ」
「物はいりません。ただ、あなたのお傍に置いてほしいのです。昼も夜も」
「いいわ。毬を取ってきてくれさえすれば、何でも望むままにするわ」
「何でも……?」
邪な思いがよぎるが、一旦振り切って、僕は水の中に身を沈める。平泳ぎにて潜水し、見事黄金の毬を持ち帰る。
「わぁい、あたしの黄金の毬!」
姫は僕から毬をひったくると、お礼の一つも言わず、王城へ向かって駆けだした。
◇◇◇
『どうしてイケメンでない者が、あたしの庭にいるんだい?』
コンパクト版魔法の鏡を持ち、漆黒のドレスを身にまとった女が言った。
「あなたが、始祖の姫ですか?」
突如目の前に現れた女に向かって、黒髪の不二ホクトが尋ねる。
「いや、あれは魔女だ。始祖の姫などいないんだよ。魔女の作り出した設定なんだ。悲しいことにね、ぐすん」
茶髪の三ツ矢テツヤが鼻をすすりながら言う。
時計塔前の広場。一人の黒き魔女に一人の王子様と一人の筋肉バカが対峙する。そのわきには倒れた三人の王子たち。
『そうか、そういうことか……貴様、前回の生き残りか』
魔女はテツヤをにらみつける。
「やっと思い出したか。別に偽名を使っているわけでもないのに……やはりお前は顔しか見ていないようだ」
テツヤはそのたくましい手で自らの茶髪をかきあげる。
『顔……というか、体形が変わりすぎだろ!』
魔女も思わずツッコミ口調になってしまう。
「自分は己の無力さを感じて、あれ以来トレーニングを重ねてきた。顔が良いだけでは、大切なものを守れない」
テツヤは涙をぬぐう。
「ちょっと話が見えないんだけど、『前回』っていうのは……?」
置き去りにされたホクトが言う。
「そのままの意味だ。このバカげたバトルロイヤルは、繰り返されている。自分は前回の戦いから逃げ出し、身を隠していた元王子ということになる」
不穏な風が吹く。
『貴様が不協和音の原因か……それで
魔女はその手を大地にかざす。
『不格好ではあるが王子の魂が5つ集まったのだ。少々あたしの美学には反するが、儀式を始めよう』
正五角形をした農学部の敷地、中央にそびえる塔。ここがすなわち『魔女の庭』そのものなのだ。ここはすでに異空間となっており、一般の大学生は入ってこられないようになっている。
「王子の魂はイケメンに宿る。魔女は5つの王子の魂を喰らって悪魔召喚の儀式を行う。前回は自分が離脱したせいで、儀式はうまく終了しなかった。5つというのが条件らしい。だから奴はご機嫌斜めというわけだ」
「なるほど」
5人中3人の王子を支配下に置いた不二ホクトの理解は早い。
「そうすると、荒野キキョウに与えられた魔眼『
魔眼に捕えられた落窪リオンは、実のところ一足先にここを訪れていたのだ。この茶髪、三ツ矢テツヤの邪魔が入らなければ。
「さすが医学部。頭が良いね」
「あなたは我々がこの『魔女の庭』に足を踏み入れないよう、妨害していたということですか」
「その通り。始祖の姫という餌に釣られた王子たちは、話を聞いてくれないからね……いや、これは経験談であって、君を馬鹿にしているわけではないんだよ……そういうわけで、力づくで止めようと思ったのだが、このありさまだ。まったく力不足で泣けてしまうよ」
テツヤは珍しく饒舌だった。
『あたしを無視してフリートークとは、ずいぶんとなめられたものだ……。余裕をこいていられるのも今のうちだけ。さぁ、宴をはじめよう』
魔女の声に呼応して、五芒星大学の敷地に
『あ……れ……?』
何物も現れないことに、魔女が少々慌てた様子を見せる。
「本当に他人の話を聞かない人だ。自分は今回、王子様ではないと言ったはずだ。ただの友達思いな一般人だとね。お前はまだ、5人の王子様を正しく認識できていないッ!」
テツヤの時間稼ぎはもう充分だった。
魔女のすぐ足元まで忍び寄っていた僕は、渾身の力で跳躍し、ぺっちゃりと、その顔面に貼りついてみせた。
「いいいいいいいいぃいいぃぃぃぃぃいぃぃぃいぃいいいいいいやぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
魔女の魂は『魔法の鏡』に宿っている。儀式を執り行うためには肉体が必要だ。魔女はいたいけな新入生の身体を乗っ取っていたのだ。
しかしそのいたいけな女子大生は、顔面にカエルが貼りつくというショックによって正気を取り戻したのだった。
『いや、ちょ……落ち着けッ』
魔女が慌てるが、少女は素手で触れるのもおぞましいとばかりに、その手に持っていた『魔法の鏡』の手鏡バージョンによって僕の――カエルの身体を引きはがし、あろうことか一緒に時計塔の壁に向かって投げつけてしまう。
◇◇◇
「王様の、いちばん末のお姫様。この窓を開けてちょうだい。約束は守らなくっちゃあいけないよねぇ?」
カエルの僕は、泉から飛び出して、王城までやってきた。約束を破ったお姫様を追いかけて。
「約束を破ったのは、お前が悪いよ。さぁ窓を開けておやりなさい」
王様は話の分かる人だった。お姫様はしぶしぶ窓を開けて、僕を城の中へ招き入れた。
「さぁお姫様、いつでもお傍に置いてくださるという約束でしたよ。まずはいっしょにご馳走をいただきましょう。もちろん同じお皿から、同じものを、いっしょに食べるのですよ」
お姫様は食卓に僕の姿を見るだけで、食欲が失せたようだった。僕はここまでカエルの姿で飛び跳ねてきたので空腹の限界だった。姫様の分までたいらげてしまう。ゲコゲコと思わず喉が鳴る。
「さぁお姫様、僕はもうおなかいっぱいです。今度はいっしょに眠りましょう。もちろんあなたが毎日スヤスヤねむっている、ゴージャスな天蓋付きのベッドで、いっしょにね」
そこでプッツーンと何かの切れる音が聞こえた。
「くたばれ、このいやらしいカエル野郎ッ!」
お姫様とは思われない乱暴な口調でそう言い放ち、少女は僕をひろいあげるなり、力任せに壁へたたきつけた。
◇◇◇
そんな前世の記憶を思い出して、僕は――
本当の5人目の王子様。『農学部の
僕は正直なことを率直に隠し事なく言ってしまうとドМなので、美少女に蔑んだ目でにらまれたり、「カエル野郎」とののしられたり、暴力を振るわれたりすることにむしろ悦びを覚えた。
カエルの王子様がお姫様のキスによって目覚めるなんていうのは、後から生まれた創作であって、真実はこんなものだ。お姫様に殺意満々ぶん投げられて、壁に激突して魔女の呪いが解けるのだ。
お姫様はその王子がイケメンだったので、手のひらを返して結婚することにした。その前世の記憶は僕を非常にがっかりさせた。顔がイケメンだと、あの蔑んだ視線を浴びることができないじゃあないか、と。
それはさておき、僕がカエルの姿になってしまって、僕以上に悲しんだ者がいる。『おとこう学部の筋肉バカ』にして『工学部の茶髪』、三ツ矢テツヤだ。彼とは高校時代からの親友で、学部は違えど大学に入ってからも親交は続いていた。
彼は悲しみのあまり胸がはちきれそうだからと言って、その大胸筋を三つの鉄のタガで封印した。その時彼は初めて、自分が『前回』の生き残りなのだと話してくれた。自分が逃げたから、儀式が再び始まってしまったのだと、彼は自分を責めた。だから僕らは、ともに魔女の計画を打ち砕く計画を立てたのだった。
ところが僕の異能『
まさか、童話と同じ結末になろうとは。
「いてて……」
コンパクト版『魔法の鏡』とともに壁へ激突した後、身体を起こすと僕は人間の身体に戻っていた……なら、よかったのだけれども、残念ながら僕はまだカエルのままだった。
『呪いが解けないということは、まだ決着はついていないってことだな……ゲコ』
壁に激突した『魔法の鏡』は粉々に砕け、もううんともすんとも言わないが……
『邪魔ばかりしおって……ちと今回の王子の器たちは性癖が強すぎたわ』
声は、近くの木にとまったカラスの口から聞こえた。
目が赤い。
魔女は『魔法の鏡』を捨てて、通りすがりのカラスの目に移ったのだ。
『今回の宴は終わり。また次の舞台を整えるとしよう。ただ……』
カラスは大きく羽ばたき、そののち急降下。
『腹いせにお前を殺してから退散するとしよう!』
カラスの爪が僕の柔らかい腹に突き刺さる。
『ゲコッフ……ッ』
カエルの鮮血が飛び出す。
「き、貴様ぁあああああ! 第三のタガ、封印解除!」
僕が最後に見たのは、視界の端でテツヤがモストマスキュラーを決める場面だった。
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