第5話 黒と茶

 雪のように白く、血のように赤く、黒檀のように黒い髪の毛を持ったお姫様。それが、ボクの恋したお姫様だ。ただしすでに死んでいる。

 彼女は森の中、ガラスの棺に葬られていた。棺に刻まれた金文字は彼女の名。口ずさむだけで胸のときめきが止まらない。ただしすでに死んでいる。

 問題が一つある。

 ボクは、彼女が死んでいる好きなのか。

 あるいは彼女が死んでいる好きなのか。

「この棺を、ボクにゆずってください。お礼はいくらでも、君たちが望むだけあげますよ」

 気が付けば、ボクは七人のこびとたちにそう告げていた。側近が止める声も聞かなかった。なぜならボクは王子様だから。望むものは何でも手に入るのだ。

「世界中の金貨を積まれたって、この棺はあげないよ」

 しかし七人のこびとは生意気にもこう言うのだった。

 ボクは彼女のいない生活を想像した。

 この棺をここに――このつまらない森の中に置き去りにして、城へ帰る。そこにはまたつまらない日常があり、ボクはやがて、父上に用意された姫を妃とすることになるだろう。ボクはその後もずっと、森の中に眠る彼女のことを思い出し続けることになるだろう。それは耐え難いことだった。

「それならこれを、ボクに無償でください。ボクはね、彼女を見ないでは生きていけそうもない。ボクはこのお姫様を、一番大事な宝物のように大切にするんだがなぁ」

 このような謎理論によって、ボクは馬鹿で純朴な七人のこびとを騙すようにして、その死体を棺ごと手に入れた。


     ◇◇◇


 そんな前世の記憶を思い出して、ボクは――不二ホクトは、白雪姫に出てくる王子様だったことを理解した。

 正直なところ、『れんあいむり学部の熟女フェチ』こと『理学部の赤髪』である伊原木ツムギに『七つの大罪』を看破されたのは想定外だった。

「まぁいいけどさ、かっこつけで1、拘束に1、小人退治に7。13のうち9まで使っちまったぜ」

 しかし彼の敗因は、勝利を確信してしゃべりすぎたこと。

「ほう」

 ボクはその時点で彼の異能が『いばら姫』の物語に根差していることに気が付く。

「強がったって無駄だぜ。俺はイケメンだから、別のイケメンには容赦しない。引き算すると、異能はあと4あるわけだが、出し惜しみせず13番目の死の呪いをかける――」

 もう一つの彼の敗因は、彼のとっておきが『死の呪い』だったこと。

「さよならだ――『百年の孤独スリーピングビューティー』」

 伊原木ツムギはドヤ顔でそう唱えたが、それはボクには、ボクにだけは効かないのだ。

 彼の異能は速やかにボクを抹殺し、そしてボクは速やかに生き返る。


「残念だったね――『不死の病スノーホワイト』」


 勝ったと思ってボクに背を向けていた伊原木ツムギがギョッとして振り返る。

 だが、遅い。ボクの懐から蛇のように飛び出した『胸紐』が、彼の胴をキュッと締め上げる。赤髪の身体は電池が切れたようにぐったりとする。しかし自分の足で立ったまま、倒れることはない。倒れることは、許されていない。

「それじゃ、行こうか」

 仮死状態になった伊原木ツムギの身体が、ボクの指示に従って動く。

「キミは他の奴らを見つけて足止めをしてきなさい。すでに死体があれば、ボクの能力で使わせてもらおう」

 ボクはその傀儡に『くし』を渡しておく。

「じゃあね」

 そうしてボクは悠々と時計塔へ向かって歩く。伊原木ツムギだったものは別の方向へ走っていった。

 どういうつもりの設計なのだか知らないが、五芒星大学の五芒星の中心、五角形の部分には農学部の敷地が広がっている。実験用の田畑や果樹園、牧場や馬小屋といった景色の向こうに、時計塔は聳え立っている。

『ゲコ』

『ゲコゲーコ』

 ボクは田んぼのあぜ道を歩きながら、『毒林檎』を真上に放り投げてはつかむという遊びをしていた。

「な……に……?」

 ボクとしたことが、なぜか最終兵器であるところの『毒林檎』を、あろうことかおもちゃのように投げて遊んでいる……だと……?

『ゲコゲコゲーコ』

 さっきからカエルの声がうるさい。

 放り投げた『毒林檎』が、ボクの手をすり抜けて、田んぼの泥の中へ落ちる。

「まさか……」

 うるさいカエルたちはいっせいにボクの林檎に群がり、そのまま泥の中に消えようとする。

「待て!」

 とっさに棺を開き、七人のこびとのうち『憤怒』を開放する。

『ぶっころーす!』

 小さな黒い影は釘バットをぶん回してカエルたちを蹂躙する。

「やれやれ、汚いなぁ」

 ボクは『憤怒』の持ち帰った『毒林檎』を、泥とカエルの体液をぬぐってから大事に懐にしまう。

『ゲコ?』

 また別のところからカエルの声。ボクはイヤホンを取り出して耳栓をした。

 カエルの声が聞こえてから、ボクは「うっかり」最終兵器である『毒林檎』を放り投げるなんて馬鹿な真似をした。これは地味だけれど、誰かからの攻撃だと考えてよいだろう。カエルたち自身には特に何の能力もないようだった。何者かが、カエルたちの鳴き声を操っている。

「遠隔操作型の能力は、ボクだけのものじゃあないってことか」

 こいつはどうも、あまり余裕ぶってのんびりもしていられないようだ。

 ボクはカエルを警戒して水辺を避け、やや迂回して時計塔へ向かう。棺を引きずっているから、あまり走るようなキャラクターではないのだが。

「なんとか、時間稼ぎはできたようだ」

 時計塔の前、そこには『おとこう学部の筋肉バカ』が半裸で立っていた。

「待ち構えていた、というよりは、何とかかんとか間に合ったという感じですね」

 いったんイヤホンを外す。周囲にカエルの気配はなくなっていた。

「その通りだが、わざわざ言わんでいい」

 肩で息をする『工学部の茶髪』三ツ矢テツヤが言う。

「あなたはボクの足止めをして時間を稼いだつもりかもしれないが、逆に、ボクに時間を与えてしまったとも言える」

「時間が与えられたら、どうだと言うのだ?」

「ボクの操り人形が増えるということですよ」

 時計塔の反対側、果樹園の木々がざわめく。

「何……?」


     ◇◇◇


 白雪姫は計三回、いや計四回殺されかけている。

 彼女の継母にあたるお妃さまは、魔法の鏡が「いちばん美しい」と言う義理の娘――白雪姫を暗殺する計画を立てる。

 一度は森の狩人に姫の暗殺を依頼する。狩人はまさに彼女を殺そうとするが、美しい少女に命乞いをされて見逃してしまう。彼は少女の代わりに猪を殺し、お妃さまのもとには『猪の内臓』を持ち帰った。

 一度は喜ぶ継母であったが、魔法の鏡は相変わらず「いちばん美しいのは白雪姫」と言う。姫は森の中で七人のこびとにかくまわれて、のうのうと生きていたのだ。

 悪魔のような女は、今度は自らが老婆の身なりをして少女のもとを訪れる。

「上等な品物、綺麗な品物はいらんかね。五色のきれいな『胸紐』があるよ」

 馬鹿な娘はのこのこと出てきて戸を開ける。

まずは絞殺。しかしこれは、帰ってきたこびとによって妨害される。

「上等な品物はいかが。今日は『櫛』があるよ。あなたの黒い髪を梳くのにぴったりだ。試すだけでもどうだい?」

 馬鹿な娘も、一度は死にかけているので戸は開けない。しかし試すだけならよかろうということで手を伸ばしてしまう。

 次は毒殺。毒を塗った『櫛』が刺さると少女は倒れる。しかしこれまたこびとが帰ってきて、『櫛』を抜いてしまう。

「おばさんの持ってる『林檎』をね、みんなさばいちまうつもりなのさ。お代は結構。もらってくれんかね」

 食いしん坊な娘は『毒林檎』をぱくり。今度こそ死んでしまった。


     ◇◇◇


 木々の間から現れたのは、『理学部の赤髪』伊原木ツムギと『文学部の金髪』荒野キキョウ。伊原木ツムギの胴には『胸紐』がきつく結びつけられており、荒野キキョウの金髪には『櫛』が刺さっている。

 ボクの傀儡となった二人は、仲良く『法学部の灰髪』落窪リオンの身体を担いでいる。

「そいつ、なんでズボン履いてないんだ……?」

 ボクは落窪リオンの姿を見て、ごく当たり前の疑問を呈する。

「五人の王子が集結してしまったというわけか」

 テツヤはボクの疑問には答えず、視線をボクと自分の背後で行ったり来たりさせる。

 まぁ、いいか。シリアスを続けよう。

「そう。しかし、そのうち三人はボクの傀儡かいらいとなる。つまり4対1だ」

 黒い棺を開き、『色欲』を出す。

『いやん』

 黒いこびとはボクの『毒林檎』を受け取って三人のイケメン(だったもの)に向かって走る。

『うふん』

 そして、ぐったりしている灰髪の落窪リオンの口に『毒林檎』の破片を押し込む。

「ん、ぐっ……」

 リオンの身体ははじめ苦しがっていたが、やがて自立する。

 これでボクの『不死の病スノーホワイト』は完成する。

 第一の不死『猪の内臓』は概念としてボクの中に取り込まれている。これはボクの死を肩代わりする。だから伊原木ツムギの『百年の孤独スリーピングビューティー』13番目の死の呪いはボクには効かなかった。

 第二の不死『胸紐』はその赤髪、伊原木ツムギを仮死状態にして操っている。

 第三の不死『櫛』はボクの下僕であるツムギがそこの金髪、荒野キキョウに刺してくれたようで、その身体をやはり操っている。

 第四の不死『毒林檎』が今、灰髪の落窪リオンの身体を操る。

「毒林檎ってことは、あんたは『白雪姫』か。その不気味なこびとで察しはついていたが」

「余裕ぶってないで、あなたも『魔女の異能ウィッチクラフト』を出したらどうです?」

 そこらのちっちゃいカエルを操ることだけが能力というのでもないだろう。

「そう言われてもね」

 三ツ矢テツヤは自嘲気味に笑う。何が可笑しい?

「来ないならこっちから行きますよ」

 操り人形たちを三方に配置し、一人の大男の退路を塞ぐ。

「行きますよ」

 右から赤髪のいばらが、左から灰髪の鳩が、巨体を襲う。

「むむ!」

 ついでに七人のこびともおしげなく放出。完全に四肢を拘束する。

「ボクの毒がまわった時点で、彼らの能力もボクのものとなる」

 ボクはゆっくりとテツヤの背後に回る。それとちょうど180度反対側を、金髪の王子様が歩く。

「そうすると、この戦い方が最も手っ取り早いということに気が付くわけです」

 ボクは背後からテツヤの頭を押さえつけ、荒野キキョウの方へ向ける。対象を異空間へ飛ばす、魔眼の方へと。

「自分を押さえつけるなら、手足ではなく筋肉を押さえなくっちゃあいけないよ」

「は?」

 何言ってんのこのマッチョ、と思ったその瞬間。

「第二のタガ、封印解除!」

 腕と脚を拘束すれば、人間は動けなくなるものと思っていた。しかし、人間鍛えれば胸の筋肉も自在に動かすことができるのだった。

「馬鹿な……ッ」

 躍動する大胸筋。

 とっさにボクは身を伏せるが、人形たちへの指示出しが間に合わない。

「こぉぉぉぉぉぉ、サイドチェスト」

 大きく酸素を吸引したのち、ポージング。大胸筋上部を押さえていた鉄のタガが勢いよくキャストオフ。三人の王子人形を後方へ吹き飛ばす。

「いったいあなたはどこの王子様なんです? そんなめちゃくちゃな能力、聞いたことがないッ!」

 ポージングを解除して、彼が振り返る。

「そう言われてもね……ぐすん。自分は王子様ではなくって、ただの友達思いな一般人なんだよぉ……しくしく」

 なぜだか彼は、この世の悲しみが全部押し寄せたみたいな顔で、泣いていた。

王子様イケメンではない……だと?」

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