勇者、孤独、凱旋。

マルヤ六世

勇者、孤独、凱旋。


 何週間。いや、何か月かの付き合いにはなるだろう。向こうでのことを含めれば、十年以上かもしれない。

 越してきたアパートは二人暮らしには手狭で、最初の内は絵本の怪獣のようにしきりの線を引いていたはずが、今ではこいつもすっかり静かになった。向こうにいた頃の癖で、魔方陣でも敷いているのだろうと思っていた。


 少し前まで、俺は勇者と呼ばれていた。露出度の高い女神に見いだされて、トラックに衝突したわけでも駅のホームに飛び込んだわけでもないのに世界の命運を託されてからの日々が、長い夢だったかのように思える。

 スライム一匹倒すのも一苦労、スキルを使うにも目が滑ったし、パーティの魔法使いの少女とはよく言い争いになったものだった。

 長い年月をかけて力を蓄え、仲間と共に魔王と呼ばれた毛むくじゃらの化け物を倒した俺は、その瞬間、極彩色の城からコンクリートジャングルへと連れ戻されたのだ。もっと、世界中から感謝されて英雄と呼ばれて宴会とかやって、金銀財宝の手土産を貰って、王様から褒められたりするような余韻はなかったものだろうか。

 それでも、一応女神ってやつだけは俺を労う気があるらしかった。だから、俺はこいつだけは連れてくることができた。


 こっちに戻って来て間もない頃は、慣れ親しんだはずの千代田区もなるほど見ようによってはダンジョンだった。

 知らない建物。連絡の取れなくなった友人。失踪扱いの俺を心配する家族もおらず(これは元々)、そんなこんなでリゼとの同居生活が始まった。


 最初の内は大変だった。

 異世界で生きていたリゼを家から出すわけにも行かず、かといって西日が厳しい、空調も悪い場所に住まわせ続ければ身体がもたないだろうと思った。こっちの環境がこいつにとってここまで悪影響だとは思わなかったし、俺も、戻ってきたら回復魔法なんてまったく使えなくなっていたのは誤算だった。

 聖水魔法の使い手として世界を平和にして、英雄になって、王国に戻れば勲章まで与えられるはずだった俺が、軟水と硬水の区別も付かずにペットボトルをぶん投げられたことも、何度あったかわからない。

 それでも、あの時、魔王城で消えかけた俺の手を取ってくれたのは他ならないリゼだったから、俺はせめて、少しでもリゼが生きやすいようにと、こいつの住んでいた部屋を真似て黒いカーテンを窓に取りつけた。リゼは本を読むのが好きだったはずだが、こっちの言葉はわからないらしく、暇を見つけては読み聞かせてやった。

 これからは夜勤も入れるし、スプリングのいいベッドとか、ソファも順次仕入れるつもりだ。


 ――――それなのに。


 リゼの毛が抜け落ち始めて何日か経った頃、とうとう会話ができなくなった。何やら喋っているのはわかるが、異国の言葉にしか聞き取れない。

 なんとなく、こんな日が来るのはわかっていた。


 リゼの腹の傷は、そりゃあ聖水で作った剣で斬ったのだから塞がる筈もない。だって、それをしたのは俺だし。

 きっともう、こいつは長くないんだろう。もし俺に回復魔法がまだ使えたって、魔族にかけたら傷つくだけだしさ。俺はお前を倒す方法はいくらでも考えたけど、助ける方法なんて一つも知らないんだ。

 それでも、あの世界に留まっていればなにか方法があったかもしれない。お前の部下たちとか、四天王とか──ああ、四天王は俺が倒しちゃったけど、でも、世界には魔族がまだいくらでもいたんだ。なんとかしてくれたかもしれない。人間に悪さをしないと友好条約でも結べば、よかったじゃないか。

 それなのに。


「君の言う……平和で暇な、君の育った街を見てみたいんだ」


 悪逆しか知らなかったお前が、そう言うから。言葉の通じない怪物だと思っていたお前が、致命傷を受けた身体で、元の世界に戻ってしまう俺に「待ってくれ」と縋ったから。

 魔王リゼルギン。だからお前、こんなことになったんだぜ。


 俺はもうすぐ死んでしまう怪物を力いっぱい抱きしめた。天井まであった毛むくじゃらの身体は、半分に折りたたまれて俺にもたれかかっている。リゼからは、はやくも腐った肉の匂いがし始めていた──。

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勇者、孤独、凱旋。 マルヤ六世 @maruyarokusei

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