4.前の席の女子と水やりをすることになった

謙斗けんと君は、クラスメイトよりも、私のことを、見ているよね?」


 謙斗けんとが、不穏な話題から話をそらすため、優彩凪ゆいなにクラスメイトの様子を話そうとした瞬間──。

 優彩凪ゆいなから暗黒のオーラが発生した。


「ちょっ、待っ」


 慌てる謙斗けんとに対し、笑顔で仄暗い圧を掛ける優彩凪ゆいな


(待って? 俺は優彩凪ゆいなさんに、クラスの視線が気になるかどうかきいたのに、なんで俺が優彩凪ゆいなさんとクラスメイトを比べる話になってるの?!)


 話が激変している気がする。


謙斗けんと君は、私が、大事だよね?」

「……ハイ」


(そりゃなんだかんだ言っても、弁当作ってくれたし、遊びに誘ってくれたから、そうじゃないクラスメイトより、優彩凪ゆいなさんに対する好感度は高いからな……)


 優彩凪ゆいなの圧に、謙斗けんとはうなずくしかない。

 謙斗けんとの答えに、花開くように優彩凪ゆいなの表情が明るくなる。


「私もね、謙斗けんと君のこと、とっても大事だよ。謙斗けんと君のためなら、毎日お弁当を作ってあげるし、謙斗けんと君の願いは、なんでも叶えてあげたいの」


 花の蜜のようにねっとりとした、甘い声。

 恍惚とした表情で、優彩凪ゆいなの二つの瞳は、謙斗けんとをしっかりと絡め取っている。


(付き合ってないのになんで? なんでこんなに──しっとりした空気なの?! ……嫌じゃないけど、素直に受け取っていいのか分からねぇ!)


 いくら考えても、優彩凪ゆいなの気持ちは謙斗けんとにはわからない。


(わからないから質問するしかないんだよなぁ……)


「だったら、教えてほしいんですけど──なんで優彩凪ゆいなさんが、俺に弁当を作ってくれて、優彩凪ゆいなさんは俺に密着してきて、しかも盛武もぶが俺にびびってるのか、って理由を」

「……私じゃない女の名前を出さないでよ」


 不機嫌になる優彩凪ゆいな

 声から甘さは消え──まるでコールタールのようなねばつきで、謙斗けんとを責める。


「私は謙斗けんと君の願いを叶えてあげたいけれど、それは謙斗けんと君が、私が謙斗けんと君を見ているのと同じくらい、私のことを謙斗けんと君に見てほしいからなの。だから、私の前で別の女の名前を出す謙斗けんと君の願いは、叶えてあげません!」

「えっ」


(どういうことなの? どういうことなの?)


 謙斗けんとが困惑していると、優彩凪ゆいな謙斗けんとにぐっと顔を近づけて。


「私にとって、謙斗けんと君以外のことがどうでもいいのと同じくらい、謙斗けんと君には私だけを見ていてほしいの」


 甘い声が、謙斗けんと耳朶じだに触れる。

 ふわりと。

 謙斗けんとほおをくすぐる優彩凪ゆいなの髪から、女の子っぽい、花のような──いい匂い。


(近い! いい匂い! 煩悩が爆発しそう! クラスなのに!)


謙斗けんと君は早く私だけを見て、私がどうして謙斗けんと君だけにいろんなことをしてあげたいのか、私が謙斗けんと君に尽くす理由を見つけて、早く私に言ってね」


 そう言って、優彩凪ゆいな謙斗けんとの耳元から顔を離し、にっこり笑う。


(その理由が分からないから聞いてるんだよ……! 俺が他のクラスメイトと違うところなんて、帰宅部なのとバカ真面目に緑化委員の水やりをしている程度。女子に好かれるポイントなくない?)


 謙斗けんと優彩凪ゆいななに好かれていることはわかっている。

 でも、なぜ優彩凪ゆいなに好かれたのかはわからない。

 からかわれているのか、本気なのか。

 謙斗けんとは歯噛みする。


(的外れなことを言って、優彩凪ゆいなさんを怒らせたくないんだよ……優彩凪ゆいなさんに笑っていてほしいけど、優彩凪ゆいなさんの気持ちを察するのは今の俺には無理で、絶対トンチンカンなこと言って怒らせるから、せめて優彩凪ゆいなさんが俺をどう思っているかっていう気持ちを伝えてほしいんだ!)


「逆に、謙斗けんと君は私のことどう思ってるの?」


 優彩凪ゆいなは上目遣いに謙斗けんとを見上げている。


(ちくしょう! かわいい!)


 謙斗けんとの鼓動が早まる。

 優彩凪ゆいなに対して謎の固まり、と答えるのは簡単だが怒られるのは間違いなく、そうなれば優彩凪ゆいなの笑顔は消えてしまう──と考えたところで、謙斗けんとは気づいた。


(俺は優彩凪ゆいなさんのことが嫌いじゃないし、優彩凪ゆいなさんの笑顔を見ることができた先週末は、楽しかったんだよな……)


「──優彩凪ゆいなさんの行動の理由は、分からないけど、優彩凪ゆいなさんに、俺は笑っていてほしいって思ってる」


 謙斗けんとの答えに、優彩凪ゆいなは、かああっ、と音がしそうなほど真っ赤に。


謙斗けんと君のサラッとそう言えるところ、本当にずるい」


 ちょうど担任が入ってきて、この話はおしまいになった。


 そして放課後。今週の朝顔の水やりの担当は1組──つまり俺と盛武もぶだ。だるい。盛武もぶは絶対サボるし。


優彩凪ゆいなさんと何があったのか、盛武もぶからも事情聴取したいんだけどな……)


 もし二人がめているなら、謙斗けんとは全力で両方から距離を置くつもりだ。

 だって、女子の機嫌なんて謎すぎるし、女子同士の争いに、男子が下手に頭を突っ込むとなぜか男子が全ての悪役にされて女子は感動の和解をしている。


(だからある意味、盛武もぶがサボっていて幸運なのかもしれないんだよな……でもサボりだから腹立つな……)


 謙斗けんとがため息をつきながらジョウロを外の水場に運ぶと、そこには──。


 ちりりん。


「がんばろうね、謙斗けんと君」

「えっなんで優彩凪ゆいなさんが?」


 涼やかな鈴の音とともに、優彩凪ゆいなが現れたのだった。


盛武もぶさんと緑化委員交代したい、って言ったらOKしてくれたの。盛武もぶさん、バスケに集中したいらしいし」


盛武もぶ……ついに仕事を他人に押し付けやがった……の……か?)


 なんだか優彩凪ゆいなさんの笑顔に闇を感じるし。


「へー……まあさっさと終わらせっか」


 30人を詰め込める教室が5個ある校舎の端から端まである花壇に、白い劣化が目立つ緑色のボロジョウロで水を撒いていく。


(弁当に、休みの日の試合観戦に、緑化委員……あれ、優彩凪ゆいなさん、俺の日常にガンガン割り込んできてない?)


 2人で作業しても教室一つ分の花壇に水を撒くと、2人ともジョウロが空になってしまう。

 つまり、水場と花壇を5往復する必要がある。このダルさが、クラス全員がじゃんけん大会をしてまで緑化委員を押し付けあう原因だ。


「キツくない? 大変だから、正直に言って盛武もぶがサボる気持ちが分からなくもないんだよ」

「私は謙斗けんと君と一緒なら、なんでも楽しいよ?」


 水を満タンにしたジョウロを手に、死んだ瞳の謙斗けんとに対し、目を輝かせる優彩凪ゆいな


「この朝顔は、謙斗けんと君と私が育てるわけだから、実質私たち二人の愛の結晶になるのかな?」


 とろんとした瞳の優彩凪ゆいなに、謙斗けんとはちょっと引いた。


(愛の結晶って……俺たち、ただの緑化委員だよね? 付き合ってないよね? 水やりで疲れたのかな? 確かに冗談言わないとやってられないけど)


優彩凪ゆいなさん、冷静に考えて。1組から5組の緑化委員が交代で育てるから10人の愛の結晶になるぞ」


 謙斗けんとの指摘に、優彩凪ゆいなはスンッと無表情になり、ジョウロを地面に置く。


「むしってしまいましょうこんな朝顔」

「やめて! 水やりがダルいのはわかるけど、むしって担任から怒られるのはさらにダルいからやめて!」


 謙斗けんとが必死に頼むと、やや不満げながら優彩凪ゆいなは水やりを再開した。


「はぁい。謙斗けんと君がそう望むなら、叶えてあげる」

「おう……ところで、夏休みの予定とか大丈夫なのか? 学校に来る必要あるんだぜ?」

「うん。大丈夫。ところでさ、水やりと花火大会、かぶってないよね?」

「おう。多分」


 花火大会は、学校から少し離れた海岸沿いで開かれる。

 家から花火が見えないこともあり、謙斗けんとは今まで、花火大会など気にも留めていなかった。


「緑化委員1日目の私の方が予定を把握してるって……」


 じとーっと、優彩凪ゆいな謙斗けんとにあきれる。


「だってダルい現実を直視したくねぇんだよ……」

「まあ現実逃避は置いといて、謙斗けんと君は、誰かと花火大会行ったりしないの?」

「夏の暑い中出かけるのがダルいから、そもそも予定が入ってない」


 ぱあっと優彩凪ゆいなの表情が明るくなる。


「じゃあ、一緒に花火大会行こうよ」

優彩凪ゆいなさん、なんで俺なの?」

「なんでだと思う?」


 いたずらっぽく笑う優彩凪ゆいな

 謙斗けんとは今までの高校生活を振り返る。

 クラスメイトと話しはするけれど一緒に帰ったりはしない。仲が悪いわけではないと信じたいが、俺は帰宅部なのもあってゲーセンやカラオケに行くような関係の誰かがいるわけでもないので――。


「……陰キャで確実に暇だから?」


 謙斗けんとがそう答えると、優彩凪ゆいなはまたジト目に。


「もー! で、花火大会に行くの? 行かないの? 7月31日の謙斗けんと君の予定は?!」

「……行くよ」


 夏出かけるのはダルいけど。

 高校生らしい思い出を、作るのも悪くない。

 謙斗けんとがうなずくと、


「やったー!」


 はしゃいで、謙斗けんとにずいずい近づいてくる優彩凪ゆいな

 ちょうど、謙斗けんと優彩凪ゆいなの方にジョウロを振りかぶろうとしていて。


「あっ、優彩凪ゆいなさん危ない!」

「へ?」


 ざあっ。


 慌てて謙斗けんとは角度を変えようとしたが。


「うわっ!」

「きゃっ!」


 急いだせいでジョウロに遠心力がかかって謙斗けんとの手が滑って。


 ばしゃん。


 優彩凪ゆいなの胸元に、盛大に水が掛かった。

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