第23話 遺恨

 警察に、明神要という刑事が在籍したか否かを照会したところ、「昨年末まで神奈川県警伊勢佐木警察署に在籍。本年度より八丈島警察署に異動」という極めて事務的な回答がなされた。木で鼻を括ったような返答であり、なにか後ろめたいことを隠しているようだ。


 クレイトン号事件対策本部からの報告を受けた北折が憤慨した。


「あの野郎、本物の刑事だったのか!」

「だとしたら、おかしいな。本物の刑事だったなら、なぜ現場から姿を消した」


 陣場はしきりに首を捻った。


 重盛に話をつけたので、陣場と北折、両名への帰還命令は撤回された。クレイトン号内に残って事件解決に尽力せよ、と通達されている。


「神奈川から八丈島に異動ですか。完全に島流しじゃないですか」

「なにか問題を起こしたのかもしれないな」


 対策本部が「八丈島沖で二件の殺人があり、明神要を騙る刑事が事件に関わっている可能性がある」と重ねて詰め寄ると、警察は重い口を開き、ようやく事実を明らかにした。


「明神刑事は神奈川県警が押収した大麻を不正に持ち出し、密売した可能性がある」


 明神の逮捕、送検の有無など、捜査の概要は明かされていない。しかしいまだ明神刑事と呼称しているところから察するに、明神は警察を退職しておらず、懲戒解雇もされてはいないのだろう。容疑が完全に固まるまで処分保留とされ、八丈島に島流しにされていた、といったところだろうか。


「警察との合同捜査には、いよいよ期待できないですね」


 北折が吐き捨てるように言った。


「黒いマスクの男というのは、明神のことだったのかもしれんな」


 陣場が憶測を口にすると、北折が大きく頷いた。


「二件の殺し、どちらも明神の仕業という可能性はありませんか」


「大麻を横流ししていて、小見船長も角南司厨長も顧客だったということか。口封じのために殺したということか」


「殺人の動機としては、そんなところでしょうね」


 陣場はつい納得しかけたが、では司厨長殺しの犯人と目されている水木颯也は本人の言うように「目玉料理を食べさせただけ」なのだろうか。あれこそ狂人めいた雰囲気であったではないか。


「水木颯也はまったくの無実だと思うか?」

「それはなんとも……」


 北折が歯切れ悪く答えた。明神要という大麻の密売人が表舞台に浮上し、事件はまったく別の様相を呈することになった。


「聞き込みはもういちどやり直しだな。明神との関係から洗い直す」


 重盛の助言を受けて、船員から個別に話を聞くことにした。


 船員居住区の空き部屋を利用して、まず最初に事情聴取したのは、一等航海士の鵜飼うかいみのる。巌谷群治と並ぶ古参であり、かなりの事情通である。


 最初に話を聞くのは巌谷でも良かったが、巌谷は水木を司厨員に推薦した男である。水木とは浅からぬ仲であるのか、水木を庇っている節があり、あまり多くを語ることはなかった。それもあって、より中立と思われる鵜飼に話を向けることにした。


「率直にお尋ねします。小見船長と角南司厨長が大麻に手を出していたという事実はありますか」


「……大麻?」


 ただでさえ狭苦しい個室に大の男三人が顔を揃えると、圧迫感はいや増した。初老の鵜飼は何のことか分からない、といった面持ちで首を傾げた。とぼけているというより、そんな事実は知らない、といった様子だ。


「ご存知ないなら結構です。では、質問を変えます。船長と司厨長が殺された原因に心当たりはありませんか」


 陣場が馬鹿丁寧に訊ねると、鵜飼が顎をしゃくった。


「事件が解決しないと、ずっとこのままかね」

「当面、そうなるかと思います」

「ならば、お話するより仕方がないか」


 鵜飼は諦観したように言った。


「オーシャン・コネクト社はこのところ業績不振でね。アメリカのとある企業から買収を持ちかけられたんですわ」


 まったくもって初耳の内容だった。人目のある食堂では誰もそんな話はしなかった。


「業績が悪化したのはコロナ禍のせいでしょうか」

「それもあるが、問題はそこじゃない」

「……というと?」


 鵜飼はきょろきょろと視線を巡らせた。室内に監視カメラの類が仕掛けられていないかを確認したのだろうか。


「録音、盗聴等の心配は不要です」


 北折がひと言申し添えると、鵜飼が薄笑いを浮かべた。


「私もまだ死にたくないからね」


 鵜飼が何を心配しているのか、陣場には判じかねた。


「オーシャン・コネクト社の前身の大洋サルベージという会社は、知る人ぞ知る悪名高い会社でね。海難事故を救うのが主業務だが、海難が発生すると見積もり依頼もされていないのに、勝手に調査し、積極的に営業活動を仕掛けるんですわ」


 海賊のような輩だな、と陣場は思った。


「海賊のようですね」


 北折も同じことを思ったらしく、陣場と同じ感想を口にした。


「海賊。そう、まさしくね。海上保安庁さんには大洋サルベージの悪評は届いていなかったのかね」


「何年前ぐらいの話でしょうか」


「伊地知船長が健在だった頃が全盛期だから、ざっと二十年前ぐらいだな」


 ここでも、その名が登場した。伊地知俊興。若かりし日の角南に胸を滅多刺しにされた暴君だ。


「二十年前では私は小学生ぐらいですね。北折は幼稚園ぐらいです」


「それなら知らないのも無理はない。今は大洋サルベージから形の上では独立して、海底ケーブル事業に鞍替えしている。荒くれ者も減って、海賊色もだいぶ薄まっているからね」


 形の上では独立して……。


 なんとも意味深な言葉だ。


 それは裏を返せば、オーシャン・コネクト社は陰ながら大洋サルベージ社に支配されている、と言っているに等しいのではないか。


「伊地知船長が角南に刺された時、船に乗っていたのは巌谷と小見だけだが、私らは皆、大洋サルベージ社から転籍してきた人間だ。その意味では同じ穴の狢だよ」


 何かに脅えているのか、鵜飼の声がわずかに震えた。


「今、この船に乗っている中で、大洋サルベージと無関係なのは、海洋土木技術者の七人だけだ」


 クレイトン号に乗り合わせていたのは、大洋サルベージ時代を知る古株一派と、その時代をまったく知らない新参者という構図だ。そうとなれば、海洋土木技術者である根本陽も三厨梨央も旧時代の遺恨を知るはずもない。


「角南が殺されたのは、おそらく伊地知船長の差し金かな。小見が殺されたのは、たぶんアメリカ企業からの買収に反対したからだ」


 どうにも話が見えなかった。


「買収を断ると、どうして殺されるんですか」


 陣場が聞き返すと、鵜飼が平然と言った。「伊地知船長は買収に乗り気だった。巌谷は賛同したが、小見は賛同しなかった」


「伊地知船長は買収に口を出せる身分なのですか」


「オーシャン・コネクト社の社外取締役をしている。会社の業務には関与しないが、経営に口は出せる立場だ」


「買収を持ちかけてきたアメリカの企業というのは?」


「何の実態もないペーパー企業だ。オーシャン・コネクト社に目をつけた理由もよく分からない。小見でなくとも怪しいと思うさ」

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