第22話 Xデー

 陣場は衛星電話を介して、特殊救難隊の統括隊長である重盛しげもりぎんに現状を報告した。


「北折がこの件が解決するまで関わりたいと言っています」

「なにか事情があるのか」


 さすがに話が早い。


 海保大卒の幹部候補生であり、選ばれし特殊救難隊の一員、将来は長官にまで上り詰める人材であると目されている北折が帰還命令に異議を唱えた。人一倍理性的な北折が命令に背くからには、何かしら事情があるのだと察してくれたようだ。


「現場に到着した際、八丈島警察署の明神要と名乗る刑事をデッキに引き上げました。その刑事の姿が消えており、該船の船長が刺殺されていました」


「それで?」


「我々が犯人を招き入れてしまったのではないか。北折はそう考えています」


「なるほど、事情は分かった」


「明神要という刑事が過去に警察に在籍していたのか、それともただの偽名なのか。警察に問い合わせていただけますか」


「分かった。対策本部にそう伝えておく」


 海上保安庁では、本庁および第三管区海上保安本部に対策本部が設置され、クレイトン号事件に対応する人員が集められている。捜査が陸に及び場合は、警察、検察とも協力して捜査活動を行うことになる。


「他になにか報告すべき件はあるか」


「死者は二名、船長の小見均、司厨長の角南循三です。船員は総勢三十名、海員名簿は取得済みです。気になるのは、なぜ海の上で殺したのかということです。ただ殺すだけならば陸の上で殺せばいい」


 海洋土木技術者の根元陽が訴えたことをそっくりなぞって伝えたが、重盛の反応は陣場の考えと似たり寄ったりだった。


「海の上で殺せば、犯罪の発見は遅れるからな」


「船内に爆弾が仕掛けられているという証言もありましたが、今のところそれらしいものは発見していません」


「そうか、分かった。警察には本庁から問い合わせてもらう。船員たちはどういう状況だ?」


「重要参考人の三名を隔離し、その他の船員は食堂に留め置いています。現在は三名の事情聴取を優先しています」


「他の船員の事情聴取は個別ではなかったのか?」


「先乗りしたのが私と北折だけだったので、食堂でまとめて事情聴取しました」


「それはいかんな」


 重盛がそれとなく苦言を呈した。


「出来る限りのことはしたつもりですが、なにか落ち度はあったでしょうか」


 陣場と北折はたった二人で二十数名の相手をしたのだ。事情聴取に長けた刑事課のようにはいかなかったかもしれないが、聞くべきは聞いたし、押さえるべきところは押さえたつもりだった。


「いや、落ち度はない。ただな、皆の前では話しづらいことの一つや二つはあるだろう。個別に話を聞いたらまったく違うことを喋るかもしれない」


 重盛が示唆したことに、陣場は頭を殴られたようだった。


「船員間のトラブルはなかったのか。たとえば金銭トラブル、人間関係のトラブル、女性関係のトラブル、それに職場環境のトラブル。人が集まれば、どこかしらにトラブルの種が転がっているものだ」


 人間が生きていれば、人前では告白しづらい秘密の一つや二つはある。食堂では口を割らなかったことも、人目のない場所で個別に聞けばまた違うかもしれない。


「個別に聞けば口を割りますかね」


「まあ、無理だろうな」


 重盛があっけらかんと言った。


「俺たちはどこまで行っても権力側の人間だ。秘密を抱えた人間が軽々しく口を開くわけがない」


「では、どうすれば?」


「船員の誰かを捜査協力者にすればいい」


「スパイさせろ、ということですか」


 陣場の声が強張った。


「人聞きの悪いことを言うな。捜査に協力してもらう代わり、こちらも捜査情報を開示することはやぶさかではない、というだけだ」


「ちょうど、そういうことが得意そうな人材がおりますね」


「北折のことか。あいつはちと理屈っぽいからな。俺はお前に期待しているよ、陣場」


「ご冗談を」


 電話の向こうでは重盛はどんな顔をしているのだろう。食えない人だな、とつくづく思う。将来の長官はきっとこの重盛吟であり、陣場などは足元にも及ばず、北折はまだまだひよっこだ。


「ところで話は変わるがな。少し愚痴ってもいいか」


「なんでしょうか」


「今年のオリンピックは延期になっただろう。来年、本気でやるつもりなのか」


 東京2020オリンピック・パラリンピック開催にあたり、テロなどを起こさせないため、海上保安庁は競技会場周辺海域における海上警備を実施するよう仰せつかっていた。


 航海自粛海域、停留自粛海域付近に海上保安庁の船舶が停泊し、必要に応じて安全確認を行う。当日の人員配置など、すべて綿密に組んでいたが、大会の開催延期に伴い、何もかもが白紙となった。


「今は必要な見直しをしているのですよね」


「見直しも何もあったものじゃない。そもそも大会を開催するのかどうかさえ不透明なんだ。なのに、いちいち対策本部会議に呼び出されて参考意見を述べさせられる。大会をやるならやる、やらないならやらないで、はっきりさせてほしいよな」


 東京2020オリンピック聖火は、聖火特別輸送機「TOKYO2020号」にて空輸され、二〇二〇年三月二十日に宮城県にある航空自衛隊松島基地に到着した。


 海上警備を担当する海上保安庁は二〇一四年に「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会準備本部」を設けた。聖火到着を受け、これを改組し、準備本部から対策本部へと格上げした。


 五輪対策本部会議には特殊救難隊の長である重盛も呼ばれているようだが、特別な提言など求められてはいまい。万全を期して大会を開催いたします、とアピールしたいがための対外的なパフォーマンスに過ぎない。


 現場の本音はただ一つ。「開催するのか、しないのか、はっきりしろ」だ。


 世論はどうであれ、本気で開催するというのなら、海上保安庁の職員はスクラムを組んで競技会場周辺の警備に当たる。開催しないというのなら、それはそれで結構。いちばん困るのは、どっちつかずの態度のまま、中途半端に時を重ねることだ。


「北折がぽろっと言ったことなんですがね、隊長」


 ヘリコプターの中で、北折が富士山噴火のXデーについて触れた。


「二〇二一年七月二十三日、つまりオリンピック開催日に、富士山が噴火するという予測があるようです」


 重盛は盛大に笑い飛ばすかと思いきや、意外にも深刻に受け止めたようだ。返事の声には緊張の色が見え隠れした。


「オリンピック対策本部会議でも、その話題が上がった。そんなことになったら、テロどころの話ではない」


「オリンピック開催どころの話でもないです」


「その通りだ。眉唾だろうが、オリンピックを中止する大義名分にはなるな」


「オリンピック中止派の工作でしょうか」


「さあな。そもそも噴火の日を正確に予測できるものなのか」


 重盛が口にしたことは、陣場も疑問に思ったことだった。


「北折の親族に高名な火山学者がいます。手が空いたら、聞いてみることにします」

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