第21話 海上犯罪

 二名の死者を出したクレイトン号内に増援の海上保安官が続々と乗り込んできて、船内捜索に従事することとなった。


 重要参考人である水木颯也、根本陽、三厨梨央の三名はそれぞれ個別に隔離されての事情聴取となり、他の船員は引き続き食堂に留め置かれた。


 現場に先んじて到着した特殊救難隊には撤退が命じられたが、陣場と北折は船長室に赴き、小見船長の死を目の当たりにした。


「爆弾が仕掛けられているというのは、はったりブラフだったんですかね」


 北折が釈然としない面持ちで言った。


「船内捜索をさせないための方便だったのかもしれないな」

「埋蔵金云々うんぬんというのを信じているわけじゃないですよね」

「さあな。どいつもこいつも証言が突飛過ぎて、何がなんだかよく分からん。事情聴取というのは性に合わないな。首が凝った」


 船長室を後にした陣場は、首をごきごきと回した。


「犯人の自白頼みの決着になりそうですね。一応、いろいろと鎌をかけておきましたが、記録には残っていないので、そんなことは言った覚えがないと言われたら終わりです」


「ひとまず聞けるだけは聞いたさ。お前が理屈っぽいやつでよかったよ。さすがは特殊救難隊らしからぬ知性派インテリだな」


「褒め言葉として受け取っておきます」


 洋上での殺人事件は、陸の上での犯罪とは勝手が違う。被疑者を送致するには物的証拠と被疑者の自白が決め手となるが、船上という特殊な環境において、この二つを揃えることは困難を極める。


 まずもって海上保安官が現場に辿り着くまでに時間がかかるため、被疑者が凶器などの証拠を隠滅する可能性が高い。


 それに加えて、船上では第三者が殺害現場を目撃する機会がほとんどなく、遺体を海に落とせば事故として処理される可能性もあり、犯人は陸の犯罪よりも容易に罪を免れうる要素に恵まれている。


 決定的な証拠がない場合、事件解決の多くは自白によってもたらされるが、鍵を握る犯人が容易に口を割ることはない。また、ようやくとれた証拠も簡単に覆されてしまう。


 海上という孤立した状況では、たとえ犯罪が起こったとしても、現場の保存、証拠の確保、被疑者の即時勾留は難しい。それゆえに海上犯罪の解決には自白が多用されることとなる。


 近年問題になり始めた自白の強要の問題が付きまとうが、現場の状態や証拠を確保することが陸上と比べて段違いに難しい、という裏返しでもある。


「船長殺しの犯人が船員の誰かであるなら自白も取れますが、そうでないなら冤罪になってしまいます」と北折が言った。


 女性二人が見たという、黒いマスクの男……。


「黒いマスクの男なんて存在すると思うか」

「彼女たちは、いると信じているようですね」


 北折が素っ気なく答えた。


 それはただの証言であり、犯罪事実を認める自白には当たらない。しかし不規則イレギュラーな証言によって捜査をあらぬ方向へ誘導しようと目論んでいるならば、聞き捨てにしてはおけない内容である。


 ただ、頭脳明晰な北折ならばとっくに気が付いているはずだ。


 北折自身が船長殺しの犯人を犯罪現場へと引き上げてしまったのではないか、ということに。


「八丈島警察署の……なんて名前だったっけか」

明神みょうじんかなめ巡査です」


 北折が即答した。抑揚のない声に押し殺した怒りが滲む。


「あいつ、あれっきり見ないな。警視庁の警備艇もどこかに行っちまった」

「陣場さん……」


 思い詰めたような表情で北折が言った。


「海底ケーブルが切れたせいで八丈島全域が通信障害になっていたんですよね。だったら警察にも通報が届かないのでは?」


「まともに通報が行っていなかったとしたら、クレイトン号の事件のことなんて知るはずもないわな」


 八丈島でどの程度の規模の通信障害があったのか定かではないが、完全に外界との連絡が断たれている状態であったのなら、そんな状態で警察にだけ情報が伝わるはずはない。


「明神は偽警官だったんでしょうか」

「だとしたら船も偽造だろうな」


 デッキで角南司厨長が死んでいるのを確認した後、陣場と北折は食堂に向かったが、明神要と名乗った男のその後の足取りは不明だ。


 クレイトン号の甲板に上がるに上がれない間抜けぶりを演出し、北折によって船上に引き上げられた。両目を抉られた死体に動揺し、慌てふためいているのを陣場が見限って、その場に捨て置いた。


 おかげで明神は「使えない刑事」として舞台に登場し、誰の監視を受けることもなく、大手を振って船長室へ至れる唯一無二の存在となった。


 船員は食堂に集められ、水木によって足止めされていた。


 人払いの済んだ船内で、明神は途中で誰かと遭遇したとしても堂々と刑事だと言い張ればよく、陣場や北折が「あいつは刑事だ」と身分を保証してくれる。監視カメラに映っていたとしても「船内の捜索だ」と言えば、誰もそれ以上は追及するまい。


「真犯人を俺が引き上げてしまったんでしょうか」


 北折が自嘲気味に言った。事件の全貌は見通せないが、事件の片棒を担いでしまったという自覚はあるらしい。


「この件は俺たちの手を離れた。やれることはやったんだ。あとは刑事課の連中に任せよう」


 陣場と北折は羽田特殊救難基地に帰還し、別命あるまで待機を命じられている。この事件に関われることはもうない。


「陣場さん、俺は学者の家系なものでね。気になったことは、とことん最後まで知りたいんですよ」


 陣場が学者肌の北折を「インテリ、インテリ」と呼んでいることを本人はあまり好ましく思っていない。それが自ら学者の家系などとインテリをひけらかすようなことを口にした。


 その心は、言わずもがなだ。

 特殊救難隊でなくなってもいいから、最後までやらせろ。


「分かったよ、北折。上に伝えておく」

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