第20話 混乱

 食堂内は、およそ混乱と言っていい状況だった。


 司厨長殺しの疑いのかかる水木は地面に組み伏せられ、特殊救難隊の陣場が馬乗りになっていた。船員たちは騒めき、遠巻きに避難している。陽は目視で船員の人数を数えようとしたが、事実を先に伝えるのが先だと思い直した。


「あの……」


 陽は浴室まで同行してくれた北折に近寄り、耳を寄せてもらうよう促した。小見船長の死を知る由もない船員皆にありのままの事実を伝えると、よけいに場が混乱しそうだ。まずは海上保安官だけに伝え、その後の対応を差配してもらうべきだろう。


「小見船長が船長室で殺されていました」

「どんな亡くなり方でしたか」

「包丁で滅多刺しでした。船長室が血の海で」


 北折の顔色がさっと変わり、すぐさま冷静な表情を取り戻したが、一瞬、異様なほどの恐い顔になった。


「陣場さん」


 北折は食品貯蔵庫から持ってきたらしい荷造り紐で水木を素早く拘束すると、ひそひそと小声で陣場に小見船長の死を報告した。


「そうか。分かった」


 淡々とした物言いではあったが、陣場はふう、と大きく息を吐き出した。気を落ち着けながらも、やるせない怒りが滲んでいる。


「船長室に入ろうとしたとき、扉が閉まっていたんです。無理やり扉を開けたら、黒いマスクの男が血まみれで倒れていました」


 陽はなるべく正確に状況を伝えようとした。


「黒いマスクの男? この船の職員ですか」


 北折に訊ねられたが、陽は曖昧に首を振った。


「それが分からないんです」

「分からない?」

「奥の寝室で船長が殺されていて、黒いマスクの男は手前の公室に倒れていました。脇腹に包丁が刺さっているように見えたので、その人も包丁で刺されたんだと思いました」


 生々しい殺しの現場は陽の目に焼き付いているが、それを言葉で説明するのは難しかった。細部を正確に描写しようとすると、どうしてもまどろっこしくなり、肝心なことが伝わらない。


「そいつ、包丁持ったまま消えたんです!」


 三厨が焦れったそうに、横から口を挟んだ。


「消えた?」


 北折が怪訝な顔をした。


「消えたでも、逃げたでも、出てったでも、なんでもいいっすよ。包丁持ったまま船長室からいなくなったんです。めちゃめちゃ怪しくないですか!」


「三厨、ちょっと落ち着こう」


 三厨があまりにもヒートアップし過ぎたせいか、陽たちを遠巻きにしていた船員たちに状況が筒抜けだった。後ろ手を縛られ、地面に転がされている水木は三厨を見上げ、にやにやと笑っている。


「そいつ! そいつが黒いマスクして変装してたんすよ!」


 水木を指差し、三厨がヒステリックに騒ぎ立てた。いくらなんでも脈絡がなさすぎて、陽たちが虚偽の事件をでっち上げているように聞こえてしまうかもしれない。


「彼はずっとここにいましたよ」


 陣場が胡乱な目で、三厨を見つめた。


「人相はよく見ていませんが、水木さんとは別人だと思います」


 水木に「さん」を付けるべきなのか、陽は少し迷った。


「船長を殺した犯人を追う、とか言って、そいつ逃げたんですよ。逃げたあいつが犯人なんだ!」


 たがが外れたのか、三厨がすべてをぶちまけるような大声で叫んだ。おかげで船員たちに小見船長の死がはっきりと伝わってしまった。


 黒いマスク男=水木説だったり、黒いマスク男=犯人説だったり、三厨の発言はあっちこっちに揺れ動いた。これでは黒いマスクの男が存在したということさえ疑われかねない取り乱しようだった。


「三厨、少し黙ってて」


 陽がやんわりと口を塞ぐと、三厨がようやくトーンダウンした。


「お二人は船長に恨みを抱いたことはありますか」

「は? あたしたち、疑われてるんすか」

「念のための質問です。気に障ったなら失敬」


 せっかく三厨が落ち着きを取り戻していたのに、北折が火に油を注いだ。いや、むしろわざと怒らせて、ボロが出ないかを試しているようでもあった。


「船長に恨みなんかありません」


 三厨を背中に隠し、陽がきっぱりと言った。


「そもそもお二人はどうして船長室に向かったのですか」

「それは……」


 埋蔵金を隠していないか、船長室にガサ入れに行ったなどと答えるのはさすがに憚られた。陽が押し黙っていると、奇妙な沈黙が食堂を覆った。


「答えられないんですか」

「それは、その……」


 陽が口ごもっていると、ここぞとばかりに三厨が口を開いた。


「船長は埋蔵金を隠してたんですよ。分け前で揉めて、そのせいで殺されたんです」


 北折が呆気に取られた顔をした。


「……埋蔵金?」

「三厨、ちょっと黙ってて。ややこしくなるから」

「陽さんだって共犯ですよ。船長室に埋蔵金を隠してないか、いっしょにガサ入れに行ったんですもん」


 海の警察たる海上保安官を相手に、共犯だの埋蔵金だのガサ入れだの特殊な単語を連発するなんて、「私が犯人です。さあ疑ってください」と公言するようなものだ。いくらなんでも軽率に過ぎる。


「三厨、いいから黙ってて!」


 陽が大声で怒鳴ると、さすがの三厨も口を閉ざした。北折に憐憫の目で見つめられた。


「小見船長が食堂を出て行ったあと、船員は誰も追いかけてはいません。その間、この船の中で自由に動けたのはあなた方お二人だけなんです。それがどういう意味か、お分かりですよね」


 そんなこと言われずとも、たいへんまずい状況にあるということは陽にも直ちに理解できた。


 黒いマスクの男が被害者であるにせよ、被害者を装った犯人であるにせよ、黒いマスクの男の存在を証明できない限り、陽と三厨が船長殺しの容疑者となる。


 あの黒いマスクの男が何者であるのか、まるで手掛かりがない。さらには船長室にはライブカメラが設置されていない。殺しの場面の一部始終が都合よくカメラに収められているなど期待薄だ。


 地面に寝転がった水木は、にやにやと楽しげに成り行きを見つめていた。もしかしてまんまと嵌められたのだろうか、という思いが陽の脳裏を過った。


「黒いマスクの男は本当にいたんです」


 陽は切々と訴えた。目撃証言を裏付ける根拠に乏しいと言われてしまえば、それまでだ。捜査には全面的に協力するつもりだが、頭から疑ってかかられるのはいくらなんでも癪に障る。


「八丈島近海の海底ケーブルが切断されたせいで、八丈島は大規模な通信障害に陥っています。インターネットが利用できず、携帯電話も不通になって、ATMやクレジットカード決済も利用できない状況になっています。私たちは海底ケーブルの補修に来たんです。火事があったら駆けつける消防車と同じです」


 陽にとっては言わずもがなだが、海底ケーブル保守業務は火事があったら駆けつける消防車と同じであり、海で事故があれば駆けつける海上保安庁とおよそ変わるところはない。


「小見船長と角南司厨長を殺すのが目的だったとしても、ただ殺すだけなら陸の上で殺せばいい。わざわざ海に出て殺す理由はなんですか。そこをきちんと明らかにして欲しいと思います」

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