第19話 閉ざされた船長室
陽は三厨にせっつかれて船長室を訪れたが、船員の出入り自由なはずの扉は固く閉ざされていた。
「お取込み中なんですかね。ますまます怪しい」
三厨が重厚な扉を遠慮なくこじ開けようとしたが、わずかに軋んだ音がしただけで、びくともしない。開かないとなると、よけいにムキになり、三厨は顔に似合わぬ馬鹿力を発揮した。
「ふんがっ!!!」
気合の入った声が船内にこだました。ようやく扉が開き、船長室に足を踏み入れた三厨が立ち竦んだ。
優雅な半円形のソファ、美しい彫刻の施されたマホガニーテーブル、大理石のカップボードなど、無機質な船員の個室と違って豪華な設えであったが、真っ先に陽の目を惹いたのは、血に染まった赤い絨毯、抜身の包丁を小脇に抱え、ぐったりと倒れた黒いマスク姿の男の姿だった。
「せ、船長が……。早く助けを……」
ほとんど虫の息のようなか細い声で男が告げた。力なく腕を上げ、船長室の先に続く隣室の扉を指差した。血のこびりついた前髪が、ぺたりと男の顔に張りついている。
「だ、大丈夫ですか」
陽が慌てて駆け寄ると、男が悲痛な声で叫んだ。
「わ、私はいい。船長を、船長を早く……」
「で、でも……」
男は拒絶するように助けの手を払い除けた。よろよろと立ち上がり、血染めの包丁を手に持ったまま、船長室から出て行こうとした。
「私は犯人を追う。き、君たちは船長を頼む」
「犯人? 犯人ってどういう……」
「いいからっ! 行けっ!」
男が怒鳴りつけるように大声で叫んだ。手負いの獣が最後の力を振り絞った咆哮のような凄まじい迫力だった。陽はびくりと身体を震わせ、それ以上はなにも関われなかった。
「陽さん……」
亡霊のように青白い顔をした三厨が陽の袖を引っ張った。司厨長の片目を知らずに飲み込んでしまった時にも増して血の気を失っている。ぞわりとする嫌な予感が陽の足元から這い上がってきた。
船長が寝起きする寝室は、まさしく血の海だった。
ベッドに頭をもたげた小見が絶命していた。一目で死んでいると分かる。思わず目を背けたくなるような惨状に直面して、陽は凍りついたように動けなかった。三厨もまた声を失っている。
クレイトン号はただ海底ケーブルの補修に来ただけだ。それなのになぜこんなにも人が死ぬのだ。陽の疑問もまた声にならず、濃厚な死の匂いが鼻を突くばかりだった。
首を吊った角南司厨長の死はどこか他人事だった。両目を抉られるという猟奇性がなければ、遠目には自殺とも受け取られかねない最期であったが、今回は違う。これは明確な殺人だ。それもただの殺人ではなく、強烈な怨恨を感じさせる葬り方だった。
「三厨、食堂に行こう」
「なんでですか?」
我に返った陽は大急ぎで階段を駆け下り、食堂を目指した。
「全員いてくれたらいいんだけど」
「陽さん、なんで食堂に行くんすか」
走りながら説明するのがもどかしい。たった今、船長室で小見が殺されていた。その間、ずっと食堂に残っていた船員は、物理的に犯行は不可能で、小見殺しの犯人から外れる。
「食堂にずっといたままなら、小見船長を殺せたはずない」
「あっ、なるほど」
「船員が誰も食堂から出ていないなら外部の犯行ということになる。31番目の乗船者がほんとうにいたのかもしれない」
息せき切って食堂前に辿り着いた。水木颯也が船員の数を数えさせたのは罪を免れるための陽動ではなく、知らぬ間にクレイトン号に紛れ込んでいた不審者の存在を知らしめるためだったのか。
だとすれば、水木は司厨長を殺していない可能性がある。水木は極めて怪しいが、完全な黒ではなく、限りなく黒に近いグレーだ。
陽が勢い込んで食堂に足を踏み入れようとしたところ、三厨に片腕を引っ張られた。なんだか妙に思い詰めた表情をしている。
「陽さん、陽さん」
「急いでる。なに?」
陽が面倒そうに答えた。
「さっきの死にかけてたマスクの人、誰だったんですか」
「……え?」
一瞬、陽の思考がフリーズした。
「犯人を追うとか言ってましたけど、もしかして船長を殺したの、あの男だったんじゃないですか」
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