第11話 火山の王様

 第三管区海上保安庁本部からの要請を受け、羽田特殊救難基地から、中型回転翼航空機MHシコルスキー76D型「あるばとろす」が発進した。


 海保がヘリコプターの愛称を一般公募したところ最も多かった愛称であるが、日本語名は「アホウドリ」。


 一部の地域で嵐を呼ぶとの言い伝えがあり、採用を見送られかけた過去がある。


 しかし、本日は嵐どころではなく、極めて特殊な自然災害に見舞われた。


 火山の王様キング・ボルケーノと名乗る匿名の火山学者が気象庁に「富士山の宝永火口が火を噴き、火山弾が火口周囲に降り注いだ」との報告を寄せた。


「富士山が火を噴いたらしいですよ」と機長の小松こまつあきらが言った。


 被害状況は依然不明のようだが、気象庁は上を下への大騒ぎで、メディアは火山学者提供の噴火動画を一斉に報じた。


「飛行中止命令は出ていないな。噴火の程度は軽いのか」


 特殊救難隊の陣場じんば純一じゅんいちは機体の窓越しに富士山方面の空を凝視した。うっすらと黒煙が立ち上っているようにも見えるが、八丈島を目指して南下していく機体からではまともに視認できなかった。


 海難救助の要請があれば、「海猿」の通称で知られる特殊救難隊が救難活動を行うが、特殊救難隊を現場に運び、要救助者を吊り上げ、帰還するのは飛行クルーの役目だ。


 第三管区の守備範囲は、東は茨城県、西は静岡県、南は小笠原諸島までの海上と広大だ。海の安全を守るのが仕事の特殊救難隊にとって富士山の噴火活動はさほどの関心事ではないが、空という視点から海を守るパイロットにとっては警戒を要する事態である。


「富士山はいつ噴火するか分からない、というのが表向きの発表ですけど、さる学者筋は噴火の日付を正確に予見しているようです」


 特殊救難隊の相棒バディである北折きたおりたけるが押し殺した声で言った。


 高名な火山学者の北折きたおりばく氏を親族に持つが、北折が興味を持ったのは火山ではなく、海だった。肉体派のくせにそこはかとなくインテリ臭が漂うのは、学者の血筋だからだろう。


「……冗談だろう」


 陣場が疑いの視線を向けるが、北折はいたって真面目な表情を崩すことはなかった。近く富士山が噴火するかもしれないという未来予測は方々で耳にするが、噴火の日付が正確に予見されているなどということは、まったくの初耳だった。


「噴火のXデーはいつなんですか?」


 機長の小松も興味をそそられたようで、操縦桿を握りながら話に加わった。北折は勿体ぶった口調で言った。


「気象庁が富士山が噴火した、と発表したときですね」

「だから、それがいつなんだよ」


 気の短い陣場が焦れたように言った。


「火山の監視や噴火予知の責任を負っている機関は気象庁ですが、気象庁の採用に火山研究者という枠があるわけではない。気象庁の職員に火山の専門家は少ない。火山のホームドクターを担っているのは、もっぱら大学の火山研究者です」


「すまん、話が見えない……」


 切れ長の目をいっそう細めた北折が補足するように言った。


「火山学者は四十人学級と言われるぐらいに人手不足で学級崩壊も近いと言われています。ただ、その四十人学級は火山観測所を持っている東大や京大、九州大学の研究者の合計であって、地方大学の一匹狼はカウントされていません」


 北折の持って回ったような話しぶりが鼻につくが、ようやく話が見えてきた。


「つまり、その一匹狼とやらがXデーを予言しているわけか」

「ええ、そんなところです。北折獏の教え子を名乗っているとか」

「北折の親族なのか?」

「教え子なだけで、親族ではないと思います」


 主流の四十人学級から外れた傍流の一匹狼がのたまう富士山噴火のXデー。それは水晶玉を見て未来を占う予言者と同じではないのか。


 小ぶりの隕石のような火山弾が降るぐらいであるならまだしも、本格的に富士山が噴火したとなれば、日本列島は甚大な被害を被るだろう。交通網は寸断され、死の灰とも言うべき火山灰が空を覆い尽くせば、大規模な通信障害を引き起こす。


 影響は地上だけでは済まない。通信が遮断されてしまえば救難依頼は届かず、海で事故が起こっても救助に向かうこともできない。富士山の噴火が陸だけでなく海にも波及する問題であることは容易に理解できるが、仮にXデーが正確に予期できていたとしても政府はぎりぎりまでその情報を公にはしないだろう。


 コロナ禍にあって、ただでさえ国民は終わりの見えない不安の渦中にあるというのに、富士山噴火の日をアナウンスすれば、新たなパニックを呼ぶことは目に見えている。


「Xデーを知ったところで逃げ場はないな」と陣場が言った。


「本土は多かれ少なかれ、どこも噴火の影響を受ける。コロナのせいで海外に高飛びもできない。安全なのは海の上だけでしょうか」


「海の上で食糧が尽きたら終わりだぞ」


 会話に耳をそばだてていた機長の小松が訊ねた。


「それで、噴火のXデーはいつなんですか?」


 ここまで散々勿体ぶっていた北折は、きっぱりと断言した。


「二〇二一年七月二十三日」

「それって……」


 それが何の日であるか、陣場にも即座に理解できた。


 本来であれば、二〇二〇年七月二四日から開幕するはずであった東京2020オリンピックは新型コロナウイルスの世界的な拡大を受け、二〇二一年夏に延期されることが決定した。


 しかしパンデミック収束の兆しはなく、オリンピックは延期ではなく中止もやむを得ない、という世論が大勢を占めるようになった。それでも東京オリンピック競技大会組織委員会は「オリンピックは二〇二一年七月二十三日に開幕する」と明言した。


 ウイルスの感染爆発に歯止めがかからないことなどお構いなしに開催を強行するつもりであり、人類が新型ウイルスを克服した大会になると五輪関係者は息巻いている。


「オリンピック開催日に富士山噴火の狼煙が上がるのか。そうなったら洒落にならないな」


 俄かには信じがたいが、北折はつまらぬ冗談を言うような男ではない。絶対確実ではないにせよ、それなりの信憑性はありそうだ。Xデーまでにもう一年も残されてはいないが、しかし今は目の前の救難活動に集中しなければならない。


「頭を切り替えるぞ、北折。状況についておさらいしよう」


「事故に遭ったのは、オーシャン・コネクト社所有の海底ケーブル敷設船クレイトン号。船籍は横浜港。乗船者数は三十名」


 北折は憎らしいほど冷静に言った。人が国籍を持つように、船もいずれかの国に籍を登録しなければならない。これを船籍と言い、いわば船の戸籍である。船尾に「船名」「船籍港」が表示され、登録された港が属する国が「船籍国」となる。


「船籍国は日本ということだな。あまり聞かない企業名だが、設立は新しいのか」


海難救助サルベージを主事業とする親会社の大洋サルベージ社から十年ほど前に独立したみたいですね。海底ケーブル事業では国内二番手か、三番手といったところだそうです」


「船の状況はどうなんだ?」


「転覆もしていないし、沈没もしていません。ただ……」


「ただ?」


「人が死んでおり、船内に爆弾が仕掛けられているかもしれない、とのこと。我々が着くころには船が沈んでいるかもしれません」


「爆弾か。それはさすがに手が余る」


 陣場がお手上げのポーズを取った。


「刑事課に連絡は?」


 海上保安庁は国土交通省の外局で、海上における「警察」「消防」「救急」の三役を担う。それに加え、海の標識である「灯台や航路標識の整備・維持管理」「水路測量・海図作成」など、多岐にわたる業務を受け持つ海の総合官庁だ。


 都道府県の地方公務員である警察とは異なる組織であるが、海上保安官は「特別司法警察職員」にあたり、捜査や逮捕、押収、送検などを行う権限を持っている。


 海保の内部部局の一角である警備救難部は「管理課」、「刑事課」、「国際刑事課」、「警備課」、「警備情報課」、「救難課」、「環境防災課」の七つの課からなる。


 海上で死体が発見されれば海上保安庁の管轄となるため、死因を特定するための検視も刑事課に所属する海上保安官が行う。海保の刑事課は警察から技術指導を受けており、鑑識活動も担当する。


「本庁刑事課に連絡済み。八丈島警察署にも応援要請しています」

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