第2話 操縦室

 二〇二〇年十月三日、航海二日目。


 クレイトン号は海底ケーブル切断地点の八丈島近海に停留した。


 同じ場所に長く留まって作業するケーブル敷設船には自動船位置保持装置DPS(Dynamic Positioning System)が装備されている。DPSは、GPS情報や風速、潮流等を計算し、船を長時間、一定地点に留めることできる。


 陽は冷凍コンテナを改造した操縦室コントロールームに移動した。複数台のモニターがずらりと並んだ様は、デイトレーダーの仕事場を思わせる。  


 遠隔操作型水中ロボットROV(Remote Operational Vehicle)のパイロットシートに、後輩の三厨みくり梨央りおがだらしなく座っている。


 流氷の天使クリオネ好きが高じて、海洋土木の道に転がり込んできた変わり種。髪の色は薄い青だったり、サーモンピンクだったりと一定しないが、いつ見ても眠そうな目だけは変わらない。


 三厨は地元のゲームセンターでたまたま見かけたクリオネ人形に心を奪われ、クレーンゲームに熱中した。目についたクリオネ人形を片っ端から取り尽くすだけでは飽き足らず、次は実物を捕獲してやろうという野心を秘めている。


 クレイトン号に乗船する海洋土木技術者は総勢七名。


 勤務は三交代制で、作業は一回四時間。二十四時間で二回働き、一日八時間が作業時間となる。


 陽が勤務する時間帯は、八時〜十二時、二十時〜二十四時である。


 技術者のうち、女性は陽と三厨のみだが、三厨は最新メカの水中ロボットを操る手並みが抜群に上手く、およそ言葉遣いがなっていないことや、怠惰さを隠しきれない生活態度は多めに見られている。


 八トンを超える重量の水中ロボットはへその緒アンビリカル・ケーブルによって船と接続しており、水深二五〇〇メートルまで潜航可能だ。十台のモニターには水中における距離、深度、緯度経度の絶対位置などが示され、中央画面にほとんど暗闇のような深海の様子が映し出されている。


 カメラがズームし、高輝度LEDライトの明かりが海底ケーブルの切断面を露わにした。切り口はなにか刃物ですっぱりと切られたような鋭利さで、鮫に齧られたといった風情ではなかった。


「サメが齧った感じじゃないね」陽が言った。

「そっすね」


 水中ロボットをゲームセンターのクレーンゲームよろしく、器用に操りながら三厨が気怠く答えた。


「サメがケーブルを齧るわけねえだろババア、とか思ってるでしょ」

「そっすね」


 ほとんど他人の話を聞いちゃいない三厨の生返事はいつものことだが、ババア扱いという地雷を踏んだことにようやく気がついたらしい。


 三厨は目で「それ、あたし言ってねえす」と訴えてきた。


 他人の話はきちんと聞きましょう、という指導を込めて、軽く肘で小突くと、三厨はぷいっと視線を逸らした。


「ミクリオは知らないと思うけど、ちょっと前までは本気でサメに齧られてたんだよ。当時の外装はケブラー素材で覆われてて、サメが不可解な好みを示してさ」


 クリオネ好きな三厨梨央をミクリオ呼ばわりすると、ほんのちょっとだけ照れ笑いするところが可愛らしい。


「不可解な好み? なんすか、それ」

「海底ケーブルを好物だと勘違いしてサメがうようよ寄ってくるの」


 ジョイスティックを握っていた三厨が目をキョトンとさせた。


「サメがケーブルを食うんすか?」

「ケーブルから発生する電磁波を魚と間違えてるんじゃないか、という説を唱える学者もいたみたい」

「うへえ……」


 三厨がなんとも言えない微妙な表情を浮かべた。


 現在は光ファイバーを包む防護表皮の性能が改良されているため、鮫が齧って切断という可能性はほとんどなくなったが、ほんの四、五年前までは海底ケーブルは鮫の餌になることが多かった。


 しかしながら、鮫に齧られても平気な頑丈さを有していればそれでいいか、と言うと、一概にそういうわけでもない。


 海底ケーブルの太さは、設置する水深によって異なる。


 漁網や錨、鮫の襲撃などからケーブルを守るため、浅い場所ほど太く強度がある外装になっている。逆に深海ではケーブルが重すぎると自重に耐え切れないため無外装ケーブルという細いタイプのものになる。


 水深八〇〇〇メートルともなれば八〇〇気圧もの圧力がかかる。親指一本に自動車一台を乗せているぐらいの圧力が圧し掛かってくるため、深い海では軽くて細いケーブルが選ばれる。


「陽さん、司厨部の兄ちゃんをロックオンしてましたね」


 三厨がむすっとしながら声を低めた。


「あ、ばれた?」

「陽さんもケーブルを齧るサメと大差ないっすよ」


 水木颯也は浅黒い肌と異国風エキゾチックな顔立ちが印象的な青年だったが、べつだん顔の造形に興味があるわけではない。


「司厨部の子と仲良くなったら、賄いを食べさせてくれるでしょう。ホエー豚の甘辛丼、あれはもう死ぬほど美味しかった」


 いつぞやの航海の賄いを思い出して、陽がじゅるりと涎を垂らす。三厨は理解できないとばかりに眉をひそめた。


「船上の楽しみなんて、食べることだけじゃん」


 陽がむくれる。


「そっすか?」

「あんたはポテチとカロリーメイトがあれば十分だろうけどさ」

「一日三食もあると、健康になり過ぎて逆に不健康です」


 陽は閉鎖的な洋上生活のストレスをもっぱら食べることで紛らわせている。さっぱり食事に関心のない三厨は地上にいるときはスナック菓子ばかりを貪り食い、洋上にいるときのみ三食をきっちりと食べ、食いだめをしている。


 偏食家の三厨とは食の趣味こそ合わないが、気安く話せる仲ではある。新型コロナウイルス対策のため船内でもマスク着用が義務付けられているが、ただでさえ息苦しい船内で四六時中マスクをしていると息が詰まる。三厨と二人きりの操縦室では陽はちょくちょくマスクを外していた。


「あー、私も定食屋の娘になりたかったな」

「いきなりなんですか、急に」

「水木君、定食屋の息子なんだって。いいよね、毎日ご馳走食べ放題じゃん」


 陽が食い気に任せて叫ぶと、三厨の手がぴたりと止まった。


「……陽さん」


 自作のクリオネイラストを刺繍したマスク越しに、三厨のくぐもった声がした。珍しく、何かを忠告するような響きだった。


「なに?」


 陽がごくりと息を飲む。


「司厨部の新入り兄ちゃん、あんまり深入りしないほうがいいかもですよ」

「どうして?」

「あれ、けっこうなワケありです」

「どういうことよ」


 陽が焦れたように言うが、ジョイスティックをがちゃがちゃ弄っている三厨はなかなか続きを言葉にしない。


「陽さん、裏バイトって知ってます?」

「なに、それ」

「ワケありの高額報酬バイトです。SNSでハッシュタグを付けて検索すると、めちゃめちゃいっぱい出てくるんですよ」

「具体的にどんなことをするわけ?」

「高齢者夫婦を結束バンドで縛ってタンス貯金を奪う手伝いとか、持続化給付金を不正受給する虚偽申請とか」

「三厨、あんたなんでそんなこと知ってるの」


 陽が呆れた声を出すと、三厨は表情を変えずに素っ気なく言った。


「元カレがアホで、そういうのに手を出したんですよ。金がなくなっちゃあ、あたしのところに金をせびりにくるサイテー男なので、海に逃げてるんですけど」

「クリオネが好きだから、船に乗ってるんじゃなかったの」

「まあ、そういう側面もありますね」


 淡々とした口調にさっぱり真剣みが漂ってはいないが、話の内容はキナ臭い方向へ舵を切った。三厨の元彼は持続化給付金の不正受給で逮捕者が出たことで、自分の身も危ないと案じたらしい。


「こんなことならにしときゃよかったぜってぼやいたんですよ」


 三厨はこれが証拠だ、と言わんばかりにスマートフォンの画面を見せつけた。インマルサット衛星を経由した通信であるため、陸上での光ファイバーによる高速通信に比べると酷く緩慢だ。


 #裏バイトの文字が踊る募集書き込みには、指定の定食屋に火を点けるだけの簡単なお仕事ですと書かれていた。明確な報酬額こそ示されていないが、返信欄には無数の応募が書き込まれている。


「司厨部の新入り兄ちゃん、たしか定食屋の息子でしたよね」

「いや、さすがに偶然の一致でしょう」


 陽の声が心なしか震えた。


「これでも偶然の一致ですか」


 三厨は裏バイトの募集者アカウントを表示した。

 ユーザー名はソーヤ、プロフィール写真には水木颯也と思しき、見る人が見ればそれと分かる横顔が写っていた。


「なーんか見たことある顔だなと思ってたんですよね」


 眠そうだった三厨の目が一変した。犯罪者を見るような目つきになり、吐き捨てるように言った。


「父親の定食屋に火を点けさせたってこと? そんなこと……」


 陽が気難しい表情を浮かべ、頭を左右に振った。


「んあっ……!!!」


 操縦室に異音が轟き、三厨が奇声を発した。


「急になんなの」


 三厨は忙しなくジョイスティックをがちゃつかせている。深海の様子を映していたはずのモニター画面は真っ黒に暗転しており、水中ロボットは制御不能に陥っていた。


「陽さん……」


 三厨が引き攣ったように笑いながら言った。


「近頃のサメは水中ロボットも食うんすか」

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