第2話 「苦痛と記憶」

遠くから

薄青い光が差してくる

それは近づいてくると

光ではなく

小さな青い魚の群れ

青い魚の体は透き通っていて

白い骨が透け

くねくねしたやはり薄青いはらわたがおりたたまれているのが見える

「なんて恥ずかしいものがここにいるんだろうね」

「こんな醜いへんてこなものは見たことないね」

「でも脚からはいいにおいがするね」

「甘くていい匂い、たまらないね」

「こんな醜い恥ずかしいものに近づきたくもないけど

やっぱりこのいい匂いはたまらない」

「なめてみよう」

「なめてみよう」

青い透き通った魚は

わたしの数えきれないエビの脚に近づくと

その小さな口についた小さな鋭い歯で

私の脚をかじる

「おいしいねおいしいね」

「そうだね、なめるだけじゃなくてかじらないとほんとうにはおいしくない」

「そうだね、なめるだけじゃだめだかじらないと」

「なめるだけじゃだめだかじらないと」

小さな青い魚の歯はそのかわいらしい体に似合わず鋭く

わたしの無数の脚を少しずつかじる

私の醜いエビの脚は

女の吐いた泡のなめらかさを堪能できるだけ感じやすく出来ていて

青い魚が私の脚をかじるたびに

骨を直接削られるような鋭い痛みが走る

わたしは叫び声をあげ

脚をうごめかしてうめく

まだ人間のままの両腕を振り回して

青い小さな魚を追い払おうとするが、

私の腕は足には全く届かない

「この足は動くねぼくらを振り払おうとしてるね」

「そうだね食べられたくないらしい」

「でもこんなにおいしいものはなしたくない」

「もちろんずっと食べてたい」

「もっとかじろうもっとかじろう」

「そうとももっとこのおいしい脚を食べていよう」

痛みは恍惚とした快感にかわるどころか

からだをぎりぎりと削りとられる疼痛として心をさいなむ

「罰はいつでも甘いと言ったのに

この罰はただ苦しい

この罰はひたすらに痛い

助けてくれ

助けてくれ」

もはやなにも言葉にならない

わたしは陰茎を縛りあげた黒い革紐でぶら下げられながら

ぐらぐらと揺れ動き

革紐はますます陰茎に食い込むが

もうその痛みを感じるいとまもなく

絶え間なく少しずつ少しずつ体がかじり取られていく

青いちいさい魚の歯はほんの少ししか脚をかじらない

しかしたくさんの魚がいっせいにかじり

鋭い痛みが永遠のように続いていく

「もうお腹いっぱいだね」

「そうだねお腹いっぱいだね」

「もう食べられないよ」

青い魚の透き通ったからだのなかの折りたたまれたはらわたが

茶色い粉でいっぱいになっているのが見える

「今日はこれくらいにしてまた明日来ようか」


青い魚たちは少し脚から離れ尾びれをひらひらさせる

「見てごらん仲間がたくさん来てる」

「本当だあんなにたくさん」

「いい匂いを嗅ぎ付けたね」

「そうだねぼくらだけじゃなかった」

向こうのほうから青いちいさな魚の群れが押し寄せてくる

その透き通ったからだの群れは

群れ全体が大きな魚のように秩序だってやって来る

「あんなにいたらこの美味しいものをみんな食べてしまうね」

「本当だぼくらも早く食べないと」

「今のうちに食べてしまおう」

「今のうちに食べてしまおう」

青いちいさな魚たちは

また小さな歯でしきりと私の脚をかじりはじめる

「お願いだもうやめてくれ」

そのとき

青い大きな群れが合流する

青いちいさな魚たちは

お互いを押し退けあい押し退けあい

私の脚にからみつくように入り込む

カリカリと私の脚をかじる音が

水のなかに響きわたる

魚の青とカリカリという音が

わたしの痛みが絶望であることを知らせる

とてつもない痛みが

もはや通常の状態としてずっと続く

「これが痛みというもので

これが絶望なのだ

私はついに絶望にたどり着いた

真の絶望は甘くも美しくもない

これがわたしの望んだものだ」

私は革紐に縛り上げられた隠茎を中心に

ぐるぐる回って痛みを少しでもまぎらわそうとする

でも数えきれない魚たちの食いついた脚は

もう動かない

わたしはなにかつかもうと腕をぐるぐる回し

しかし手はただ水をつかむだけ

「このまま気を失えないのか

死ぬことも出来ないのか」

痛みから気をそらすものはなにもない

もはや青いちいさな魚たちが

わたしの脚を食べ尽くすのを待つしかない

しかし魚たちの歯は鋭くてもほんの小さく

すべての脚を食べつくすのに

あとどれだけの時間がかかるだろう

この苦しみはほとんど永遠に続くのか

そう思ったとき

わたしはやっと虚ろになった

頭のなかが遠くにいった


「大丈夫かあ」

わたしは若い兵士をやっと塹壕に引き込んだ

若い兵士は胸を撃たれ軍服の胸は赤く染まっている

「しっかりしろ今助けが来る

そうしたら軍医に見てもらえるぞ

もう少しだ」

若い兵士は私の手を握る

「痛いです

苦しいです

ぼくはもう

死ぬんですね」

「気をしっかり持て」

「いいんです

ぼくはこの国の自由を守るために命を捧げに来たのですから

仲間と家族を守り

そしてぼくたちみんなの自由と誇りのために

ぼくは戦い

死ぬのです

悔いはありません

家族も僕を誇りに思ってくれるでしょう

自由万歳

自由万歳

でも心残りはひとつ

一度でいい

恋がしたかった」

若い兵士は息絶えた


「おおっ」

幻影は再び痛みで打ち消され

虚ろになった心に激痛という現実が戻ってくる

魚たちはわたしの脚の半分はかじり終わったのか

その時

岩の上から

金の髪をなびかせて

あの女が泳いでくる

まだ服を脱ぎ捨てたままの姿で

私の目の前に

乳房の真ん中の緑色の目のなかにある黒い瞳で見つめる

足のあいだのヤドカリはしきりと動き回り

ヤドカリの間から

赤い唇が舌を出しているのがのぞいている

「素敵な罰だろう

おまえの脚はもうすぐ食べ尽くされる

おまえの嫌いな醜いたくさんの脚はもうなくなる

うれしいだろう」

「助けてください

もうこの罰に耐えられません

お願いです助けてください

苦しすぎます」

「ネプチューンの治めるこの絶望の宮殿では

おまえに選ぶ権利はひとつもないのだ

ネプチューンがおまえをここから去らせるのでない限り

それがおまえの望みか」

幻影が私の目の前をよぎる

「いいえ

わたしはこのままこの絶望の宮殿にとどまりたい

ここにいさせてください

ここにいるためには

この罰に耐えなければならないというなら

この苦しみに耐えましょう」

女は声をたてて笑った

乳房の目も

足の間の唇も笑った

「ここにいても

魚にしてもらえるとは限らないのだよ

それでもここにいたいのかい

絶望の宮殿では苦しみは無限にあるのだよ」

もうそれにこたえる力はなかった

青いちいさな魚が私の脚をかじり続ける無限の時間

絶望の宮殿の苦しみがどんなものか

わたしのからだはすでに知っていた

絶望とは救いのないことだと

わたしは今まで本当には知らなかったのだ

わたしは再び虚ろになりそうになる

その時

まだ人間のからだの上になにかを感じた

ヤドカリ

女の足の間にいたヤドカリが

わたしの上をはい回っている

ヤドカリからはツンとした匂いが漂ってくる

それが女の足の間の唇の中から漂ってくるのと

全く同じ匂いだと気づく

ツンとして少し爛れた匂い

わたしは虚かろはっとから戻り

女の裸の体に目をやる

女の足の間の唇が開き

真珠の歯が別のヤドカリを噛む砕いているのが見える

隠茎の革紐に縛り上げられた部分へ向けて

なにかが沸きあがる

それは革紐によって阻まれ

陰茎はそこで膨れ上がる

「おまえは永遠の苦痛という絶望の中で

欲情しているのか

それがおまえの絶望か」

女は大声で笑いながら髪を一本抜くと

それはまたたくまに海蛇となり

女はわたしの陰茎の膨れ上がった場所めがけて海蛇の鞭を振るう 

わたしは青いちいさな魚に脚を食べられながら

新しい罰を受けている

女は優しかった

新しい罰が脚をかじられる苦痛を忘れさせてくる

海蛇の鞭は

わたしを悶絶から救う罰だった

絶望だけならば耐えられない

わたしははじめてそのことを知った

絶望から救ってくれるのは新な苦痛だけなのだ

陰茎に下される海蛇の鞭が

わたしに快楽を与えるにつれて

脚を食べられる永遠の苦痛が

次第に快楽に変わっていくのを感じる

わたしの陰茎はすでに破れ

黒い液体が流れ出している

きっとこのまま

この陰茎はそこから切れて

わたしは落ちていくに違いない

脚を食べられながら落ちていく姿を想像して

わたしはゆっくりと癒されていく

青いちいさな魚たちは

もうなにも言わず

競いあってわたしの脚をかじっている

わたしを苛む鋭く激しい痛みは

苦痛という名の快楽に変わっていく

青い魚たちはもうわたしのすぐそばにいる

そして数匹ずつ泳ぎ去っていく

それがどんどん増えて

青いちいさな魚たちはみんな泳ぎ去り

もう一匹もいない

脚を食べ尽くしたのだ

もう痛みはない

絶望はついに終わったのだ

わたしの腰から下はなにもない

絶望がわたしから去ると同時に

空虚がやってくる

絶望と苦痛がどれだけわたしを満たしていたか

わたしは思い知る

なにもなくなった腰から下を見ながら

わたしははじめて

虚ろな涙が溢れるのを感じる

その時

わたしの切れかった細長い陰茎は

最後の皮が切れて

わたしはゆっくりと落ちていく

わたしは落ちていく

わたしは落ちていく

わたしが海の底までやってくると

そこにはあの女が待っている

「さあおまえの醜い脚はもう魚たちが食べ尽くして

もう一本もない

おまえはもう

ひとりではどこへも行くことが出来ない

さあこれからどうする」

女は笑いながらわたしに近づく

そしてわたしの残った体を

胸をやわらかく撫でる

あたかもいとおしむように

ときおりわたしの小さな乳首をあやしながら

女はわたしの唇にやさしく唇を重ねる

甘いものがわたしのなかに満たされ

わたしは女の肩に手をまわす

女の乳房はゆっくりと立ち上がり

乳房の先の緑の目の中の黒い瞳が

少し笑っただろうか

わたしは乳房に手を触れ

そのあたたかさと柔らかさに驚き

そっと揉んでみる

「ああ気持ちがいい

おまえが欲しくなったよ

おまえもそうだね

わたしが欲しいだろう

いいよ

そうしよう

そうしよう」

わたしの陰茎の切れ端は屹立し

女はその切れ端をやさしく撫でさする

そしてそれを女の足の間の唇に

静かにあてがう

「さあいいね

ひとつになろう」

足の間の唇が開き

わたしの陰茎の切れ端をくわえる

そして唇は動き

中にある真珠のような歯が

わたしの陰茎の切れ端を

ゆっくりとかみ砕く

唇はしきりと動きまわり

陰茎の切れ端の先端をかみ砕き終わると

またゆっくりと

陰茎を食べ続ける

「ああおいしいよ

とてもおいしい

おまえのみじめなものは

噛み砕かれて

わたしのものになるのだよ」

女はうっとりとした目で

わたしの目を見つめる

もはやわたしは

陰茎を食われる痛みすら感じない

それは確かに痛みとして感じるのだけれど

すさまじい激痛はあるのだけれど

わたしの陰茎を女の足の間の口に食べていただける

自分の陰茎が女の体の一部にしていただける幸せに

わたしは震えて

うっとりとしている

「ありがとうございます

もっと食べてください

わたしのみじめなものを

体の一部にしてください」

女の足の間の唇は

陰茎の切れ端をすべて食べ尽くしても終わらず

陰茎の根元をかじり取る

唇がわたしの体に直接触れている

わたしは思わず声をあげる

唇はわたしの陰茎の根元を食べ進み

わたしの体に穴が開いている

そこでやっと

唇は離れる

女はまた白い長い舌を出し

白い泡をその穴に垂らす

するとわたしの穴のまわりに

うす桃色の花びらが開いたり閉じたりするようになる

もともと陰茎のあった場所に

穴が開き

そのまわりを花びらが

なにかを誘うように開いたり閉じたりしている

「さあこれでおまえにはもう用はない

どこかの海の底に捨ててこよう

おまえは動くことが出来ない

おまえは海の底でじっとしているしかない

どうにかして

この姿とは違う姿になれなければ

もうおまえは永遠に

海の底に転がっているのだよ

おまえの穴に付けた花びらは

せめてもの情けだ

それで何とかするといい」

女はわたしの金の首輪についた鎖を

無造作に引っ張ると

そのまま泳いでいく

わたしは首輪ごと女に引き回され

腰から上だけの体に

下に穴が開いた姿で

海のなかを引かれていく

すれ違う魚たちが泡を出して笑っている

「やっぱりあの醜いものは

魚なんかになれはしなかった

あのみじめな姿を見てごらん

ほんとうにひどいね」

貝たちまでも

蝶つがいをバタバタさせて笑っている

わたしは長いあいだ引かれていった

赤や青の不思議に光るサンゴ礁の生い茂る

ごつごつとした岩の下にやって来た

「ここがいいね

ここならそれでも

魚たちがやって来て

お前の相手ぐらいはしてくれるだろう」

女はそう言うと

自分の髪を一本引き抜くと

今度は髪は杭に変わり

女はその杭を岩に打ち込むと

その杭に鎖をくくりつけ

女の腹につけられた南京錠をかける

「もうこれでおまえはどこにも行けない

その腕で這い回ることも出来ない

永遠にここに転がっているのだ

誰かがおまえを違う姿に変えてくれるまではね」

女はそう言うと泳ぎ去っていく

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ネプチューン 海望(うみのぞむ) @uminozomu

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