ネプチューン

海望(うみのぞむ)

第1話 「絶望の宮殿」


光も差さぬ蒼黒い海の底のネプチューンの宮殿

うす緑にぼんやりと光る白い

なんの飾りもない丸い柱の建ち並ぶ

冷たい石造りの広間

顔の両側に眼があって

丸い口許に一本ずつのうごめく長い髭を蓄えた

魚の姿のネプチューンは

黄金に碧玉の飾りの付いた玉座に不自然に座ったまま

わたしに問いかける

「おまえがここに希望を語りに来たのなら

ここはおまえの来るべきところではない

しかしおまえがここに

絶望を語りに来たのなら

こここそおまえにふさわしい場所だ」

「わたしはここに絶望を語りに来ました」

「ならば良い

おまえを歓迎しよう」

金色の髪をして目だけが魚の

白い長いドレスの裾を引いた娘が二人

黄金に紫瑪瑙の飾りの付いた首輪をわたしに付ける

そして金色の小指ほどに小さい鍵を

首輪の鍵穴に差し込んで

白くて細い指でカチャリと音がするまで回す

その小さな鍵を指先でつまんで

ひとりの娘がもうひとりの娘の顔の前に差し出し

二人はたがいに目を見つめあって微笑む

娘の口から赤く長い舌が伸びて

もうひとりの娘の指先の鍵を舐めとると

またその舌は口のなかに戻り

ゴクリと喉を鳴らして娘は鍵を呑み込む

二人は声を立てて笑う

「おまえがその首輪をしている限り

おまえは絶望の囚人としてここにいることができる」

ネプチューンはそう言うと

またたくまに宮殿の奥に泳ぎ去って行く

娘たちの姿ももうない

緑に紺の縞の小さな魚たちが

顔の横をいっせいに泳ぎ抜けて行く

魚たちの通りすぎた向こうに

栗色の長い髪をたゆたわせた

透き通る肌になにも身につけていない3人の女が

わたしを見つめて手招きする

わたしが女たちのところに歩いていくと

3人の女はふわりと抱きついて

わたしの服を脱がせ

女たちと同じように

なにも身につけない裸にしてしまう

わたしがひとりの女の体に手をすべらせると

3人の女は透明なクラゲに変わり

ふわふわとわたしのまわりを漂い

流れ去っていく

下を見ると

床をうねうねと

目が濁って歯をむき出しにしたウツボがたくさん泳いできて

わたしの足許に絡みつき

ぬるぬるした体をすべらせながら

わたしの肌を這いのぼってくる

向こうからは

青い巻き毛の

深紅のチュニックを身につけた娘が

黄金の首輪を付けた

大きな角のある牡牛の鎖を引いて歩いていく

ウツボたちが口々に

耳許で囁く

「おまえのような醜いものは

決して魚にはなれはしない

おまえのような醜いものは

決して魚にはなれはしない

おまえはあのように牡牛になって

首輪を引かれて歩くのだ」

「いやだ

いやだ

わたしは魚になりたい

魚になってネプチューンに仕えたい

牡牛になんかなりたくない」

ウツボたちは見る間に

金色の長い髪を肩になびかせた

蒼い遠い目をした

体にぴっちり貼り付いた黒いなめし皮の服を纏ったひとりの女に変わった

女はわたしの首輪に金の鎖を付け

「牡牛ではなく魚になりたいのなら

わたしについてくるがいい

魚にしてあげるよ

魚が無理なら

せめて牝牛にしてあげる」

女は海草のようにゆらめく白く長い指でわたしの髪をつかみ

髪を引きずりおろしてわたしをひざまずかせる

「さあついておいで」

女は鎖を強く曳き

ゆらりゆらりと体をくねらせながら歩いて行く

わたしは白いすべすべした石の床に手をつき

膝をつき

鎖を曳かれて歩いてゆく

い並ぶホタテ貝たちがいっせいに泡をふきながら口を開き

「あんな醜いものが魚になりたいって曳かれていく

魚になんてなれはしない

魚になんてなれはしない

ああやって曳かれてながら

きっと牡牛になってしまう」

ホタテ貝たちは蝶つがいをばたばたさせる

そのたびに泡がゆらゆらと立ち上る

海の底の色の目をした緑の蟹たちが

笑い声もあげずにわたしの体を這いのぼり

小さなハサミでわたしの肉を引き裂く

わたしの胸の肉がちぎれ

耳たぶがぶらぶらする

体から流れる血は上へ上へとのぼっていく

呻き声をあげると

女が金色の髪をひるがえして振り向き

「その蟹たちはおまえを清めているのだよ

こうすれば牡牛にはならない

それに

生まれ変わればもうその醜い体はいらないのだから」

蟹たちはわたしの乳首を削ぎ落とし

わたしの叫び声を聞いて

そのときはじめて

ごぼごぼと泡を立てて笑った

「わたしはもっと恐ろしい悲惨を

笑って戦い抜いた

友の体がちぎれ去った戦場で

最後まで逃げはしなかった

そのわたしが

こんなことを怖れはしない」

金色の髪をした女が振り向いて

目をきらきらさせて笑うと

金色の髪を引き抜いてわたしに投げる

髪はふたたび二匹の

濁った目をしたウツボに変わり

一匹はわたしの陰茎に食いつくと

その鋭い歯をじわじわと立てながら

ゆっくりと削ぎ落とそうとする

もう一匹は尻の穴にうねうねと頭をねじ込み

そうしてわたしのハラワタを貪る

「さあ勇者とやら

おまえにはこうしてしっぽも生え

牡の標もじきに食いちぎられ

このまま牝牛になるのだよ

それがいやなら

とっとと歩くがいい」

鎖を強く曳かれて

わたしは身体中を食い荒らされ

呻き声をあげながら

女にしたがって這ってゆく

赤い鯛の群れがぐるぐるとまとわり

ぴちゃぴちゃと笑い声を立てる

やがて紫色のワカメの生い茂る広間にたどり着く

青い柱の建ち並ぶその真ん中に

見上げる大きなイソギンチャクがそびえている

イソギンチャクの体はピンクがかった肌色を

深みどりのイボが覆っていて

イボがそれぞれ呼吸しているかのように動いている

「さあ、ここが生成の聖なる女神の間だ

ひれ伏すがいい」

女はわたしの頭にその素足を乗せ

わたしの額を地べたに押し付ける

女の体ほどの大きさの

意地の悪そうな二つの離れた黒い眼をうごめかせた

八本の足を絡ませたタコが

わたしの背中の上に乗ってきて

わたしはその重みにつぶれ

這いつくばる

カニたちは体の下から逃げ去り

ウツボもすっと泳ぎ去る

タコはその長い足をわたしの体から流れる血の中に浸し

血の浸った足を足の根元の口に入れて

ずるずると血を舐めとっている

女はわたしの頭に足を乗せたまま

「さあ、這いつくばって女神にお願いするのだ

その醜い姿を捨てて

今すぐ魚になりたいと

お前のその体を美しい

たおやかな魚の姿にしてほしいと

その汚れきった体を今すぐ捨てたいと

女神にお願いするのだ」

わたしは這いつくばり頭を床に押しつけられたまま

「女神さまにお願い申し上げます

わたしはこの醜い姿を捨て

今すぐ魚の姿になりたいのです

どうか女神さまのお力で

わたしを魚の姿にしてくださいませ」

わたしの頭を踏みつけた女が

その足でわたしの腹を何度も蹴りつけながら

「この見るにたえない出来損ない

おまえは女神さまへのお願いの仕方もわからないのかい」

タコがわたしの頭にすべての足をからませ

ぎっちりと締め上げる

わたしの頭はきっとこのまま割れて

わたしの脳髄は流れ出て水の中をたゆたい

イソギンチャクの女神さまのお口に入れていただくのだろう

それもわたしのしあわせだ

わたしのいまわしい人間の記憶は

あのイボだらけのイソギンチャクの女神さまの中で

わたしの脳髄と一緒に溶けてゆくのだろう

そしてわたしの体は

魚たちがついばんでくれるのだろうか

魚たちにつつかれて消えてゆくからだのことを思い

わたしは夢の中のようなやすらぎに包まれる

わたしがその夢に沈もうとしたとき

タコがわたしの頭を締め上げたまま

ふいと浮かび上がった

「女神さまは情け深いお方

醜い上に礼儀知らずのお前の願いを叶えてくださるのだよ

でもその前に

お前のその汚れたからだを浄めないと

とても女神さまのお口の中にお前を入れられない」

ぴっちりとした黒いなめし革に身を包んだその女は

また金色の長い髪を一本引き抜くと

さっと振る

すると髪は金色の鱗をきらきら光らせた

いやらしい水色の目をした海蛇に変わる

女は海蛇の頭をつかむと

タコに頭をつかまれて宙に浮くわたしの背中に

海蛇の長いからだを鞭にして叩きつける

もはや身体中血まみれのわたしのからだが

海蛇の鞭で今度は

背中がぱっくりと裂け

新しい赤い血が流れ出す

女は今度はわたしの腹に海蛇の鞭を侍らす

そこからも新しい赤い血が

水の中にたゆたい

上へとのぼってゆく

女はつぎつぎとめったやたらと海蛇の鞭をふるい

鞭あとから流れ出す赤い血が

わたしのからだの周りをたゆたってのぼり

わたしのからだはあかくつつまれる

もう痛みすらない

傷はわたしに新しい悦びをあたえ

赤い血に包まれながらわたしは

恍惚とよろこびにひたっている

わたしのからだは今

浄められているのだ

なにもおそれるものはない

女神さまのからだの中で

魚にしていただくのだ


女は海蛇を放り投げる

海蛇はいぼだらけのイソギンチャクの女神の周囲を一回りして

そそくさと逃げていく

「さあ、お前の体は浄められた

お前を女神さまの体の中に捧げよう

女神さまがお前をどうするか

それは女神さまの御心しだい

きれいな魚にしていただけるよう

願っておけ」

体のあちこちが裂け

体中から流れ出た赤い血が

きれいな泡となって私のまわりをたゆたう

タコはわたしの頭を高く持ち上げ

ぬめりとした肌色の体の上で

緑色のいぼが呼吸するようにうごめいている

紫のワカメに取り囲まれた

イソギンチャクの女神様の真上に運ぶ

わたしの体の下で

うす黄いろにところどころ茶色のまだらのある

まるく並んだ触手がざわめき

いっせいに外側に開く

その中には

うす桃色の

年よりめいたしわを寄せてすぼめた口があらわれ

わたしを迎えるようにゆっくりと開く

タコは私の頭をゆっくりと放す

わたしの体は

その口の中に落ちてゆく


わたしは叫ぶ

「熱い、熱い」

落ちていった口の中は

しゅわしゅわと湯気の立つ

緑色のどろどろの鍋

私の体は足から灼けるように溶けていく

しかし

わたしが苦痛の叫び声をあげたのを

女神は聞き逃しはしなかった

わたしの体が足と背中からゆっくり沈んでいくさなか

急に鍋があふれるようのに水かさが上がり

わたしの頭は

しわだらけの口につかまえられ

そのまま

からだごと口を通って外に吐き出された

わたしの体は下に落ちていく


金色の髪の女が笑い声をあげる

わたしの体は

腰から下に

エビやヤドカリそっくりな脚が

たくさんみっちりとついている

わたしが歩こうとすると

たくさんの脚がざわざわといっせいに動き始め

わたしはすべるように動く

そしてその両側の脚の間に

陰茎がだらりと垂れ下がっている

「お前は女神さまの中で悲鳴を上げたのだね

それがどれだけ無礼なことがわかっているかい

そもそもお前は魚などにはなれなかった

そんなたくさん脚のある醜い生き物になる定めだったのだよ

でももうそれも中途半端に終わり

その姿のままずっと暮らしてゆくのだよ

みじめな笑いものとしてね

さあ女神さまに無礼をお詫びし

立ち去るが良い」

女の金色の髪はゆらゆらと逆立ち

その髪の一本一本がまたぬめぬめとして鋭い顎を持つ

ウツボの姿のなって私に向かってくる

ウツボはわたしの体の周りをぐるぐるとまわる

女は黒いなめし皮の服をゆっくりと脱ぎ捨てる

その肌はうすく透き通る蒼

乳房はたわわにたゆたい

乳首には緑色の目が開き

黒い瞳が私を見つめている

臍には紫がかった金色の南京錠がかけられ

脚の間にはヤドカリが這いまわり

その中央に唇が赤く光っている

わたしの数えきれないたくさんのエビの脚のあいだの

細く垂れ下がった陰茎はするすると立ち上がり

興奮をたたえて屹立する

女はわたしに歩み寄り

ウツボたちはそのままの姿で女の頭に戻り

しきりとのたうち回る

わたしの首の金色の首輪がゆっくりと締まり始める

「お前はわたしの体が欲しいのかい

女神さまへのお詫びも忘れて

立ち上がっているお前の脚のあいだのものはなんだい

お前には罰が必要だ

お前はきっと罰が好きだろうが

罰こそお前ののぞみなのだろうが」

首輪の締まる苦しさにわたしはうめき声をあげる

「お許しください女王様

わたしはとてつもない無礼を働きました

わたしに罰をお与えください

どんな罰でも喜んでお受けします」

「そうとも

罰はいつでも甘いものだ

罰だけが喜びを与え

生きるに値するものを与えてくれる」

女は口を開き

白い長い舌を出し

その舌から

細かい白い泡があふれだし

わたしの数えきれないエビの脚にかかる

わたしはその泡のかかる

なめらかな感触にうっとりとする

舌からはどんどんと泡があふれ

わたしの脚は泡にまみれていく

わたしは首輪の締まる苦しさとともに

ゆっくりと恍惚に浸っていく

わたしの細長い陰茎はいまや私のあごにつくほど屹立している

女が頭に手をやると

うごめくウツボは黒い革紐に代わり

女は革紐を私の陰茎に叩きつける

恍惚は激痛に代わり

またあたらしい恍惚の光がさしていく

なんどもなんども

女は黒い革紐を叩きつけ

激痛は恍惚の光となり明るく差し込む

やがてすべてのウツボがつながって

長い革紐となり

革紐の端が私の陰茎に巻き付き

もう片方の革紐の先を口に咥え

女は両手を軽々とかいて

高い岩の上に泳ぎのぼる

私の体は陰茎に絡みついた革紐に引っ張られ

ぐいぐいと昇っていく

女は革紐の先を

岩の突端の私の陰茎そっくりに屹立した岩に縛り付ける

わたしは縛りあげられた陰茎を上にして

頭を斜め下にして吊り下げられ

水の中にゆらゆらと揺れている

「お前は女神さまからいただいた

その数えきれないエビの脚がいやなんだね

女神さまの恩寵を嫌うなど

なんてもったいないことを思うのだ

でもその脚が嫌だというなら

わたしはやさしく慈悲深い

お前のその脚をなくしてあげよう

わたしの舌からあふれたあの泡は

甘く香ばしく

この海で一番小さく美しい青い魚たちの大好物なのだよ

青い魚たちは大好きな泡をなめながら

そのかわいらしい小さな歯で

お前のその脚をかじり取ってくれるだろう

そうすればお前のその脚は

すべてかじり取られてなくなる」

そう言うと女はすっと両足を広げる

脚の間のヤドカリたちはそそくさと動き

その間から真っ赤な唇があらわれ

その唇からぷくぷくと泡が出たかと思う間に

唇は開き

少し翠のはいった白い真珠がいくつも歯のように生えているのが見えた

わたしの吊り下げられた陰茎がどくどくと脈打ち

それによって痛みはますます激しくなり

締め上げる金の首輪の息苦しさとともに

わたしは頭に血が上りもうろうとなる

女は腕と足を両方軽やかに掻いて

泳ぎ去っていく

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