第56話 だと思った

 

 崩れた、ぽかんとした顔で見上げられれば、カーティスはふふと笑い声を上げる。

 マリーはそれが気に入らなかったようだ。


「何を笑って!」


 学校内であるにもかかわらず、周囲を気にした様子もない姿に、カーティスは今度こそ破顔した。


「いやいや、楽しいなあって思って」

「それに、なんなの、急に」


 もごもごと口ごもる彼女は不満そうに眉をしかめている。


「急にじゃないよ。前に言っていたでしょう。卒業前にはもう一度婚約を申し出るよって」

「だからって!……パーティーは、まだ先でしょ……」


 卒業パーティーは、冬が終わり、建国記念パーティーよりもさらに後である。

 マリーの言う通り、まだパーティーは先なのだ。

 カーティスとしても、大きな分岐点となるこの申し出は、卒業間近まで好感度を上げたうえで、と思っていた。

 けれど状況は変わったのだ。


「そうなんだけどね。マリーの気持ちが変わってしまったら嫌だなあと思ったものだから」


 一刻も早く言質をとってしまいたい。


 偶然にもマリーの気持ちを聞いてしまってから、なんだかんだと距離も縮まり、今では気さくに会話もできる。

 とても幸せな時間である。

 しかし、今のままでは、この関係がいつ終わるとも限らない。

 そんなのはあまりに勿体なく、悲しくて。

 カーティスはマリーを掴まえておくために言葉を紡ぐ。


「……どうだろう? 受けてもらえるだろうか」


 白い指先にそっと触れて、目の前まで持ち上げる。

 指先越しにマリーを見た。


「っ、こんな、ところで言われるなんて、聞いてない、し!」


 頬を染め、そっぽを向くマリーだが、カーティスの手が払いのけられることはなかった。

 それに安堵しながら、目を細める。


「でも、たぶん、マリーは受けてくれると思ってるけれど」


 内心の緊張を押し隠して、悪戯をする子供の様に口端を上げた。

 マリーは予想通りの反応を返してくれる。


「……そんなの、わかんないじゃない!」

「いいや。わかるよ。だって、僕はマリーのことを好きで、マリーも僕のことが好き──嫌いじゃない、でしょう」

「…………そこは、好きでいいんじゃないの」

「うん、まあ、とにかく、嫌われてはいないわけだ」


 ようやくこちらを向いてくれたマリーは呆れ顔だ。


「それで?」

「うん、それでね、」


 カーティスにはとっておきがあった。


「ミアのことも好きでしょう」

「は?」

「大好きだよね?」


 残念なことに、二人の会話に割り込めないほど夢中で話しているときがある。

 いつかはそういう時間を自分も過ごしたいと思っているけれど、それはおいおいとして。

 カーティスの笑顔に圧を感じたからか、訝しげながらも、マリーは頷いてくれる。


「ミアは卒業後、うちで働いてくれることになってる。リーヴェル領はここから遠いからね、ミアが卒業してしまえば会える機会は少なくなると思う。だけど、僕と結婚すればマリーもリーヴェル領に住むことになるだろう? つまり、僕と結婚することで、ミアとも一緒にいられるってことだ。どう? 魅力的でしょう!」


 カーティスにもプライドはある。しかしマリーとの結婚を思えば、ちっぽけなものだった。

 自信満々に自分との結婚のメリットを掲げたが、対するマリーの反応はすこぶる悪い。


「……………………そうね」

「…………じゃあ、ミアがいなくても、僕のところに来てくれる?」


 少しの期待を込めて聞いてみたが、マリーは小さな呻き声を上げ続けたのち、何かに抵抗するかのように首を振る。


「…………っミア、がいるなら、行ってもいいわ」

「だと思った」


 苦虫を嚙み潰したような顔のマリーの手を離さないまま、カーティスはにこりと笑った。

 そうして白い手の甲にキスを落とす。


「……な……っ!」

「わあ、ごめんごめん。周りにも伝えておこうかと思って」


 マリーが周囲を見渡すと、少なくない人数の生徒がこちらを向いている。

 慌てて顔を取り繕おうとしたものの、その努力は報われなかったようで、顔の赤さは消えていない。


「また改めて公爵様には挨拶へ伺うよ。それに、こんなところじゃなくて、ちゃんとプロポーズもしたいしね」


 マリーは弾かれたように目を見開いた。

 何かを言いたげにぱくぱくと口を開いたが、結局諦めたようで小さく息を吐く。


「……あなたってわけがわからないわ」

「君は、そんな僕の婚約者になるんだけどね」


 無事に言質をとったカーティスはほくほく顔だった。

 婚約者という響きもとても良い。

 マリーの不機嫌そうな顔も、今だけは全く気にならない。


「……カーティスさんって、変わってるって言われるでしょ」


 ぽつりと聞こえたマリーの言葉に、今度はカーティスが驚かされる番だった。


「え! マリー! 今、僕の名前……!」


 何度ももう一度言ってほしいと懇願したが、マリーはつんと顎を上げて、カーティスの願いを叶えてはくれなかった。

 しかし、ちらりと見えたマリーの口端は上がっていて、カーティスはまた愛おしくなるのだ。




 それからカーティスは約束通り、ロイモンドを伴い公爵家へと挨拶へ向かい、家同士の公式な書類でもって婚約を取り決めた。

 ようやく長かった片想いに終止符が打たれたのだった。




 ◇◇◇




 ドレスを身に纏ったマリーの手を取って、一歩ずつ進む。


「まさか、この日をマリーと迎えられるなんて、一年前は思いもしなかった」

「あたしをエスコートしないカーティスさんには、あれでも足りなかったくらいよ」

「はは、あんなに蔑んだ目を向けられたのは、人生で初めてだったよ」

「しかたないでしょ! あたしだってあんな目に合うなんて思ってなかったんだから」


 こそこそと自分たちにだけ聞こえる声で話していたが、名前を呼ばれて口を引き締める。

 お互いをちらりと見合って、揃えるようにお辞儀した。

 これで卒業パーティーの目的は果たせるのだ。


 大きな拍手が巻き起こるなか、背筋を伸ばした二人は笑い合う。

 出会った日のような満面の笑顔を見て、二人で過ごせるこれからを、しあわせに生きたいとカーティスは心から思った。






おしまい。

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偽りの僕と君とのしあわせな世界 夕山晴 @yuharu0209

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