第55話 楽しくて仕方ないよ
「それで、どうなりましたの」
もうすっかりと秋の景色に染まった頃。
アイリーンはクラウスを問いただした。
「ああ。ウドルフについては、父とも話をして、国境寄りの領地を治めてもらうことになった。表向きにはな。体のいい厄介払いだ。ま、本人も薄々気づいてきてはいるようなんだよな、自分が跡を継ぐことはないのだろうってな。あまり反発もなかった」
「え? ウドルフ様が?」
アイリーンは驚いて目を丸くしたが、クラウスもまた言いたいことはわかるとばかりに眉を下げた。
「ああ。あの、ウドルフがだ。カーティスが何か言ったらしいが……正確にはわからない。ウドルフも言わないし、カーティスも何も言わない。というよりあいつはそれどころじゃないんだろうが」
「その、国境寄りの領地──領民の方は大丈夫なのでしょうか。ウドルフ様が治めることで何か影響が出ないかしら」
「ウドルフは別に頭が悪いわけじゃない。学校での成績も良かったし、政治経済にも精通してる。私情さえ挟まなければ難なくこなせるはずさ。だから、別に俺が後継者じゃなくたって良かったはずなのに」
結果、父の思い描いたシナリオ通りに、クラウスが跡を継ぐことになる。
「ウドルフ様が挟むだろう私情をよく理解されたうえで、ということでしょうね。さすがですわね」
アイリーンはクラウスの父であるエーヴァルト家当主を褒めたが、クラウスは苦い顔をするばかりである。
「そうならないように取り計らってくれればよかったのになあ」
クラウスはそうぼやいたが、おそらくは取り計らいもした上でだろうことは予想がつく。そう簡単に長男に見切りはつけないはずだ。
だが、その甲斐空しく、ウドルフは我を通しすぎた。クラウスの手に渡った当主の鎖を羨ましく思うあまり、近しい者と敵対するほどに。
落ち着いて考えれば、それが当主となるテストの一環だったことは見て取れたに違いない。
ウドルフは頭に血が上りすぎたのだ。
けれど、その原因となった当主の座が、手に入らないことが確実になった今、彼は冷静になるだろう。冷静な彼であれば、おそらく領地も領民も繁栄していく。
クラウスはしばらく丸い雲が空を漂うのを眺めた。
アイリーンもそれに倣い、何も話さなかったのだが、耐えきれずにクラウスはぽつりと言う。
「あのさ、アイリーン、これから俺はどうしたらいい? 他の子と遊ぶの、やめてほしい?」
言いにくそうにクラウスは顔を歪める。
それを見たアイリーンはただただ目を丸くさせた。
「ええ? 今更、そのようなこと、気にします? 今更」
「何回言うんだ。……だーってなあ、まさかお前が」
ごにょごにょと誤魔化したのは、アイリーンのクラウスへの想いである。
「今更でしょう。どうせ卒業後は正式に婚約者と公になるのです。今しか遊べないのですから、遊びたいのであればどうぞお好きに。もともとそういう約束でしたし、学生の間は婚約者である義務はないでしょう」
「それはそうなんだが。俺はお前が嫌なら、やめようと思うんだよ」
「え? まったく構いませんけれど?」
嘘偽りのない顔でアイリーンが言うものだから、クラウスは言葉に詰まる。
「え? なんで?」
「なんでもなにも、だから今更だと言ったわよ。貴方が女性と出かけるなんてこと、日常茶飯事。それを含めてクラウスでしょう。卒業まではどうぞお好きに」
「ええ?」
クラウスが困惑し、アイリーンは笑う。
気遣いを見せるクラウスによって、少しばかりアイリーンの機嫌が良くなったのだが、首を捻り続けるクラウスには見えていなかった。
一息置いて、アイリーンはちらりと視線をずらす。
「そして、あちらは、何なのでしょう」
「……ははは、分かりやすいにも程があるだろうに」
横目で見た視線の先には、並んで歩く二人の姿。
カーティスとマリーである。
満面の笑みのカーティスの隣に並ぶマリーは、時折頬が緩んでいる。
「嫌がらせ、されていないんでしょう?」
「公爵家と辺境伯家に正面切って喧嘩を売ろうなんてやつ、そうそういないだろ。いたとしてもカーティスの奴が潰してるだろうし」
「そうね。噂話は、あいかわらず聞こえてくるけれど、悪意のあるものは少しずつ減ってきてはいるし」
はたから見ても幸せそうな二人には、文句も言えないのかもしれない。
「よかったなあ。一時はどうなることかと」
「あらあ。思ってました? そんなこと」
「いや、思ってなかった。拗れすぎだろ」
「そう、ただじれったいだけでしたわね……ですが、まとまってしまえば、それはそれで面白くありませんね」
「──お前、もう少し性格を改めた方がいいと思うぞ。気持ちはわからんでもないけどな」
呆れた顔のクラウスとアイリーンは、すれ違う二人を眺めること──娯楽の一つがなくなったことを残念に思うのだった。
◇◇◇
カーティスは横を歩くマリーを見ては微笑んでいた。
「何がそんなにおかしいのよ」
つっけんどんな言い方も照れ隠しなのだとわかってしまえば、かわいいだけである。
「いいや。僕の隣を歩いてくれてるのを見るだけで、本当によかったなって思うんだよ」
「それ、いつまでそう言うの?」
このやり取りは幾度となく行われていた。そのたびにマリーは馬鹿にしたように片眉を上げる。
それが嫌悪によるものではないとカーティスはもう知っている。
「わからないけど、慣れるまで、ずっとかな」
「……大変ね」
他人事のようにマリーは呟いた。
その顔は、無表情ではない。
「だいぶ、いいんじゃないかな。顔」
そう言った瞬間、ぱっと顔は無に返る。その光景も見慣れたもので、カーティスはくすりと笑う。
カーティスは宣言通り休暇明けからマリーの近くを離れなかった。
マリーに近づく輩を排除するためである。
その距離がぐっと縮まったのは、町へのお出かけからだ。
好かれているとわかってからというもの、少し踏み込むようになったのだ。マリーの氷の表情を、意識して崩す。
「……こんなあたしに付き合うの、大変じゃないの」
「ええ? 楽しくて仕方ないよ」
いろんな表情を見られるのは、このポジションだからこそだと思うのだ。
努力しようとする姿には惚れ惚れする。それが、自分に釣り合うため──全く気にしなくていいことなのだが──だと言うからなおさらである。
「君の気がすむまでどれだけでも付き合うけど、僕としてはどちらでもいいんだ。氷姫だって、どれほど平民ぽくたって。そのままのマリーで構わない」
周りがどう思うかは関係ない。
そもそも周りがどうこう言うほど、マリーに悪いところはない。
「卒業したら、僕と結婚してほしい」
日常の中、そうさらりと言って、マリーの無表情をまたも崩すことに成功した。
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