雪食みの幻燈

冬城ひすい@現在毎日更新中

名残りの伝説

この世界にはとある伝説がある。

街を行く冒険者や行商人、僧侶や王侯貴族、果てには幼い子供ですら知っている物語。


その伝説の名は『雪食ゆきはみの幻燈げんとう』。


国も部族も性差も貧富も超えた先、死を覚悟してようやくたどり着ける秘境の地にある食材に由縁を持つ料理の名を冠している。


君たちは知っているだろうか。

冬の強烈な雪吹雪を超え、春の温かな日差しが差し込む頃に再び降る雪のことを。


名残雪なごりゆき


儚さを象徴する桜と雪の共存――つまり名残雪が実現したその時、その場において、雪桜ゆきざくらの幻獣:ニックス・プルヌス・レプスが現れるという噂だ。


降り積もったばかりの白雪をみ、幻のように消えていく神獣の一種である。

エルフやドワーフなど、人族よりも遥かに優れた知識量や技術量をもってしても未だに存在すら不明な神域の魔物だ。



♢♢♢



遥か古の時代、人族にレティシアという忌み子が生まれた。

彼女は人族でありながら、卓越した魔力と魔法行使能力を持っていたのだ。

それだけではない。

成長するにつれて、美しい白銀の髪が腰まで伸び、生まれつきの怜悧なマリンブルーの瞳が印象的な少女に育った。

徐々にその違和に気づいた人間たちは自分たちとは異なる才能・容姿を持った彼女を疎んだ。


それゆえに、人族のコミュニティから追放されてしまう。


しかし、この頃は種族ごとに領土争いが頻発していた大戦期だったので、当然のことと言えるのかもしれない。


少女は歩いた。

ただひたすらに歩いた。

春に打たれ、夏に焦がされ、秋に呑まれ、冬に壊された。

六歳だったレティシアも十年の歳月を生き、十六歳を迎えていた。


追放されてから食べたものと言えば、天然の木の実や食べられそうな虫だった。

レティシアはどんなに空腹を感じても、決して動物を殺めたり、盗みという悪行を成すことはなかった。

それはひとえに、誰からも愛を受けてこなかった彼女の、最後の抵抗だった。


”わたしはさいごまでいきて、あゆみがたたれたときにしぬ”


それはたった十数年しか生きていない彼女にとって、唯一人間であったという一つの証になるのだ。

たとえ、誰が認めなくとも、誰が穢そうとも。


そんな清廉な銀髪のレティシアは世界の最果てを見た。

歩き続けた日々。

国から国へ、森から森へ。

幾度となく、夜明けを迎え、そしてたどり着いた。

地図にすら記載されない奈落への入口、その末端に。


誰が手入れしたわけでもないのに、永遠桜トワザクラがこんこんと咲き誇っている。

四方を囲まれているというのに、圧迫感はなく、むしろ花園の楽園といったところだった。

レティシアが足元に視線を落とせば、小さくて蒼い花が一面に咲いていた。

その景色を見て、ぺたりと倒れこんでしまう。


”ここで、わたしはおわり。このさきにはもう、なにもない。なにも、ないから”


肩を震わせ、深い蒼の宝石から透明な雫がこぼれる。

後から、絶えることなく溢れだしてくる。


”わたしは、あいされたかった。ただ、ふつうにいきることができれば、それでよかった”


最果ての地にたどり着いたものはこの世ならざる美しい景色を見ることの代償に、生命を刈り取られるのだ。


冥府からの迎えが続々とやってくる。

遠くに豆粒ほどの大きさの点に見えていたものが、どんどんと大きくなっていき、はっきりとした姿を見ることができるようになった。


黒い靄も纏い、紫紺の瞳を持った不定形な生き物だった。

恐怖、悲嘆、憤怒。

レティシアは追放されたその時から光のない碧眼で見つめる。


”……”


そして何も言わずに両手を広げる。

この美しい景色に巻かれて死ぬのならそれでいいと受け入れた。

揺らめく影の使者たちがゆっくりと近づいてくる。

その時には、いつの間にか淡い雪が舞い始めていた。


”クルルルォ!”


不思議な鳴き声と共に、鋭い氷塊が生成され、射出される。

それらはすべて靄を纏った不定形な生き物たちに命中し、消えていく。

残った靄も人と同じくらいの大きさがある何かに爪撃を与えられ、散っていった。

最後に残ったのはレティシアと丸々なフォルムを持つ生き物だ。


”あなたは、だれ?”


レティシアは問いかける。

すると生き物はくるりと身体を回し、顔を見せる。

身体はふさふさの柔毛に覆われており、顔はつぶらな瞳を持つウサギのような生き物だ。

それはレティシアを見ると、堂々と話し始めた。

本来なら聞き取れるはずのない言語をレティシアは魔法が使えるために人語に変換することができた。


”汝、死を運ぶ影者かげものに喰われたいか”


ずんぐりした体躯で首を傾げるその姿にレティシアはそっと触れる。

彼女は彼女自身がどのようなものに突き動かされているのかを知らない。


”汝、我がたいに触れることを安堵した覚えなし。即刻、離別せよ。汝、我が言をせぬか”

”わたし、あなたのいうことがわかる。でもむねがあたたかい。はなすことはつらい”


レティシアは生き物の柔らかい身体をキュッと抱きしめる。

この感情を彼女は知らなかった。


”されば汝聞け。我が名はニックス・プルヌス・レプス。誇り高き神獣の一種なり。汝、質問に答えよ。闇の影者に喰われたいか”

”れぷす、たべられたいわけじゃない。でももうきぼうはない。わたしのいきるばしょがここにはないから”

”汝、名を名乗れ”

”レティシア”


その名前を耳にしたレプスは目をつむり、それから言葉を紡ぐ。


”我、解した。レティシア、汝のごうを見た。その業、翳りなし。されば生きる場所を与えん”


レプスは桜舞う雪原に小さな家を築いた。

雪を固めて作られたというのに、決して壊れない強度を誇っていた。

加えて、レティシアは肉声を発することができるようになっていた。


「れぷす、あなたはわたしにいばしょをくれるの?」

”汝、生き物をあやめず、人を憎まず、己の業を清く持つ者。救うべき者なれば、汝の生をうたえ。それすなわち、我が望みとならん”


一度鼻をレティシアに触れさせると、レプスは雪に巻かれて姿を消す。

後に残ったのは大きな葉に乗せられた食材と、大きな肉の塊だった。


「れぷす? れぷす!」


たどたどしい発声でレティシアは名前を呼ぶ。

その声に応える者はいない。

レティシアは最後の言葉を反芻していた。


”生を謳え。それすなわち、我が望みとならん”


彼女は両手を合わせた。

見たこともない礼拝を自然と行うその姿は人に謳われる戦乙女ヴァルキリーではなく、孤高の聖女セイントそのものだった。



♢♢♢



レティシアはレプスから恵まれた食材を世界で一番美味しい料理にしようと思いついた。

旅をする中で、遠目に様々な民族の料理する姿を見ていた彼女は自然とその動作を真似ることができた。

これも彼女の才能と呼ぶべきなのかもしれない。


「イグニス」


桜の木の根元付近に落ちていた枝を集め、魔法の力で着火する。

それから氷の台に霜降りの肉塊を載せる。


「ラーミナ」


斬撃魔法で一口サイズの肉塊を適量作り出す。

それを一つ一つ鋭く成形した木の枝に刺す。

あとは香辛料をぱらぱらと振りかけて焚き火で炙っていく。


鮮やかな桜色だった肉は少しずついい焼き目が付き始めていた。

油がしっとりと火の中に落ちてはジュッと音を立てて消えていく。


その間、レティシアは直感していた。

彼女に多くの食材と住む家を与えてくれたレプスは、自分までも差し出してくれたのだと。

レプスの願いはレティシアが生を謳うことだと言った。

それはつまり、レティシアに生きろと諭したことと同義だ。


生き物を殺めず、心を歪ませず。

いかに嗤われようと救われなかろうと憎悪を抱かなかったレティシアにレプスは、長らく忘れていた情を思い出したのだ。

焚き火の中の肉がいい具合に焼き上がったことを確認したレティシアはそれを手に取り、唖然とする。


「すごく、きれい……」


程よく焦げ目がつき、丸々と肉厚な見た目が早く食べてほしいと言わんばかりの主張を寄越す。

レティシアが形のいい鼻に近づけてみると、スパイシーな香りが胃を刺激した。


「いただきます」


小さくかぶりついたレティシアは目を見張った。

口に入れた途端に豊かな肉の旨味と肉汁が押し寄せてきたのだ。

ややもすると雪のように溶けていく。

滑らかな舌触りとシンプルな味付けが素材の味を際立たせていた。


「おいしい、よぉ……ぅぐ……うあぁあっ……」


生まれて初めてレティシアは涙をこぼした。

それは今まで愛されず、人として扱われてこなかった彼女が、レプスからの愛を受け取り、本当の人として歩み始めた証左でもある。


一本目が食べ終わると、二本目三本目と無我夢中で食べた。

優しい味が身体を包み込んでくれるような気がしていた。


「レプス、レプスぅ……!!」


レティシアは大声で名前を呼ぶ。


身を挺してまで彼女に人間性と幸せを与えた心優しき神獣は今、何を思っているのだろうか。

ただ言えること。

それはこれから先、レティシアは前を向いて生きていくということ。

死ぬためではなく、生きるために努力し、生を謳歌すること。

それが自己犠牲の神獣が望んだことであり、レティシア自身が願うことだから。


「わたし、がんばるよ――レプス」


小さくレプスの不愛想で、柔らかい声が聞こえるような気がした。

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