Outside

ED 翅をもがれた蝶

 成功だ、と誰かが呟いた。

「007番シミュレータ、インサイダー一条一縷、肆戸大祭まで生存です!」

 シミュレーション室内ではわあっと歓声が上がった。

「やりましたね、一縷博士!」

 その言葉に、十七歳の天才博士一条一縷は笑顔を返した。

 シミュレーション・プロジェクト、【ノア】。一条一縷がリーダーとなって勧めていたプロジェクトであり、実在の島肆戸島とその島民を【偶像】プログラムを使用しそっくりそのままシミュレータに打ち込んで、人間のバックアップを取るシステムである。七年にも渡るプロジェクトが漸く今成果を上げたのだ。

「じゃあ、バックアップを取ったらパーティでも開きましょうか」

 一縷の声で室内が沸く。

 シミュレーションの中で一縷が肆戸大祭まで生存していたことは無かった。七歳の時点で死んでしまっていたり、葛と会って劣等感で自死していたりと、とにかく我ながら扱いが難しい人間だった。

 今回はプログラム外に人間が飛ばされてしまったり、同一人物が生成されてしまったりとバグの多い試行だったけれど、インサイドの一縷はどちらも偏執のせいだと納得してくれたようで安心した。

 一縷はジンジャーエールの入ったシャンパングラスを持ってテラスに出た。

 途中でインサイドの白夜に感づかれたが、邪魔はしてこなかったのでまあ良い。神の側面を持つ諫名だけは自由にシミュレータの中と外を出入りできるので、色々と助けてもらった。

「一条一縷さあ」

 背後から話しかけられて、振り返る。

 そこには隣に諫名を伴った白夜が立っていた。

「なんで実年齢じゃなくて十九歳になるようにシミュレーションしてたわけ?」

「それを聞いてどうするんだ?」

「満足する」

「なるほど」

「そして、俺はその答えの予測がついている」

「そう。邪魔しないなら、別に構わないけど」

「二年間の保証をつけたかったんだろ?」

 一縷はシャンパングラスを傾けた。

「沈黙は肯定ー。ふうん。俺みたいなのからすれば、どうして寿命なんか気にするのかと思うけどね。ねえ諫名ちゃん」

「一縷ちゃんが居なくなるのは寂しいわ」

 その寂しさを刻みつけたいんだよ。これから劣化していく自分に耐えきれないんだよ。

「寂しくなったらノアに潜ってよ」

 シャンパングラスをテラステーブルに置いて、一縷は二人の横をすり抜けた。



/*== ==*/


 夏ももう終わる。涼しい風が一縷の長い黒髪を揺らした。

 階段を上がる。上がる。上がる。ときにはエレベーターを使ってとにかく高いところまで。

 パーティを抜け出した一縷は扶桑の高層部、立入禁止の物見台に立っていた。

 良かった、一番綺麗な時間帯だ。

 夜明け前、朝日が上る直前に、ここから飛び降りる。

 インサイドの一縷のような失敗はしない。間違いなく死ぬことができる高さだから。

「あれ、先客がいる」

 茫洋とした声が後ろから聞こえた。

 振り返ると、ぼさぼさの傷んだ白髪を後頭部で結んだ青年がキャンバスと画材を持って立っていた。

「君も朝日を見に来たの?」

「――霧島、剥離」

「僕のこと知ってるの?」

 知っている――知っている知っている。シミュレーションの途中で彼がターニング・ポイントとなってからは何度会いに行こうかと思ったことか。

 それでも。

 それでも、会いに行かなかったのは、一縷が強固に胸に決めていた決心がぶれてしまうのではないかと恐れたからである。

「まあ……そうだね、一方的に」

「ふうん……ああ、君、綺麗だね」

「――は」

「顔。と、身体のバランス。いいなあ。モデルになってくれない? 今丁度描いている朝日の絵に入ってほしい」

「残念だけど、私はこれから自殺するんだ」

「へえ。どうして?」

「もう私が居なくても大丈夫だから」

「それ、別に理由になってないよ」

 がつん、と頭を殴られたような気がした。一縷を知っている人とばかり会話してきたから、反論されたこと自体が久しぶりだったのだ。

「否、十分な、理由でしょう……」

「生きたくないの? 死にたいの?」

 イーゼルを組み立てながら、片手間に霧島剥離は問うてくる。

「それ、違うの?」

「明日が来るのが怖い? 昨日があるのが嫌だ?」

「……明日が来なければいいと思ったことはある」

「理由は?」

「みんな私に期待するから」

「じゃあ辞めちゃえば。君がしようとしてるのって、死にたくて死ぬんじゃなくて自分に期待してた人たちへの報復手段として死を選んでるだけだよ」

「そんなことない、そんなことは」

「ふうん」

「――怒っているんだ、私は」

 だめだ。これ以上考えると。

「違うよ。君は」

 行き着いてしまう。

 聞きたくない。


「君は、妬んでいるんだ」


「やめて!」

 一縷は両手で顔を覆った。

 汚い感情を私の中に見いださないで!

 存在意義を無くすためにこの七年間生きてきた。

 ギフテッドとして生を受け、自分が他と違うと気がついて、周囲からの期待を一身に浴びて、それに応え続けてきた。やりたいことをやれていたのは七歳の頃まで。その後はやらなければいけないことに背中を足を掴まれていた。

 もう開放されてもいいと思ったのに。

 きれいな理由で死にたかった。

 それだけが望みだったのに。


「違う――違う」


 違わない。一縷の明晰な頭脳はそれを否定できなかった。

「君に期待する人たちが無責任で羨ましいんだ。それだけのことだよ」

 一縷はしゃがみこんだ。台無しだ。綺麗な構図が台無しだ。

「ああ、夜が明ける。この構図だと、君、まるで、朝焼けが翼の天使みたいだね」

「天使なんかじゃない……」

 勝手に人を当てはめるな。

「私は人間だ」

「そうだね。人間が生きてることって別に特別なことなんかじゃないよ。死んでないだけ」

「死ぬ時期くらい、自分で決めてもいいじゃない」

「いいと思うよ。人が生きてる理由なんてないんだから、死ぬ理由だってなくていいんだ」

 ただ、と霧島剥離はつづけた。

「僕の絵が完成するまで生きててほしいけどね」

 一縷はゆっくり頭を上げた。

「私は死んでしまいたい」

「僕は生きていてほしい」

 ふと、剥離の顔が明るくなった。朝だ。その群青色をした眼に囚われる。

「君の名前は?」

「――一条、一縷」

「一条一縷? ああ、それで……ねえ一縷、それじゃ、これから僕の絵のために生きてよ」

「描き終わったら死んでもいいの」

「次の絵を描くからだめ」

「切りがないじゃないか」

「君より長く生きてるから言わせてもらうけど、人生ってそんなもんだよ。今度は期待する側に回ってみるといい」

「は、なにそれ」

「君はまだ子供なのに、ずっと大人の役割をしてきたんだろ。それで自分のことが嫌いなんだ。だから、子供になってみたら」

「そんなこと、今更できない」

「できないことなんてあんまりないよ。その大抵が、やらないだけだ」

「うるさいなあ……」

 一縷は前髪をぐしゃっと掻いた。

「私の何を知ってそんなことが言えるんだ。子供ですって? そうだよ、子供だよ。子供のうちに死なせろよ! 後継機ができるのが怖い、お前なんかもういらないって言われる前に、世界で一番嫌いなやつを、唯一殺せる好機なんだ!」

 一縷は自分の眼が熱くて溶けてしまったんじゃないかと錯覚した。泣いているのだ。

「自殺の甘寧は大人になるまで取っておいたら。タバコとお酒と一緒だよ」

「世界が滅んでからそんなの守ってるやついない」

「僕は守ってたけどね」

「ああそう……ああ、もう、論点がずれる! じゃあお前がレゾン・デートルをくれよ。私を生かす一言を言ってみせろよ! 天才じゃないただの一条一縷に生きる意味を見出してみてよ!」

「そうだね、その意味を君自身が見つけるまでは、僕がずっと一緒に居てあげる」

 一縷は彼が吐く群青色の言葉に目を見開いた。

「――は、はは。陳腐だ」

「そうだね」

「思い上がりも甚だしいよ。そんなに自分に価値があると思ってるの」

「価値なんてどうでもいいだろ。君が楽になるか、その瞬間があるか、どうかだ」

 一縷は顔を歪めた。

 ぽろり、と、涙がこぼれた。

「寂しかった」

「うん」

「怖かった」

「そう」

「誰も私に付いて来ない。誰も私を理解しない、しようともしない」

「うん。君の側に居るべきだった誰かの代わりに、君の側にずっといるよ」

「……どうしてそんなこと言ってくれるの?」

「さっきも言っただろ。君が天使みたいだから。飛んでいかれたら困るんだ、もう構図に入ってる」

 ああ、

 悪くないかもしれない。

 一縷は目元をこすって、涙の跡を消した。

「じゃあそのまま動かないでね。描くから」

「どのくらい?」

「一時間くらい」

「……時給取るぞ」

 まだ天上は群青だった。

 背に太陽の橙を受けて、一縷はほんの少しだけ笑った。



/*== ==*/


 教室の一番後ろ、廊下側の席で突っ伏していると、同級生の三島葵に教科書で頭を叩かれた。

 これで一縷の脳細胞が壊れていたらどうするつもりだ。世界的損失だぞ。

 そんなことを考えながら顔だけ上げる。

「なんだよ」

「寝るな」

「寝てはいない」

「突っ伏すな。というか、最近どうして急に不真面目になったんだ?」

「んー、本性が出てるだけかな」

「へえ。まあ、前よりは親しみやすいかもな」

「教室で積極的な会話が成り立つのはお前くらいだけどな」

 一縷はふと思い出して葵に尋ねた。

「葵、家族に三島桂っている?」

 葵の姿勢が傾いだ。

「……姉だ」

「へえ、やっぱり。雰囲気が似てると思ったんだ」

「どこが!」

「生真面目でちょっとズレてるところ」

「あの人そんな性格か……?」

 なにやらぶつぶつと呟きだした葵を置いて一縷はもう一度突っ伏した。

 群青に魅せられて、自分の人間性の輪郭を少し愛し直せた気がした。

 目を瞑り、あの日の朝焼けを思い出しながら。

 一縷はゆっくりと夜の帳が下りるように眠りの淵に落ちていった。

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群青 蓮海弄花 @rwk

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