Chapter9 群青-C
偏執市場側の駐車場に車を停めてから(おそらく無断駐車である)、霧島剥離はいくつかの偽装ドアを抜けて市場の深部へと進んでいった。途中でエレベーターを使って、地下まで潜る。静かなエレベーターの箱の中、このまま監禁しやしないだろうなと剥離のことを横目で見ながら、一縷はこの青年の素性について考えた。
【偶像】を知っている。しかし機関の関係者ではない。少女を殺している? 偏執を持っているかどうかは定かではない。
ちん、とベルの音が鳴って箱は停止した。開いたドアを潜って、剥離はまた歩き出す。
ボストンバッグを持っている私のことを少しは考えろ、と口に出したくなるスピードだったが、剥離はすぐのところで足を止めた。
「ここが深層の、比較的浅い場所。偏執持ちもそこそこいるから、多少気をつけて」
偏執狂の中には、この島の土着神への信仰と自らの偏執により精神が変化してしまっている者もいる。そのことを言っているのだろう。地上にはまあまず出てこないが、下層にはそこそこ存在していた。一縷が案内屋をしている以上そんなに危険はないのだが、そこまでは調べていないのだろうか。それとも念の為というやつか。
そこは新鮮な風景だった。
あちこちを白熱灯が照らす道には、昭和時代によく使われていたようなレトロなフォントの看板が立ち並んでいる。歩いている人は皆若い。地上よりも年齢層が低いようだった。
地下のはずなのに天井は高い。
歩き始めた剥離を追って角を曲がると、景色が開けた。道の端には手すりがあって、深層の構造が筒状になっていることがわかった。ここは真ん中が吹き抜けになっているドーナツ状の構造物で、いまはその最上層に居るようだった。向こう側まではどれくらいあるのだろう、地上の偏執市場よりも広いように思えたが、それは遮蔽物が無いからかもしれなかった。
下にはまだいくつかの層があるようで、最下層に向かうに連れて灯りが黄色、橙色、赤色と変わっていくのが綺麗だった。
少し先を歩くが、歩調は一縷に合わせている剥離を追って歩く。
「もう少しで着くよ。僕のアトリエ」
剥離がそう言ったとき、頭上から声が降ってきた。
「よォ、画伯!」
剥離はその声に反応して上を向いた。
「ああ、えーっと、……名前忘れた。久しぶり」
忘れるなよ。一縷もつられて視線を上げると、建物の二階から身を乗り出しているパンク・ファッションの青年が居た。金髪頭が眩しい。
「何、美人の女連れ? 売りに来たの?」
「あ?」
思わず攻撃的な声が出る。
「あっちょっとそういうこと言うのやめて、この子気が短いんだから」
「何それ、気になるんだけど?」
「前言ったことあるでしょ、僕が探してた女の子」
「ああ、例の……」
金髪頭はすっと身を引いた。
「見つかって良かったじゃん」
そう言い残して、金髪頭はどこかへ消えた。
「うん」
誰もいなくなった二階に向かってそう答えてから、剥離は再び歩き始めた。
「画伯?」
一縷が尋ねると、剥離は偽名みたいなものだよと答えた。
「この辺、名前を聞かれて本名答える人あんまり居ないから」
「へぇ」
「一縷も何かつける? 美形とか」
「その名前には美意識が足りない」
「ええ……?」
いつも自分のこと美形だ美人だと言っているくせに、と呟いた剥離の言葉は聞かなかったことにしてやった。
/*== ==*/
剥離の案内した場所は、言葉どおり、彼のアトリエらしかった。どうやらこの変態は、絵を描く変態だったらしい。
木枠で造られた扉を開けて中に入る。小さい台所と机と冷蔵庫がぽつんと置かれた六畳くらいの空間だった。その奧に、また扉がある。
剥離はその扉も開けて行くので、一縷も着いていった。
奧は、コンクリート打ちっぱなしの冷たい雰囲気の部屋だった。
そして、
その壁には、たくさんの絵が飾られていた。
その絵が視界に入った時、一縷は思わず言葉を失った。
ボストンを床に置いて、壁にほとんど駆け寄るような勢いで歩み寄る。
そこにあったのは、遊園地の絵。水族館の絵。深海の絵。宇宙船の絵。
それらは総て――、いつまでも――いつまでも見ていたいような、その絵の中に入っていってしまいたいと思えるような、身体の力が抜けるような安心感がある絵たち。
どうしてこんなに魅力的に思えるのか、不思議に思えるくらいであった。
「剥離――これを描いたのは、君?」
「うん」
「これはどこの遊園地? 肆戸にある?」
「この遊園地は、どこにもないよ」
その声はすこし寂しそうだった。
「そうなの……」
剥離も、この遊園地が無いことが悲しいんだろうか。
指を伸ばして、触れてみたい。
そうしたらその絵の中に入れるような気がした。
「君、本当にただの変態じゃなかったんだな。こんな絵を描くなら、サイコパスでも偏執持ちでも仕方がないよ。……この中に行きたい」
「そっか」
その声が笑っているようだったので、一縷は振り返ろうかと思った。しかし、遊園地から目が離せなかった。
「ああ、本当に……私が、もしも十九歳なんかじゃなければ、きっと入れるのにな」
「どういうこと?」
「きっと七歳のままの私だったら、ここに行けたんだ。絵の中に。今はもう駄目」
「おとなになっちゃった?」
「さぁ。どう思う?」
一縷は剥離を振り返った。
「君、昔の私を知ってるだろ」
剥離はその言葉を聞いて初めて表情を変えた。
大きく目を見開いたのだ。
「思い出したの?」
「いいや。昔、飛び降りたあと意識が一旦回復し、その後二週間くらい意識を失っていた時期があったんだ。その頃のことは思い出せない。思い出そうとできないように”なってる”。だからこれは推測だよ。でも、そうとしか考えられない。ヰドラのことを偶像だと思える人間は、【七歳までの私】を識っている。そうだろ?」
剥離は、再び元の無表情に戻っていた。
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