Chapter9 群青-A
窓の外を流れていくオレンジ色の街灯を、一条一縷は肘をついて眺めていた。普段の無表情を捨ててわざと不本意な顔を作り上げているおかげで、僅かに右側の頬が引き攣りはじめているけれど、そうでもしないと気がすまない。
一縷は、先日自分が後部座席の窓を叩き割ったワゴン車の助手席に收まっていた。
うっかりしていた。
と、しか言いようがない。或いは、どこかが麻痺していた。こちらのほうが正確か。
一縷に出直せサイコパスと罵られた直後、霧島剥離によって行われた土下座の、金輪際見られないようなあまりの美しさに感銘を受けて、ついうっかり、誘拐されてしまったのである。
同意のもと――たとえそれがついうっかり、感動のあまりの勢いであろうと、同意のもとでついていくことを誘拐と呼べば、の話であったが。
しかも現在この車両が向かっているのは一縷の自宅のマンションだった。
「一縷、ここ左でいいんだったよね?」
ウインカを出しながら聞く剥離に頷きながら、一縷はさらに渋い顔をする。
「ああ、うん。合ってるよ……っていうか、君ね、ここまで黙っていたけれど、どうして私の家までの道筋を知っているんだ? 説明なんかしてないぞ、私は……」
「まあ、それは、調べれば……」
「どこでだよ。何をどうやって、誰がだよ」
チッ、と一縷は舌打ちをした。剥離は僅かに肩を竦めたが、意に介していないようだった。美人に土下座して助手席に座ってもらっておいて、その動搖の無さは一体何だと、説教のひとつでもぶってやりたいものである。というか一席ぶってやろうか。
「君ね、いいか、霧島剥離。私を隣に乗せたときはだな」
「ここ左で着く? 実際には一回しか来たこと無いから自信ないんだけど」
「一回は来たことあるのかよ、このストーカー。合ってるよ。……というかどうしてわざわざ遠回りしてたんだ? 最初の通りを右折すればほぼ真っ直ぐだっただろ」
「右折が苦手なんだ……あと、長縄跳びも」
「ああもう」
一縷はため息を吐いた。
「イライラしてる?」
「してない」
「嘘だー、イライラしてるとき一縷絶対そう言うもん」
「次そういうめんどくさい彼女みたいなこと言ったら、助手席の窓ガラスも叩き割るからな」
「勘弁してくださいすみません……あ、着いた。駐車場、地下?」
「防犯カメラあるけどいいの」
「よくないや。じゃあ、家の前に路駐しよう……切符切られたらちょっとだけ立て替えてくれない? 今手持ち無くて……」
「ヒモのようなことを言うなよ誘拐犯……」
カチ、シートベルトを外してドアを開けようとすると、チャイルドロックが掛っていた。
振り返って剥離を睨むと、剥離は茫洋とした顔で両手の指先を絡ませた。
「いや、そのー、逃げられたら困るだろ? 僕が」
「前回はわかるよ。でも今回は一応私は同意でついてきてやってるわけだぞ」
「外し忘れてただけなんだけど」
「さっさと開けろよ」
「はい」
剥離は自分のシートベルトを外して、運転席から降りた。ボンネットの前を通って、一縷のドアを開ける。
「どうぞ、お嬢様」
「はっ」
鼻で笑って、一縷は助手席から降りた。そのまま玄関に向かって歩く。
バン、と背後でドアが閉じられた音がして、すぐに剥離が横に追いついてきた。歩幅が違うんだな、と思った。
「一縷は逃げる気、ある? こんなのも用意したんだけど」
見えやすいよう一縷の前に掲げてみせたのは、量販店で買ったような手錠だった。暗い中でよく見えないが、出来はそこそこ良いようだ。
「なんだそれ、趣味か?」
「どっちかと言えば、手でもつなぐ方が趣味だけど」
「恋人気分か、出直せ変態」
そのなめらかな会話になんとなく心地よさを覚えながら、玄関のオートロックを開ける。そういやここにも防犯カメラがあったなと思い出しつつも、面倒なので一縷は黙っていることにした。この誘拐犯がどうなろうとどうでもいいし。
「何を取りに来たの?」
「着替え。パソコン。……あと、ロボットをスリープモードにする」
「ロボット? ああ、もしかして、【偶像】?」
一縷は当然のように一縷の死角になっている右側を歩く剥離を振り向いた。?
それは――その名前は、ただの変態ストーカーが知っていて良いものでなかった。
「ねえ、あのさ。あなた誰?」
「僕は、霧島剥離」
白髪の、どこか少年のような青年は、嬉しそうに、そしてどうしてか悲しそうに笑った。
「ただの、変態サイコパスだよ」
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