Chapter8 エフェメヰラ-G

 そして一縷は今日までの出来事を話した。神隠しの話からドッペルゲンガーの話、パラノイドの依頼の話から(その中には、当然、ミスマッチな依頼を振ってきた紫機流への非難も含まれている。仕事を増やすんじゃない)、誘拐未遂の話、一縷が美人であるという話、そして死体を見つけた話。消えた少女の話、少女の戸籍が存在しなかったという話。

「紫機から回された件は、ヨキと一緒に犯人の偏執狂を一人捕まえた」

「解決が早いな。やっぱり任せてよかった」

「良くない」

「桂、まだカツ丼ばっかり食べてんの?」

「昨日はハンバーグ食べてたよ。物足りないから呑む前にカツ丼食べていくとか言ってたけど」

「ほんと底なしだな……」

「昔はそうでもなかったんでしょ?」

「いいや? そんなことはないよ。隠れて食ってた」

「それ、本人には聞けなかったんだけど、どうして隠れて食べてた訳?」

「アイツは生徒会に入っていたからな。生徒の女子に気を使ってたのさ。太らない体質だから」

「はー」

 そういうことか。ビー玉みたいなきれいな気遣いだ。

 一縷はぬるいエナジィドリンクを啜った。それは、紫機流が一縷に付き添うにあたって大量に買い込んできたうちの一つだった。

「悪いな、脱線して。続きは?」

「うん」

 視線を足元に向けた。

「それから」

 それから。

 葛との話をするかどうか迷って、結局一縷はしないことにした。

「それから、人殺しに会ったんだけど。それは、私を誘拐したやつだったんだ」

 一縷は眉間にしわを寄せた。

「私を知っている風だった」

「ふむ」

 紫機流はどこから取り出したのか、棒付きの飴を舐め始めた。

「私の知り合いではなく?」

「うん。私の名前を知っていた。あと、」

 一縷は右眼を抑えた。

「私も、奴を知っているような気がするんだ。思い出せないけれど」

 紫機流は目を伏せたまま、飴を舐めていた。考え込んでいる風だった。その姿はやはり一縷と似ていて、自分が十年後に生きていたらこうなるのかもしれない、と思った。

「そうか」

「紫機、何か知ってるの?」

「いいや、何も」

 その否は、一縷の否と同じだろうか。

 一縷が紫機流を見つめると、紫機流は緩やかに微笑んだ。

「私は別に何も知らなくていいのさ、一縷。これはお前が考えるべき命題だからね」



/*== ==*/


 午後十時。眠ってしまった紫機流を置いて、ブーツを履いた一縷は、ナース・ステーションに向けて消灯済みの病院の廊下をそっと歩いていた。殺され損なった靴音が誰もいない天井に響く。

 壁一枚、ドア一枚隔てた向こうに人が居る。消灯後とは言え、まだ起きている患者も居るだろう。歩く一縷の靴音がナースのものとは違うことに、きっと気がついている。

 入院していた頃のことを思い出した。

 スライド式のドアは下が少し開いていて、向こうに人が居るとすぐに分かってしまう。個室だったけれど、個別ではなかった。それは全く不安なことだった。

 ――一縷が投身自殺をしたのは、七歳の頃のこと。それまでの彼女は天才と呼ばれていた。

 人は自殺未遂だとか気の抜けたサイダーみたいな甘ったるい妄言を吐くけれど、一縷にとってあれはれっきとした【自殺】である。死ぬつもりで飛んで、ちゃんと人格は死んだのだ。自殺以前の一縷と現在の一縷は断絶している。それが脳の障害によるものなのか無意識下で行われた改造だったのかは知らないが。

 自殺というルートを選ぶことによって、一縷は天才を辞めたのだ。その後の入院生活でゆっくりとゆっくりと天才性を鈍らせてきた。

 その時。

「……、一縷」

 聞きなれない――しかし、たしかに聞き覚えのあるその声に名を呼ばれ、一縷は顔を上げた。

 いつの間にか面会室の前まで来ていた。

 逆光の中、そこに立っていたのは、

 傷んだ白髪。痩せた身体。そして群青色の瞳。

「…………冗談きついぜ」

 妖怪眼球抉り。

 フラッシュバックする光景。


 『君の名前を教えてほしい』(逃げるか?)

 ヂカヂカ、断末魔の蛍光灯。(背後に)

 白い病室。(いや、病室には紫機が居る。)

 死体。(病室を通り過ぎて)

 『僕の名前は、』(ナースセンターは)

 血の滴るナイフ。(会話で時間を稼いで)


 硬直した一縷を見て、白髪の青年は両手を上げた。


 ホールド・アップ。


 予想外の行動に、一縷は、彼女にしては間の抜けた事に、首を傾げて口をぽかんと開けた。

「……は?」

 遠慮なしに攻撃的な疑問の音を発する。

「えっと、こないだとか昨日は、間違いました。主に、えー、アプローチを……すいませんでした。一縷……さん」

 眼球抉りは、何を考えているかわからない死んだ魚のような、しかし若干の沈鬱さが伝わってくる表情で、一縷に謝罪をした。

「いや、うん……」

 一縷は曖昧に頷いた。

「まあ、私は美人だから、誘拐したくなる気持ちは理解できる……うん。そして、謝罪の姿勢は、建設的だと思う……それで、あー、あんたの名前は?」

「……僕の名前は、霧島剥離」

 それは聞き馴染みの在るような名前であった。

「霧島剥離ね……うん。それで、今日は何を?」

「えー、平和的に、謝罪と、提案をしようと」

「なるほど」

 一縷は頷いた。

「一縷、僕に誘拐されてくれ」

 一縷は再び頷いた。

「百遍出直せ、ファッキン変態サイコパス」



/*== ==*/


 その二人の雰囲気を考えると、場違いに明るい場所であった。白色の蛍光灯が隅々まで照らす店内のざわざわとした喧騒は、この島が現在祭りを控えていることを伺わせるものだった。

 呑みに向かった三島と尾花が、気を失った一縷が発見されたという報を受けてから丸一日が経っていた。

 夜の九時。

 一条一縷が、妖怪眼球抉りと邂逅する一時間前の事である。

 偏執市場の中心にある、とあるファミリー・レストランの一角に、三島と尾花は差し向かって居た。

 三島の前には氷水が、尾花の前にはホット・コーヒーが置かれている。二日連続で二人が会うことは滅多にない。加えてこれは尾花が無理を言って作られた時間であり、それも殊に珍しかった。しかし、可愛がっているアルバイトが数日のうちに何度も自殺だの殺人だのの現場に行き会ったとあれば、話を聞かずにはいられないのも、彼女の性分であった。

「で、今一縷はどこに居るんだ?」

「肆戸病院だ。紫機流が付いてる」

 やや疲れの見える風情で、三島は氷水に手を伸ばした。尾花はふぅん、と鼻で返事をする。

「それで、何が起こってるんだ?」

 三島はグラスを揺らした。

 からん、と氷の透明な音が鳴る。

「言えん」

「通らんぞ」

「だろうな。香屋埜にも探りを入れられた」

 尾花はふ、と息を吐いた。コーヒーには手を付けない。

「言えることだけで良いぞ、桂」

「元からその一線を超えるつもりはない。しかし、そうだな――」

 三島は水を口に含んだ。

「お前は、【一条一縷】という人物について何を知っている?」

「紫機流の姪だ。天才で、自殺未遂をして、何年か本州に入院していたらしい、普通の女の子だ」

「概ね、その認識で合っているだろう。しかし――理解しているとは言えない」

 三島は、半分ほど減ったグラスの水の中で、氷をからんと鳴らした。結露した水滴が彼女の左手に付着する。

「一条が自殺をする前の話だ。一条一縷はいわゆるギフテッド、天才児だったのだが、ギフテッドを管理する組織のランキングでは彼女の頭脳を計りきれず、彼女のためだけにSSランクが新設された。そして、その当時生存していたギフテッドのうちの半数が自殺した」

「あ?」

「かつて存在していたSランクからBランクまでの天才児達の一部が集団自殺をしたんだ。絶対数としては当時の自殺者数に紛れてしまうような数だったが、それでも大損失だ」

「なんだ、それ。一縷と何か関係しているのか?」

「記録に拠ると、誰も遺書を残さなかったから、確かなことは言えないが。しかし、全員が一条一縷が制作した人工知能と会話をした翌日に死んでいる」

「人工知能?」

「偶像というタイトルで、そのソースコード自体は厳重なプロテクトの元まだ現存しているが。紫機流が零したことがある。『おそらく死んだ子供達は、偶像と会話をすることで察してしまったんだ』と」

 コーヒーは冷めきっている。

「何を」

「『自分たちがもう必要ないってことをさ』、と」

 氷水は、残り少しになっていた。

「一縷が作り出した【偶像】は、会話をした相手の思考回路をコピィする仕組みになっていたらしい。だから、ギフテッド百余人分の頭脳が、あるいはそのデータベースの中にまだ在るのかもしれないな。とにかく、一縷は、そういう天才だったんだ。他人を諦観に追い込むのが得意な類の。これは紫機流の受け売りだがね」

 はー、とため息を吐きながら、尾花はクッションの背もたれにどさっと寄りかかった。

「そんなすごいヤツには見えなかったぜ」

「そう。彼女は、自殺以前と以後で、人格が完全に断絶しているんだ」

 尾花はコーヒーに初めて口をつけながら、眉間にしわを寄せた。

「それ、前から気になってたんだけどさ。自殺未遂じゃないの?」

「否――、紫機流と一縷、双方が強固に主張をしていてな。あれは人としての核の自殺だった、とな」

「ふーん……ま、言いそうなことだな。身体ではなく、精神において生と死、人格や尊嚴を定義しているのかね」

「加えて」

「おう」

「ギフテッドだけではなく。一縷がメディアに露出をした年に、百人単位の少女の連続自殺事件というのも、発生している」

「百人単位か。少し多いな」

「一部のネットで、カリスマ的な人気を得ていたからな。一部の少女の中で、新興宗教のようなものまで起こっていたようだ。――ここまでが前置きなんだが」

 尾花はコーヒーを飲み干してテーブルに戻そうとしたカップを思わず落としそうになった。

「これが前置きか。……まあそうか、全然今回の話してないもんな」

「ああ」

 尾花と三島は、しばしテーブルの上の空になったグラス達を見つめた。

「とりあえず、次の淹れてこようぜ」

「そうだな」

 二人は席を立った。

 これが、一条一縷が霧島剥離に誘拐される三十分前の話である。

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