Chapter8 エフェメヰラ-F
そこに立って居たのは、ぼさぼさの白髪の少年だった。身長は一縷より高い。彼は黙って一縷の側に来て、置いてあった椅子に座った。
そして、ぽつりと呟いた。
「君は天使?」
面白いことを聞く人だ。一縷は目を細めた。
「天使になりたかったわ。でも飛べなかったみたいだね」
「その右眼はどうして隠れているの?」
「どうしてかしらね」
「見たいな」
「だめ」
「どうして?」
こんな不完全な私を、
「好きになられたら、困るから」
「そうなの? そっか。ねえ、お話しようよ。退屈なんだ」
「あなた、賢いよ。私を相手に選んだのは正解。でも、私はあなたの名前を知らないな」
「僕の名前は、霧島剥離」
「そう。私の名前は、一条一縷。初めまして、霧島剥離。何の話が聞きたいの? 人工無脳の未来の話? 【偶像】の話?」
「偶像?」
「私が作ったプログラム」
「それはいいや。それよりも、もっと面白いこと」
もっと面白いこと?
一縷は左目をぱちぱちと瞬かせた。
「行きたいところの話とか、好きなものの話をしてよ」
「行きたいところ……? そう、割りと……その話もたくさん、できるかな」
そうして一縷は、生まれて初めて、行きたい場所の話をした。
遊園地の話。大きい観覧車があって、硝子で造られたメリー・ゴー・ラウンドがある。
「どこにあるの?」
「わたしの頭の中」
深海の話。竜宮の使いが居る。鯨も居る。サメも居る。少し怖い。
宇宙の話。白い宇宙船内でクローンの研究をしたい。
肆戸例大祭の話。お祭りに行きたい。夜に歩いてみたい。らくがきせんべいというものを買いたい。いちご飴を食べたい。
「わたし、少しだけ後悔していることがあるの」
ぽつりと一縷は呟いた。
「後悔?」
「可哀想な人達がいて――その子達を安心させてあげたいと思ったんだけれど」
「うん」
「私が考えていたよりも、その子たちはもっとずっと可哀想だったの。だから、みんな死んでしまった」
「そうなんだ」
「別に、責任感なんて持っていないのよ。でも、わたしも安心してみたかったから、空を飛ぼうとしてみた。わたしのコピィはもう取ってあるし――。だけど、天使じゃなかったから、失敗しちゃった」
「ふうん」
「意味がわからない?」
「ううん。君、もう天使みたいだから、天使になろうとしなくていいのにって思った」
その言葉を聞いて、一縷は唐突に閃いた。
もしも生まれ変わるなら、生きるのが楽な人格じゃなくて――この人に好きになってもらえるようなのがいい。
「そう」
「連れ出してあげようか?」
「え?」
一縷は剥離の茫洋とした顔を見た。
「お祭り、行きたいんでしょ? 一緒に行こうよ。今日から前夜祭だ」
「どうやって?」
「走って」
「そう。そうね……でも、もっと、安心できるようになってからがいいな」
この人格じゃ駄目。
走っていくには頭が重い。
「安心……わからない。でも、次までに作ってあげるね」
「え?」
「君が安心できる場所」
絵を描くのが好きなんだ、と剥離は言った。一縷はそうなのと答えた。
巡回に来た医師に剥離が連れ戻されるまで、それからもずっと二人は話をしていた。
/*== ==*/
頭のなかで何かの曲が流れていた。紫機流の趣味だった気がする。彼女が家にいるときに、ずっと部屋で流れているアルバム。その中の一曲。
どこか陰鬱で、淡々としていて、逃げ場のない曲調。
「"子供と"」
その一節が口から飛び出た時、一縷は自分が目覚めたことに気がついた。どうやら、自分はベッドの上で微睡んでいたらしい。
眠る前の記憶がぽっかり抜けていた。
「"呼べば、汚されないで済むのさ"」
一縷とよく似たハスキーな声が、曲の続きを口ずさんだ。
「ほんの数日会っていないうちに、寝言で唄うような面白い娘になっているとは思わなかったよ。どんな夢を見ていたんだ、お前? そんな曲が流れるような夢、ちょっと疲れそうだね」
一縷は、声のした左の方に首を向けた。
そこには、パイプ椅子に脚を組んで座って、エナジィドリンクの缶を傾けている一条紫機流が存在して居た。ノースリーブのブラウスに、細身のパンツ。いつも纒っている白衣は、今は椅子の背もたれにかけられていた。
「一日寝てたよ、お前」
一縷は瞬きをした。
「エナジィドリンクばっかり飲んでると、カフェイン中毒で死んじゃうぜ、紫機」
「ま、それを人は寿命と呼ぶね」
一縷は妙に怠い身体を起こした。病院のベッドは柔らかくて、座るのが難しい。
「私、何で病院に居るんだか、知ってる?」
「お前の近くに、死体があったそうだ」
ヂヂっと脳裏で電灯が点いた。
群青の瞳。
傷んだ白髪。
紫機流の言葉は、いつも上手に一縷の思考スイッチを入れる。
「ああ……」
「読み込んだ?」
「うん。うーん、殺されると思ったんだけどな。生きている」
「残念?」
「否」
否と答えたのは、紫機流に対する気遣いだった。実際のところはどちらでもないのだ。かつて投身自殺を図ったあの日に、一条一縷の死生観は擦り切れてしまっていた。どちらでも良かった。いつ死んでも同じと思いながら生きているのだ。その程度の価値だ。
けれど、叔母の紫機流に対して「殺されても良かった」と答えることはしたくなかった。
紫機流は一縷の機微を察しているのか、いないのか、くぴりとドリンクを飲み下した。
「三島からの鬼電で、研究所から呼び出されたんだ。お前、最近流行りの妖怪・眼球抉りに遭遇したらしいよ」
「妖怪?」
「そう。はぁ、一縷、起きたならそこ替わってくれよ。三日寝てないんだ」
「はぁ? なんでそんなアホなことしてるんだ、紫機。能率が下がっちゃうだろ、そんなの……」
「別に仕事はしてないからね。みんなで映画見てたんだよ」
「映画?」
「白黒のな。同ンなじ映画をハード・リピート。バカみたいな量のキャラメル・ポップコーンを作ってね。厭きた厭きた」
「何、その苦行は……」
「最初に音を上げたやつが来月のサーバ管理するって話だったんだけど、誰も音を上げない上に、だんだん台詞と展開覚えてきちゃってさ。最後は演劇大会だったな。意外にも片里の奴が演技上手で」
「楽しいことしてる」
「まあね」
一縷がベッドから降りると、入れ替わりに紫機流がベッドに乗った。
靴越しでない病院の床はひんやりとしていた。いいな、これ。エアコン無しでもいけるかもしれない。
「それじゃ、寝るまでの間。一連の流れを教えてくれよ」
一縷は顔を上げた。ベッドにごろんと横になった紫機流は、まるでテレビのチャンネルを変えてくれとでも言うかのような気楽さだった。
「珍しいね、紫機。そんな保護者みたいなことを言うなんて」
「暇つぶしだよ、一縷。映画よりはドラマチックだろ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべた紫機に、一縷は首を傾げて見せた。
「当然」
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