Chapter8 エフェメヰラ-D

 一縷が注文したチーズハンバーグは絶品だった。熱でとろけるチーズと手ごねハンバーグの肉汁が絶妙に絡み合って、至福感に包まれた。オニオンソースも主張しすぎない爽やかさを醸し出していて素晴らしかった。おいしかっただろ、とやってやったぜ感溢れる顔で言った尾花に、はい、と真面目な顔で頷くくらいにおいしかった。三島はその後もピッチャーに二杯ほど冷水をおかわりして、ハンバーグと一人前の定食を涼しい顔で胃に入れており内心めちゃくちゃ驚いた。尾花も驚いているようだった。

「お前、年を食うごとに食べる量が増えていってないか?」

「そんなことはない。昔は、人に隠れて食べていただけだ」

「何だそれは、自意識か?」

「いや、気遣いだ」

「どう違うんだ」

 レストランからの帰り道、街灯とネオンの明かりの下を歩きながら、尾花と三島は軽い掛け合いを続けていた。その後ろを一縷は黙ってついていく。この二人の間ではこのテンポがスタンダードらしい。三島桂はこういった、親しい者同士特有のなれ合いを嫌う人種だと勝手に勘違いしていたので、印象が変わった。今日一日で一縷の中の三島桂がほとんど塗り替えられてしまったと言っても過言ではない。

 一縷はふっと溜息を吐いた。

 目の前を歩く二人の足が止まっていることに気づいて、一縷は顔を上げた。

 二人ともこちらを見ていた。

「え? 何ですか?」

「溜息をついたな。何か悩みでもあるのか、一条」

「幸せが逃げるぞ、一縷」

 逃げる幸せがどこにあるんでしょう、と反論しそうになって、口を開けたところで、一縷は言葉に詰まった。嫌になったのだ。

 代わりに、別のことを口に出す。

「――とおりゃんせって、どうして選ばれたんでしょうか。横断歩道の。全部、あれでしょう」

 ――なんてどうでもいいことだろう。

 そう思ったけれど、尾花と三島は目を見合わせて、真剣な顔で話し始めた。

「横断歩道のことだろ? そういえば、閉館の合図も蛍の光が多いな。考えてみれば、不思議に思えるかもしれんが……統一するのは、意識に擦り込むためだろうな」

「その認識で概ね合っている。閉館時の音楽の方は詳しく知らないが、音響装置付き信号機のことなら、肆戸島ではとおりゃんせと乙女の祈りを主に採用しているな。旧式のものはとおりゃんせ、ここ三年の間に取り替えられた新式の信号機には乙女の祈りが使われている。島内でも、一部鳥の鳴き声を使っている区があるぞ。南北方向がスズメ、東西方向がカッコウだ。今は封鎖されているが」

 三島はすらすらと応えた。一縷は驚いたことを表現するために目を見開いた。

「どうしてとおりゃんせにしたんですか? 不気味じゃありません?」

「その不気味さが理由だよ。曲が鳴っている最中は渡っても構わない、曲が鳴り終わってしまうことで危険が迫る――と、いった連想を与えるために選ばれたのだと私は聞いた」

 なるほど、と思った。

「不気味さが理由か……思いつきませんでした」

 一本取られた、という感じがした。一縷は僅かに楽しくなって、目を細めた。

「おい、一縷、お前、今、確実に私よりも桂を尊敬しているだろう、そうだろう、一縷!」

「何を言っているんですか、店長」

「あああ、昔からそうなんだ! 桂は私が集めた人心を全部かっさらっていくんだよ! 学生時代の部活の時もそうだった、ああ思い出す! オカルト部の惨劇!」

「後輩が一人しかいない部活で人心掌握も何もないだろうが」

「バッカお前、生徒会やってたお前にはわからなかったかもしれんが後輩っつーのはすっごい貴重だったんだからな!」

「知らんな」

「当時何度も言っただろうが! お前、見てろ、今日ずっとこのネタで管まいてやるからな」

「呑むのか? これから?」

「決まってるだろ。宮河と矢野と、あと斜名も呼ぶか? 紫機流はどうせ来ねぇだろ」

「勘弁してくれ、平日なのにあんな連中と呑んでられるか」

「もう決めた」

 そう言って、尾花は一縷の方に向き直った。通りの向こうは飲屋街。光量が強すぎて、尾花と三島が逆光の中に立っているように見えた。輪郭だけが光っていて、表情は見えない。眩しくて、目を細める。

 こういう大人に、なってもよかったんだよなぁ。

 なんて考えるのは、葛の言葉が効いている。

 あれはつまり、”もしも”を、突きつけられたのだ。

 天才を辞めなかった自分がもしも存在していたならば、きっと葛のようになっていただろう。

 賢く、美しい少女に。

「そういう訳で、一縷、わたし達はこれから飲み会を始める。お前は来るか?」

「馬鹿が、未成年をそういった場に連れ込むな。却下だ」

 ぼうっとしていた一縷が答える前に三島が却下した。

「ちっ。お前だって、未成年の頃は飲み会に行っていた癖に」

 昔はな、と答えた三島を見遣って、一縷はなんとはなしに、この二人はずっとこういう関係を続けてきたのだろうか、と考えた。それは疲れないのかな。

「それじゃあ、私は、失礼します」

 まだ言い合っていた二人は、一縷の言葉にああと頷いた。

「それじゃあな、一縷。また明日」

「はい」

 一縷は、そう答えてから、一瞬だけ考えこんで、もう一度声を掛けた。

「あの、すいません。三島さん」

 三島は振り返った。

「初めて会った時、どうしてバーコードなんか見せたんです?」

「ああ――紫機流の姪だと知っていたからな。バーコードの読み取り機能ぐらいつけられているものだと思っていたんだ」

 ……さもありなん。



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