Chapter6 アイデンティティを殺してみせて-B
一縷は偏執市場の中でも人気のない細い路地にぽつんと立っていた。
ここに立ってればいいから! とヨキに半ば強引に立たされ、早十分程度が経過した。
「おい、ヨキ。何もないぞ」
痺れを切らして一縷が言えば、ヨキにしっと黙らされた。
「向こうが一縷を搜してるんだ。黙ってれば寄ってくる」
すると。
路地に影が差した。
そちらを振り返ると、一人の男性が立っていた。
一縷からは逆光でよく見えない。
目を眇めると、その男性は早足で一縷に近づいてきて、一縷の目の前で立ち尽くした。
「……あの」
「一条一縷博士ですね」
博士号は持っているので間違いではない。
「丁度ストックが溜まったところだったんです」
「ストック……?」
目の前の男性は淡々と一縷に話しかけた。
「いつまでも義眼ではお嫌でしょう。集めておきましたから、お気に召すものを使ってください」
「は?」
「お慕いしておりました、一条博士」
男性はその場で跪いた。
「ああ……すみません。そういうの、受け付けてないんで」
「一条博士はもともと黒目であらせられたので、その方が良いかと思いましたが、色々と取り揃えましたので」
男性は両手を捧げるように前に出した。その手のひらからぼろぼろと瞳孔の色が違う眼球が転がり出てくる。
「ほら、一条博士。貴方のために集めた目です。ご入用でしょう?」
頼んでねえ。
というか、やはり偏執狂か。
なるほど、こういうタイプの犯人だったか。
遠回しに自分が原因であった事実にげんなりしながら、一縷は口を開いた。
「じゃあ、集めたもの全部見せてもらおうか」
「はい、すぐに」
男の両手から眼球がぼろぼろとこぼれ落ちる。一体何件犯ってきたんだ。
キリが見えたところで、ヨキが男性の背後から飛び出してきて首筋に改造スタンガンを当てた。完全に不意を突かれた男性は濁った悲鳴をあげて倒れ込む。その隙にヨキは手首を纏めて縛り上げ、一息ついた。
「一人目の犯人、しゅうりょ~」
ヨキは一縷にハイタッチしにやって来た。応じずに男性と転がっている目玉達を見下ろす。
「本人の元に返せるだろうか」
「まあ難しいだろうね」
「そうか。だろうな」
「どうする? このまま少女戒律まで行く?」
ヨキはそう尋ねた。
「いや、私には関わりのないことだから」
「一縷はさ、今の自分の何が嫌いでそんな風でいんの?」
「顔以外全部だよ」
「勿体ねーな」
香屋埜にも同じことを言われたな、と思い出す。
「勿体ないのかな」
「オレはそう思うけど」
「そうか」
「なんかさ、お前って人工知能に限らなくてももっとさ、何かもっとやろうとしたらできるやつだと思うんだよな。それをしないのが見ててなんかムズムズする」
「珍しいな、ヨキ。お前がそんなこと言うなんて」
でも、一縷の余生はこんなもので構わないのだ。
もう人を死なせたくない。
かつて一縷が天才と呼ばれていた頃、開発した人工知能がある。
【偶像】と呼ばれたその人工知能は技術的には大したことのないプログラムだった。
自分の思考回路をコピィしてバックアップを取れるようになるシステム。これでみんなが安心できると考えたのだ。
しかし、百余人のギフテッド達はそのソフトウェアに触れた翌日に死んだ。
"もう自分は必要がない"と考えたらしい。
一縷はショックを受けた。
だってあなた達は人間なのに。機械なんかじゃなかったのに。必要かどうかなんて、未来は不確定で、そんな不定なことを原因に――
「――もう、懲り懲りだ」
「……まあ、とりあえず対偏執部隊を呼ぶか。依頼人の眼球が取り戻せるかは向こう次第だな」
「私はここで失礼するよ。ゲーセン行きたいし、給料の出ない労働したくないし」
「うわっ、ニート」
「うるさい、誤用すんな気持ち悪い」
/*== ==*/
ヘッドフォンをして音ゲーをするが、どうもミスが頻発する。舌打ちをしてヘッドフォンを外すと、右手側からいやに明瞭な声がした。
「思い上がっているんじゃあありません?」
ぱっとそちら側を向く。すると、そこには苑宮葛が立っていた。艶のある黒髪。ボブカット。長袖の白いワンピース。意表を突かれながらも、声を掛ける。
「……葛ちゃん」
「こんにちは、一条一縷博士。昨日はご挨拶もろくにできずに居なくなってしまってすみませんでした」
「ああ、いや。あんなことがあったんだから、仕方ないよ」
「そうですか?」
なんだか昨日と感じが違うなと思いながら、一縷はヘッドフォンの接続を外した。指輪を次々に嵌めて、フル装備になる。
「そんなに指輪を嵌めたら、キーボードが打てなくなるんじゃありませんか?」
「打つときは外すよ」
あれ、私はこの子にキーボードを日常的に使う仕事だと説明したっけ。
していない。
まあ、一条一縷を元から知っていたなら不思議ではないか。
「葛ちゃん、お茶でも飲みに行こうか」
/*== ==*/
「わたし、一条一縷博士がもう死んでしまっているものだと勘違いしていたんです」
ポットで頼んだジャスミンティーがテーブルに届く頃、苑宮葛はそう言った。
「だから、昨日は本当に驚いた」
「ああ、まあ……飛び降りたことは報道されたけど、生きてたことは報道されなかったらしいからね」
葛はカップに注がれたジャスミンティーを飲もうとして、熱、と舌を引っ込めた。
一縷は熱いコーヒーを一口啜る。
グァテマラの香りが鼻に抜けて心地良かった。
「葛ちゃん、なんで今日はゲーセンに居たの?」
「一条博士の――」
「一縷でいいよ。いま博士らしいこと何もしてないから」
「――一縷さんの、居るところを探して。張ってました」
「確度の高い張りだったね」
「はい。わたし、天才なので」
一縷はその言葉に、少し思考を止めた。
コーヒーの湯気が口ピアスに付着する。
一口啜る。
「天才か。じゃあ私に関わらない方がいいかもしれないね」
「どうして?」
「私はもう天才ではないし、今の天才にかける言葉も特に持ち合わせてはいないから」
「どうしてですか?」
「何が?」
「それじゃあ、どうして生きているんですか?」
カシャン、とコーヒーカップがソーサーに当たる音がした。
尖った陽光が差し込んで透明なジャスミンティーのポットを照らす。
改めて、一縷は苑宮葛を見た。
黒髪の艶めく、十三、四歳の、自らを天才と称して憚らない美しい少女を、見た。
「少女でも天才でも居られなくなったあなたに、生きている価値はあるんですか?」
一縷は再びコーヒーに口をつけて、それから溜息をついた。
/*== ==*/
その日の夜中、一縷は久々に吐いた。
あの後は何事もなかったかのように軽い雑談をして、会計は一縷が持って解散した。
ぐるぐると葛の言葉が脳裏でとぐろを巻く。
なぜ生きているか? なぜ生きているかだって? そんなこと、私が一番知りたいよ。
その言葉を突きつけられたのが年下の少女からだということもダメージを増やしていた。可能性が、選択肢が、まだ残されている存在からの言葉。
私は死んだ。
一条一縷は死んだのだ。
私は死んだはずなのに、なぜまだ心臓が動いている? 呼吸をしている? 砕けた頬骨は滑らかな人工骨に、潰れた眼球はドールアイに代わって。
矛盾。
気持ちが悪い。
そこまでしてなぜ身体は生存したんだ。
計画に不足があったから。
計画も立てられないほどあの時の一縷は頭の悪い世界に絶望していたのだ。
「いちる ぐあい わるい?」
「ヰドラ……」
四足歩行のロボットに縋りつく。一縷のバックアップは取らないように設定してある。
紫機流が帰ってこなくてよかった。
ベランダに出てみようか。
否、止めよう。
どうせ飛べやしないのだ。
十二年前の自分がそれを証明しているのだから。
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