Chapter4 ドッペルゲンガーのクオリア-C
探し屋パラノイドに入って、一縷は香屋埜に声をかけた。
「お疲れさまです」
「ああ、一縷くん、お疲れ様。桂と会ってきたんだって? 疲れただろう」
「ええ、まあ、少し」
「彼女は尋問みたいな話し方をするからねえ」
「ええ、まさに。そう言えば、香屋埜さん、ドッペルゲンガーの噂って知ってますか?」
「ほう。知らないな」
あれ? なんだか既視感があるなと思いつつも話を続ける
「なんだか、出るらしいんですよ、最近。ドッペルゲンガー」
「ふうん、一縷くん」
嫌な予感。
「ちょっと調べてきてくれたまえ」
「いや」
「特別手当」
「はい」
ああ、また藪蛇だ。
「今日は疲れただろうし上がっていいよ。明日から調査を始めてくれたまえ」
「はい……」
/*== ==*/
「ちる姉!」
「ああ、万里。悪いね、呼び出したりして」
「いや全然! どうしたの? どっか遊びに行くの?」
「バイトだ」
そう言うと、従兄弟である二つ年下の一条万里はがくっと肩を落とした気がした。久々に呼び出した彼は一縷に憧れを抱いているらしく、呼べばすぐ来る。その習性をいつも便利に使わせてもらっている。
「どこ行くの?」
「情報屋のところだよ」
偏執市場山城の一角にある薄暗い店に、一縷と万里は足を踏み入れた。
「おや? おやおやぁ珍しい、一条さん家の一縷さんじゃないですか。最近なかなか来てくれないから寂しく思ってたんですよ」
情報屋の秋赤音はセーラー服のスカーフを結び直しながらそう言った。前下がりのボブカットが葛を彷彿とさせたがその考えは振り切る。
「お前が求める対価が私向きじゃないんだよ」
「それは仕方のないことですよねえ。今日は何の情報を買いに?」
「ドッペルゲンガー」
「ふむ。それについてはあまり魅力的な情報は提供できそうにありませんねえ」
「いいよ。あるだけで」
「ふむ。それでは――」
赤音の話をまとめると、こうだった。同じ時間帯に同じ人間が違う場所で目撃されている。その目撃情報は赤音が知っている限り三十二人。日に日に増えていっている。對偏執部隊が動いているが、目立った成果はなし。ドッペルゲンガーと思しき個体は本人と視線を交わすと消える。
「視線を交わすと消える……?」
「さあ、考察をするのは情報屋の仕事じゃないですからね」
土地神に存在を許されていないのだろうか。
この島(正確に言うと、土地神の結界領域内、だが)では土地神に許されていなければ存在することができない。自分の輪郭を保っていられないのだ。とすればこの怪奇現象は偏執とは違うなにかが原因なのかもしれない。偏執は土地神の力によって成立している異形だから、彼らは存在を許されているのだ。
ナイトブラッド・ヴァンパイアである白夜のように、ドッペルゲンガーというばけものが新たに島の仲間に加わったのだろうか?
「さて、対価は? 一縷さん」
一縷は親指でピッと万里を指差した。
「え?」
「労働力。二時間分好きに使っていい」
「え?」
「三時間ですね」
「オーケー、呑もう」
「商談成立です。いやあ助かりますねえ、先日大量の紙の本を買い付けたので運搬役が欲しかったんですよ」
「じゃあ万里、そういうことだから頑張って。万里へのバイト代は別で払うから」
「ちる姉……」
「じゃっ、頑張れ」
スケープゴートの肩をぽんと叩いて、一縷は店を出た。
そして、ふと左を向くと――そこには、右側の前髪だけが長い黒髪の美人が立っていた。黒いノースリーブのパーカー。黒のデニム。
直後、その存在が掻き消える。
無表情のそれはきっといわゆるドッペルゲンガー。体験してしまった。死ぬかな。
死ぬときは目を開けていたい。
数秒待ったが、そのときは訪れなかった。なんだか対消滅みたいだなと思った。だとしたらここに居る一縷は新たに発生した一縷なのだろうか?
無重力にいるみたいな気分で一縷はその場をあとにした。
その後諫名に電話してドッペルゲンガーの話をして、たしかにそんな存在は許していないわ、との言質が取れた。
だから本物と出会ってしまったら許されていないほうが消えるのだろう。
否、残ったほうが本物になるのだろう。
実は、消えたほうが本物だったのかもしれない。
消えたドッペルゲンガーには意識があったのだろうか。人工知能には意思が発生するか、クオリアと絡めた研究テーマがいつだったか存在したな、と思い出した。
香屋埜へ報告に行こう、と一縷は万里の唸り声を背に探し屋パラノイドへと向かった。
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