Chapter3 妖怪眼球抉り-D
助けられるはずもない。
だって瞼が開いたまま、その目はこちらを見ているのだから。黒目が大きい。睫毛が長い。髪が地面に散らばっている。
少女の死体の片目が。
一縷と。
目が合っている。
そう、片目はどうしてかくり抜かれていた。
こうなる筈だった。自分も。
悪いな、と一縷は思った。彼女に対してか、あるいは、胸が、という意味か。曖昧な感想だった。
頭蓋の形が残っているということは、昨日の少女よりは低い位置からの飛び降りだったのだろうか。
「――……、通報しよう」
口に出して、一縷は短く息を吐いた。半ば力ずくでその亡骸から視線を下ろして、この暗闇の中ただ発光を続ける端末の画面を指でなぞった。
――通報を終えて、通りに戻った頃には、葛の姿は消えていた。
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警察の事情聴取は昨日よりは長くなった。連日で死体を発見しているということと、それが殺人死体だったということが理由だろう。聴取を受けている間は、さきほどの死んでいた少女のことばかり考えていた。今は待合のような空間にいる。自動販売機で購入した缶コーヒーを飲みながら、一縷は先ほどからぼうっと床のタイルを見つめているのだった。床の色は白い。まるで病院のようだと思った。
白いのは床ばかりではない。
この警察署自体が、病棟のように真っ白なのだ。床も、壁も、天井も白く、ガラスには一点の曇りも見つけられなかった。
一縷はこれまで警察に世話になったことがない。一縷は不登校児ではあったが不良生徒ではなかったからだ。交番には何度か行ったこともあるけれど、それもみんな幼い頃で、些細な落とし物を見つけたと行っては交番へ行き拾得物書類に幼い字で記入をしたものだった。子供らしくて微笑ましいことである。天才でもそんなことをするんだな、とまるで他人事のように思った。今では何も拾わない。携帯でマップを呼び出せば道にだって迷わない。
ああ、今月、病院いつだっけ。
一縷は前回の通院の時に担当医と交わした予約の会話を思い出そうとしたが、どうにもうまく頭が働かなかった。
いけないな、と思った。今日は色々有りすぎた。メモリが足りていないのだ。
目を伏せる。
一条一縷にメモリが足りない? まさか。
パフォーマンスが落ちているだけ。
いけないな。
否、いけなくなんてないか。今の一縷には、そんな価値など――
ず、とコーヒーを啜って、一縷は一度目を瞑り、そして顔を上げた。
目の前に人が立っていた。
「うお」
思わず声が出てしまう。一縷は両目を見開いた。今の今まで目の前の床を見つめていたのに、一体どこから来たのだろうか。降って湧いたのか。
低いヒールのパンプスと黒いスーツを着こなした、長身の女性だった。うなじの辺りで結んだすこし癖のある髪を前に持ってきている。右手にだけ黒い手袋をはめていた。文字が書きづらくはないだろうか。彼女は鋭くて冷たい瞳を一縷に向けていた。
「お前の名前は、一条一縷。間違いないな?」
ああ、声も、冷たい。一縷はそう思った。氷のようだ。稀にこのような声を出す人物が存在するが、この女は筋金入りだと思った。
「間違いがあるか?」
女性は微動だにせず、再び問うてきた。
それで我に返って、一縷はああ、と頷く。
「合ってます」
「そうか。私の名前は三島桂。方舟機関、イフ指定肆戸地区統括部の者だ」
そう言い、彼女は左の手首を一縷に向かって見せた。そこにはバーコードにしか見えない入れ墨がいれられていた。
そんなものを見せられても困る、と思いながら、一縷はじっと女性の顔を見返した。その表情は変わらない。一縷は目を細め、観察をした。
三島はすっとバーコードの左腕を下ろした。そして、口を開いた。
「観測条件を知っているか?」
「……? いいえ」
「そうか。観察をするためには、相手が自分を認識していない状態であることが望ましい。つまり、今のお前が私を観察することにあまり意味はない」
三島は滑らかな口調でそう断じた。一縷は数度瞬きをする。
「それは、あまり見られたくないという意味ですか」
「有り体に言えば、そうだ」
「では、そのように言うべきです。あなたの先ほどの言葉には、私があなたを観察する理由が抜け落ちているように思います。私は唐突に現れたあなたを怪しんでいるので観察をしていた、だからあなたが私を認識しなければ私に観察する理由は存在しませんでした。成り立ちません」
「……確かに」
三島は僅かに目を細めた。それは見定めようとしているわけではなく、ただ、冷たく感心している様子だった。
「一条一縷、しかし、お前が私を怪しむ理由はどこにある? もう名乗ったぞ」
「……名前にどんな意味があるんですか」
「名は体を表すと言うだろう。知らないか?」
「知ってます。知ってますけど……さっきの、手首のはなんですか?」
「これか?」
三島は左手を持ち上げた。三島は僅かに戸惑うような表情で、手袋をはめた右手を左手首に当てた。そして、一縷に問いかける。
「お前、一条だろう? 読めなかったのか? 身分証明のコードだが」
「え……?」
一縷は当惑した。
「普通、読めるものなんですか? そもそも、バーコードは人間が読むものではありませんよね?」
「その通りだ、通常は」
三島はすうっと目を細めた。
「しかし、お前は一条だろう。その目は何のためについているんだ」
なんと涼やかに理不尽な罵倒をする人だろう。一縷はぱちりと瞬いた。
「右目のことですか」
「そうだ」
「これは、飛び降りた時義眼に替えたんです。バーコードを通すためにあるわけじゃない」
「飛び降り? ――ああ、そういうことか。そう、そうか、何も知らないのか。すまなかったな、それでは意味がわからなかっただろう。もしかすると、私は変人に見えているのか」
三島は名探偵のように左手を口元に当てた。
ええ、わりと……いえ、とても、変人に見えます。それを言おうか言うまいか迷って、一縷は結局ただ頷くに留めた。
「そうか。それは、とても、不本意だ」
三島は冷静にそう言った。
「では、自己紹介をやり直そう。私は人類存続のために存在する方舟機関、そのイフ指定保全区域肆戸統括部所属の、三島桂という。今回君が遭遇した殺人事件は、肆戸警察と機関が合同で捜査している連続殺人事件との関連が疑われている。機関から事情聴取に派遣されたのが私だ。この後、できれば事件について話が聞きたいが、喫茶店へ行く時間はあるか?」
最初から、その説明が欲しかった。そう思いながら、一縷はその誘いに応じることにした。
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どうして?
どうしてまだ生きているの?
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