Chapter3 妖怪眼球抉り-C
どうやら、少女は一縷の右手にある細い路地から飛び出してきたようだった。一縷はそこに路地があったことにすら気がついていなかった。ちらりと伺っても、室外機やら排気筒やら電線やらの渋滞で何も見えない。
白いワンピースの少女は一縷と似たような色味の黒髪を揺らして、救いを見つけたような表情で一縷の顔を見上げた。
そして、ひっ、と、息を呑んだ。救われたような顔のまま、硬直する。その視線が一縷の顔面の右側に滑る。すると、今度は愕然とした顔になった。その表情の変化に違和感を覚える。どうしてこの子は一縷の顔を見て驚いているんだろう? 彼女はそのまま一歩後ろにさがった。
なんにしろ怖がらせてしまった。
この子は一縷のどこに怯えたのだろう。どこに、というか、どれに……。思い当たる節が多すぎて予測がつかなかった。左耳と口にピアスを空けていることだろうか。一縷の右眼の焦点が合っていないことも怖そうである。学校に行っていないときの一縷は容赦なくピアスをつけているから、そのせいでヤンキーだと思われてしまったかもしれない。
いや、いや、落ち着け。これは、自意識過剰に過ぎない。
何にせよ、自分が少女受けする外見ではないことは自覚しきっていたし、少女をこれ以上怯えさせたくもない。一縷は、一度おおきく瞬きをしてから、ぎこちない動作で首を傾げた。
「どうしたの?」
「――あ、」
少女は切羽詰まったように周囲を見回した。他の人を探しているようだった。イヤフォンを外して首に掛けながら、一縷も同じように顔を上げて周囲をみたけれど、一縷以外に人影は見つけられなかった。考えてみれば、すこし不思議かもしれない。人が一人も居ないというのは嫌な感じがした。
少女は諦めたように一縷をもう一度見上げた。
「あの、あ、あの、あの、」
少女は、エラーログを吐いているときのプログラムのように、同じ言葉を繰り返した。
「あ、あの、あ、」
少女の目にじわりと涙が浮かぶ。どうしようか、と思って、一縷は笑ってみようと努力した。右頬が引き攣れたように痛むので、普段は笑わない一縷である。
「あの、まず、落ち着いてね。私は、あなたに何もしないし、困ってるなら、助けようとも思うので」
「死んでいます」
「――――、は?」
一縷は、フリーズした。
「人が死んでいます」
一瞬でフリーズから回復した一縷はぱっと辺りを見回した。申し訳程度の笑顔も失せた。誰か大人が居ないかと思ったのだ。居なかった。さっき確認したように誰もそこには居なかった。ここは裏通りであり、入れるような店も見あたらない。
一縷は舌打ちをしたいような気分だった。路地の前に居ては無防備だと思い、少女の手を引いて一メートルほど移動した。少女の目を覗き込む。
「それは、確か? どこで?」
「本当です、本当です、死んでいます、そこの、今の、路地裏で!」
一縷は携帯端末を取り出した。
「誰か他に人は――居なかったんだ」
確認するように呟く。そう、居たら、きっとこうして一縷の側へ来ることはないだろう。一縷は軽く唇を噛んだ。口のピアスの留め金と歯がぶつかって、かちりと音がした。
一縷は、ゆっくり、声を出した。
「路地の、中ね? 私はこれから確認をしてくるので、きみ……えーと、名前は」
「――苑宮です。苑宮葛」
「ソノミヤカズラちゃん。葛ちゃん。私は一条一縷です。えーと……」
「一条一縷……」
葛は小さく呟いた。
「嘘、どうして……?」
ぽつりと発した少女の言葉に、一縷は反応する余裕が無かった。
「うん……、うん? えっと、そうだな。葛ちゃん、ちょっとここで待っててくれる? その辺りで」
近くの消火栓を指さすと、葛は縋るようにこちらを見てきた。
「……怖いです」
「怖い?」
一人になるのが、という意味だろうか。一縷はすこし考えた。しかしこの少女にもう一度死人の顔を見せるのは酷だろう、既にこれほど怯えているのだから。
「えっと……一人になるのが?」
「はい」
「そうか……えーと……でも」
一縷は言葉を選びあぐねた。葛の意向を優先したいところだが、死体があるならそれを確認して通報することが優先だ。どちらがマシか聞くべきだろうか。一縷と二人でもう一度死体を見るか、それとも一人でここで待つか。いや、ここは”年長者”である一縷が判断すべきだ。ああ、年長者。反吐のような感情を殺すため、眉間にしわを寄せる。
「……あ……」
一縷がほんの一瞬躊躇している間に、葛はそれを察してしまったらしい。敏い子供だ。一縷は目を眇める。敏い子供は更に嫌いだ。忘れていたラムネの味をふいに思い出すみたいに、かつての自分を想起させる。葛は唇を引き結んで一歩下がった。
「……ごめんなさい、大丈夫です。何でもありません」
「……悪い。すぐ戻ってくるよ」
一縷はそう言い残して、歩き始めた。開いていたアプリを全て落として容量と残り充電量を確保する。
葛が飛び出してきた角を入ると、途端に陽の光がなくなり、暗くなった。どうしてか一瞬眩しいと思ったが、すぐに目が慣れた。
高いビルの壁に挟まれた路地だった。地中街もよく歩く一縷にとっては見慣れた風景である。そしてこれもそういった路地によくあることだったが、様々な機械の室外機がところせましと並んでいて、とても視界が悪かった。
それでも一目で目についた。
地面に、コンクリートで固められた地面に、人間が転がっている。その人間の胸には深々と棒のようなものが突き刺さっていた。よく見ればそれはグリップである。上手に握り込めそうな、上手に力を込められそうな、グリップである。一縷はそれをナイフだと思った。
そう、数メートル先の地面に、殺人死体があった。
――死んでいる、って、他殺、かよ。
飛び降りかと思ったのに――
どうして?
飛び降りと思ったのは――
過去が右眼の奥でちらつく。眼下。眼下。狭い眼下。狭い空に墮る――
否。否。
自分の過去など関係ない。昨日も飛び降り自殺を見ているのだから、そこからの連想だろう。思考を強制的に引き戻す。
確かに死体だ。確かに、形容するならば、死体という他無いだろう。
いや――正確に表現するなら、他殺死体、と言うべきだった。
しかし、それをあの怯えた少女に求めるのは酷だろうか。
一縷は視線が逸らせない。
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