Chapter2 吸血鬼のメランコリィ-B

 自分の作業室に戻り、叔母の同僚に組んでもらった巨大な(百七十センチある一縷より少し低いくらいの)タワー型コンピュータの電源スイッチを入れ、ファイルを作業用デスクに置いた。このパソコンは、メモリの容量がテラ級だとかなんだとか、そういう話を聞いたような気もするが、聞き流したので思い出せない。ともかく、店長が書き掻き集めた膨大な資料をインプットするのに足るくらいの大容量メモリを積んでいることは確かだ。それにしたってこんなにでかい必要はないが。真空管が付いているのは趣味だろうか。ものが上に置けなくて困る。

 そのとき。

「すいませーん、ちょっと入っていいですか?」

「はい、どうぞ……ん?」

 今どこから声がした?

「それじゃおっ邪魔しまーす」

 窓がバァンと亂暴に開き、そこから白夜が入ってきた。前に神隠し事件のときに遭ってから二週間ぶりくらいだろうか。

「しまった……」

「シンギュラリティの癖に迂闊じゃなぁい?」

「次その名で呼んだら二度と会話しない」

 それは一縷が天才だった頃無理解な周囲が勝手につけたあだ名だった。

「怖い怖い、ごめんってば」

「で、何? 忙しいんだけど」

「万年暇そうな仕事してるくせに」

「少なくとも仕事ではあるんだよ」

「ちょっと相談があってさあ」

「人の話を聞け。って、は? お前が私に相談?」

「そ。諫名ちゃんの友達なんて、お前くらいしかいないでしょ?」

「いや、そんなことないと思うけど……何? 怒らせたの?」

「それくらいで相談に来るかよ。なんかさあ……諫名ちゃん最近おかしくない?」

 友達いないの、お前の方なんじゃないの?

 そんな言葉を飲み込んで、一縷はため息を吐いてパソコンをスリープ・モードにした。


/*== ==*/


 在宮諫名という人物には、三つの側面がある。

 一つ目は、この肆戸島の現人神としての側面。島の結界領域の管理をし、信仰を集め、島や人を守っている。目の色は蒼い。散歩が趣味で、主に和装だ。

 二つ目は、人間としての側面。この側面のときのみ名字が奏済となる。ただの十九歳の女の子である。なんの力もない、見ていて不安になるようなこの上ない美人だ。目の色は吸い込まれそうな漆黒。ゴシック風のファッションをしていて、一番表出している。三つの側面の中では最もおとなしい。

 三つ目は、吸血鬼としての側面。彼女は不幸なことに、白夜公こと御津藏貴臣に気に入られ血を吸われて、ナイトブラッド・ヴァンパイアの側面も得てしまった。目の色は血のように赤く、瞳孔は切れ長になる。ファッションは一番露出が多い。このときの彼女は少し攻撃的だ。

 この三つの側面が場面に応じて切り替わっているが、性質が異なっているだけで性格は変わっていない。地雷を踏まない限りは基本的に大人しい美人である。

「で、どこがおかしいって?」

 二人は近くにある喫茶店に移動して、飲み物が届くのを待って話し始めた。レモンスカッシュ。実物のスライスが浮かんでいる。白夜はティーカップを持ちながら、んー、と小首をかしげた。

「なんとなく?」

「帰れよ」


/*== ==*/


 まず、蒼眼であることが極端に増えたということ。その際になにか違和感を覚えるということ。

「何かってなんだよ」

「それがわかればお前なんかのところに来ないよね」

「お前そういう事言うから友達いないんだよ? そろそろ気づけ?」

「はァ? いるし?」

「例えば誰よ」

「ロウとか」

「白夜会は省きます」

 白夜は一瞬フリーズしたあと、指折り数え始めた。

「……市倉とかぁ、桐伍とかぁ」

「御三家しか出てこないあたり可哀想になってきたからもうやめてやるよ。紅茶冷めるぞ」

「猫舌だから冷めないと飲めねーの。御堂島なら適温にして持ってくるのにな」

「いや、一番美味しい温度で提供してくれてる店に文句つけんな」

「いや俺が正義だから」

「いや……ん? 白夜」

「何?」

「あそこ歩いてるの、諫名じゃない?」

「は? ……本当だ。縛り付けてきたのに、抜け出してきたのか」

「何してんだお前……引くわ」

「一緒にいるの、誰? 女? 女だな、女で良かった、男だったら殺しに行ってた」

「うっわ殺人鬼とお茶してた女にならなくてよかった」


「いーさなちゃん」

 諫名が一緒に歩いていた少女を見送ったのを見てから、白夜はどろどろに甘い、いちごジャムみたいな声を路地に響かせた。きっと彼と彼女と二人でいるときはいつもこんな声をしているのだろうなと他人事のように考えた。いや実際他人事なのだけれど。

 名を呼ばれて、諫名は緩慢に振り返った。

「貴臣」

 一縷にはやはり違いはわからなかった。いつもの蒼い諫名である。

「んーまだおかしいな。ねえ、どうしたの? 俺に言えないこと?」

「……そうね。言えないわ」

「俺に?」

 白夜の周りの空気が歪んだ。

 あ、まずい。

 白夜の足元のアスファルトが砕けて、次の瞬間諫名は壁に押しつけられていた。パラパラと壁の塗装が剥がれる。

 けほ、と諫名が咳き込んだ。

「ねえ諫名ちゃん、俺隠し事されるの大ッ嫌いなんだよね知ってるよねどうしてそれなのに内緒にするの? 俺に教えて?」

 まずいな。キレた白夜を止められるのは諫名しかいないのに、今回はその諫名がキレさせていると来ている。

「貴臣、一縷ちゃんと一緒にいたのね。困らせているわ」

「……? 戻った」

 知らんがどうやら戻ったらしい。白夜は諫名を路地の壁に押しつけていた手を緩めた。

「……」

 そしてしばし考える。

「ああ……そういうこと」

「どういうこと? 説明がほしいんだけど」

 一縷がそう言うと、白夜は笑顔で振り向いた。

「解決したから、もういいや。ご苦労さま」

「マジで自分勝手だなお前……」



/*== ==*/


 電気電子機械工学研究所、略して電電機工研。そこには数々のクレイジィな研究者たちが所属していたが、一縷の叔母の一条紫機流もその内のひとりであった。

 仮眠から目覚めて真先に紫機流専用の冷蔵庫からキンキンに冷えたエナジードリンクを取り出し、自分の椅子に座った。

 タブレットを操作していて気になったメールがひとつ。

 知らないアドレスから届いた論文。

「差出人が……一条一縷?」

 悪戯だと切って捨てるのは簡単だったが、生来の好奇心で紫機流はその論文に目を通すことにした。

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