Chapter1 神隠し-B
夜を待ち、一縷は偏執市場のバーに繰り出した。威嚇のつもりで空いているピアスホールには全部ピアスを付けていった。その数は十を越してからは数えていない。確か初めて空けたのは十七歳の頃だった。
馴染みの派手髪のバーテンを見つけて、彼の方に寄る。
「那智」
那智有恒。同い年であることと交友関係が被っていることから仲は良い方だった。
「一縷じゃん……いつも思うけど、それ、髪、引っかからないの」
那智が指差すのは一縷の耳のピアスだった。
「引っかかる」
「痛くないの?」
「穴開けたときよりは痛くない。それより聞きたいことあるんだけど」
「何?」
「神隠しについて」
「ああ。それなら、テーブル席の――ほら、劇団イヴの伊丹さんが居るだろ。イヴの神山あまねも確か神隠しに遭ってて困ってるっぽい」
「え、あまねって次の公演主演じゃん……」
「だから困ってるんだって。伊丹さん!」
「あ?」
「パラノイドが神隠し調べてるっぽいっすよ」
「お、都合がいいな。おい一縷、この端末であまねの発信機辿れるから使え」
「なんで劇団員に発信機付けてんの、伊丹さん」
「こういうときのためだよ。あいつ頭弱いしすぐ人についていくしな」
受信端末を見ると、位置はどうやら偏執市場の在宮神社にあるようだった。
「また厄介な……」
一縷は軽く頭を振った。
次に一縷が訪れたのは、偏執市場からは少し外れたところにある住宅地の邸だった。百合紋の鉄柵で囲われた邸宅、【御津藏家 静謐邸 -みつくらけ せいひつてい-】である。門のところにあるインターホンを押す。一般的に考えると常識はずれの時間だが、ここの居住者にとっては活動時間帯の筈だった。
『はい、どちら様でしょうか』
「孝枝さんですか? こんばんは、夜分遅くにすみません。一条一縷です。白夜と諫名は居ますか」
『一縷様でしたか。ただいま迎えを遣りますので、少々お待ち下さい』
少し待つと、遠くに見える邸の重厚な扉が開き、見知った顔がこちらへ歩いてきた。
「早矢仕さん」
「お待たせいたしました。ご案内します」
内鍵を開けて、一縷を中へ迎え入れてくれる。
通された応接間で紅茶を飲んでいると、部屋の扉が開いて館の主であるところの吸血鬼御津藏貴臣、通称白夜とその第一秘書の御堂島孝明が現れた。
「おいおいおいおい一条一縷、よく来たじゃぁん? 何々何の用?」
「フルネームで呼ぶなよ、こっちはとてもじゃないけど呼べないんだから」
「知ってるー」
「諫名御前を借りたいんだけど」
白夜公はぼすんと高級そうな椅子に座った。
「ふうん。なんで?」
一縷は端的に神隠しについて説明した。
「で、在宮神社から発信機の反応があるから在宮の神様である諫名御前をお借りしたいわけ」
諫名御前こと在宮諫名は、この肆戸島を守っている土着神である。怪異――吸血鬼の王である白夜に執着されて、偏執の対象とされてしまっている可哀想な女神だ。年齢は一縷と同じ。友人と言ってもいい間柄だったが、白夜の認可なく諫名を連れ出すとえらいことになるのでいちいち外出には許可を取ることにしているのだった。
「へぇ……。まあそういうことならいいよ。御堂島、諫名連れてきて」
/*== ==*/
付いていく、付いてこなくていい、の悶着を三十分ほど行ったあと諫名が勝利し、一縷と諫名は生ぬるいというには少し暑い夜の街へ繰り出した。
「ふふ、こうして二人で出かけるのは久しぶりね、一縷ちゃん」
静かに走る車の後部座席で和装の諫名はそう言った。エアコンが効いてきて涼しくなってきた。
「ああ、そうだね。白夜の奴が邪魔してくるから」
「あの人、一縷ちゃんのこと信用しているのね。じゃないと二人でお出かけなんて許してもらえないわ」
「信用……? 白夜が私を? ないない」
「あるわよ」
「お嬢様、扶桑前まで着きました」
「ありがとうサチカ。帰りは静かの海を通るから迎えはいらないわ」
「承知しました」
黒塗りの車を見送って、一縷は諫名に問いかけた。
「ねえ、あのさ。できるならはじめから静かの海を通ればよかったんじゃないの?」
静かの海とは彼女の土着神としての能力の一つで、島内であればどこにでも移動できるというものだった。
「久々に車に乗りたかったの」
「ああ、そう……」
偏執市場内は相変わらず常昼だった。らっしゃいらっしゃい、新鮮な指だよ。そんな言葉が耳に入ってきたのでとても気になったが、新鮮な指を使う機会が一縷にはなかったのでスルーした。
「一縷ちゃん一縷ちゃん、新鮮な指ですって」
「欲しい? 諫名」
「え? そうね、いらないわね。わたしは貴臣の指以外いらない」
「お熱いことですね」
若干胸焼けしながらそう言うと、諫名は小首を傾げた。さらさらとその髪が附隨して流れる。
「お熱い……? どういう意味?」
「好き同士でいいですねってこと」
「まあ、一縷ちゃん、恥ずかしいわ」
「こっちがね」
隠されていたエレベーターで最下層まで直通で降りる。それが許されるのは諫名とその周辺人物だけであった。
「あら……おかしいわ。結界領域の外側に人がいる」
ちらりと左横を見ると、諫名の瞳の色が深い蒼に変化していた。諫名御前。彼女の土着神としての側面だ。
彼女はすっと鳥居をくぐり、丁寧に手入れされた庭を歩く。季節外れ(もうそんな言葉も死語になってしまっているけれど)の紫陽花がきれいに蒼く咲いた庭の最奥で、諫名はすうっとその先に行った。
姿が見えなくなったので少し歩幅を大きくして後を追う。
すると、そこにはとんでもない景色が広がっていた。
まるで、パソコン上のエラーかバグかのような。
ネオンカラーの砂嵐の背景に、等身大の0と1が乱雑に並び、その真中あたりに数十人単位の人間たちが座り込んでいた。その多くは少女が占めている。泣いている子も居た。ぴくりと一縷の眉が動く。
「かみさま」
そのうちの一人の少女が泣き出した。
「かみさまが来てくださった」
「現人神様」
諫名はそちらに向かってやさしく微笑み、それから空中に向かって呪言を吐いた。
「結界展開」
パン、と柏手を打つ。
「在宮諫名の名において、この場を我が領域とする」
さあっと風が――いや、まるで波にさらわれるような感覚が体を透って、次の瞬間には一縷たちは在宮神社の境内に居た。
ぽかんとする神隠しの被害者たちの中で一人立ち上がって、一縷の元へ走ってきた女が居た。
「一縷ーっ」
神山あまねだ。その勢いのまま抱きつかれて、勢いを殺しきれずに二、三歩下がる。
「助けに来てくれたんだねぇ、ありがとぉ!」
「伊丹さんに頼まれたからね」
「神様もありがとうございます! 公演に間に合わないところでしたぁ!」
「いいえ、いいのよ。それより一縷ちゃんから離れてあげて、首が絞まっているように見えるわ」
諫名、ナイス。
「結局、どういうことだったのかしらね? 一縷ちゃん」
神隠しに遭っていためいめいに特別にエレベーターを使わせ、地上へと帰っていくのを見届けた一縷と諫名は在宮神社の縁側に座っていた。
「0と1の数字の羅列が不気味だったね。まあ、どっかの誰かの偏執が暴発してたんじゃないかな。對偏執部隊に報告しとく」
「そうかしら」
「そうなんじゃない?」
諫名は少し思案顔だった。
「何か気になる?」
「ええ……少しだけ。でもいいわ、今日のところは帰りましょう」
静かの海を通って送っていくわ、と手を差し出され、一縷はその手を握った。
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