群青

蓮海弄花

Inside

Chapter1 神隠し-A

第一部 -inside-

 普段は使われていない社会科資料室の埃っぽいソファを占領して、一条一縷は横になって目を瞑っていた。顔には申し訳程度に現代国語の教科書が開かれて乗せられている。目を瞑っている、だけなので起きてはいたし、だから当然室内へと入ってくる足音にも気がついてはいたのだ。それが誰かまでも予測がついていた。三島葵。一縷の広く浅い友人のうち一人である。ふたりとも十九歳、同い年ではあるが彼は大学生で一縷はまだ高等部だった。出席日数が足りず留年しているのである。本当は進級ができないと知ったとき学校をやめようかと思っていたのだが(一縷にとって高等部までの学校はあまり魅力的な場所ではなかった)、周囲の説得により高等部くらいは卒業しておけと言われ嫌々最低限登校だけしているのであった。

「起きろ」

 ぱこん、と頭を叩かれる。

 教科書が床にずり落ちた。

 眉間にシワを寄せて、一縷は目を開けた。

「……何すんの」

「こっちの台詞だ。何をしてる? 授業は」

「出席日数の計算は出来てる」

「風邪とか引いたら狂うだろ」

「予備日も計算済み」

「ああ言えばこう言う。授業出ないとテストで点が取れないぞ」

「模試もテストも点は取ってるよ」

 ぱこん、また何かの本で頭を叩かれた。この私の頭を何度も叩くとは何考えてんだこいつ。

「制服は? なんで私服なんだ」

 本日の一縷の衣装は、黒のノースリーブブラウスと黒のスキニーパンツの漆黒ファッションだった。右目は前髪で隠している。

「ブレザーが気に食わなかった」

 ぱこん。

「そんな悪いことばかりしていると神隠しに遭うぞ」

「神隠し? 誘拐の間違いじゃないのか」

「知らないのか? 最近人が消えてるらしいぞ」

「地下に潜ったとかじゃなくて?」

「そこまでは知らない」

「ふうん」

「今日もバイトか?」

「うん。このあと」

「授業終わってから行けよ」

「はいはい」


/*== ==*/


 【探し屋パラノイド】。一縷が八ヶ月前からアルバイトをしている零細企業はそういう名前の店舗を構えている。

 探し屋と聞くと一風変わった職種に思えるが、要するところは観光案内業である。一縷が住む島、【肆戸島 -シノヘジマ-】ではわりと普及している仕事であった。どこを案内するかと言えば、肆戸島では唯一とも言える観光スポットの【偏執市場 -パラノイド・スラム-】である。

 

 趣味人、マニア、コレクタ。それらのどれも一概にすべきではないが、ただ一貫して、顕示欲を持つ傾向にある、というのはここの店主の言である。

 偏執市場について、どういう成り立ちでそこにあるのかは定かには知らない(飛び交うアンダーグラウンドの噂では、【イフ指定保全地域】となることが世界崩壊以前から決まっていたからだとか)。

 とにかく、雑多に膨大に集まった趣味人の巣窟の市場、そこに何かを求める人が、目当てのものを探し当てる――のを、補佐するのが、我が店、探し屋パラノイドだった。店名からして来る客を舐めきっているように思うが、不思議と客足は途絶えない。実際に働いてみると、百科事典の目次のような職業だ。まさに案内所である。

 市場は肆戸島南部に位置し、夥しい数の建物が層をなして集まっている立体構造物である。西棟【扶桑】と東棟【山城】から構成されており、地下にも層をなして広がっている。しかも店の並び・区切りに規則性がない。九龍城砦と戦艦の艦橋を足して割らないような様相。1930年代のメリケン産アンティークランプ専門店と魚の天ぷら専門店が当然のように並ぶ市場を歩いて目当てを探そうとすれば気が狂いそうになってくるから、需要のある仕事ではあるのだろう――と一縷は思う。

 そんな案内屋のような店で、しかし一縷のお仕事の内容は資料の自炊であった。書庫に収められた膨大なアナログ資料を電子化する作業だ。

 電気が貴重になったであろう世界なのに、この島のものはどんどん電子化されてゆく。

 他のイフ指定保全地域では輪番停電なども行われているようなのに、肆戸島では電力の供給が滞ったことがない。大きな発電所があるわけでもないのに。

 知人たちが不思議に思っているその理由を、一縷は人脈が下手にあるせいで知ってしまっているのだが、そのうちに自分は死ぬだろうとなんの脈絡もなく思っているので口外するつもりは無かった。

 一縷が地道に電子化している資料は、最先端を限界突破した好事家どもをカテゴライズし、その分布や現在地などをまとめたものだ。一縷がここにくる前はそれを全てこのパイプ式ファイルを使ってアナログで管理していたらしいので、探し屋の店主も他の例に違わずパラノイアなのだ。資料の大半は店主が万年筆の手書き文字で綴っているので、たまにその解読が困難を極めることもあった。


 チリン、とドアベルを鳴らしてパラノイドに入店する。

「やあ、一縷くん」

 空の受付の向こう側、応接間からそんな声が飛んできた。

 店長に声を張らせているわけにはいかないので一縷もカウンターを回って応接間に移動する。

 店長の香屋埜ジンは、少し傾いた陽光を浴びて燦々としていた。いつも吸っている煙管は煙草盆に置かれていた。

「君にお客さんが来ていたんだけどね、居ないと言ったらまた来ると言って帰っていったよ」

「そうですか。……ああそうだ、香屋埜さん。神隠しって知ってますか?」


「ふうん……なるほどなあ」

「私としては、ただ偏執狂になって地下に潜っただけなんじゃないかと思っているんですが」

「ふむ……一縷くん」

 なんだか嫌な予感がした。

「じゃっ、今日の仕事入りますね」

「ちょっと、その神隠しの件について調べてきてくれたまえ」

「私の業務と違うんですが」

「特別手当を出そうかな」

「行ってきます」


/*== ==*/


 藪蛇を踏んだな、と思いながら歩いた。香屋埜がこういった話に目がないことは知っていたのに。

 携帯端末で三島葵の項目を呼び出し、通話をつなげる。

「もしもし、葵?」

『一縷か? 珍しいな』

「神隠しに遭ったって人紹介してくれない?」

『いいけどなんで?』

「バイト」

『お前何のバイトしてたっけ』

「資料整理。いいから早く教えろよ」


「あれ、葵先輩が会ってほしいって言ってた人、一縷さんだったんだ」

 葵の紹介してくれた人は一縷の高等部の同級生、小山内莉乃だった。確か妊娠五ヶ月くらいだったと思う。世界が滅んだ今となっては妊婦は貴重な存在だ。

「うん。大変な時期にごめん」

「ううん。一縷さん、拓くん探してくれるんでしょ?」

 そんな話になっていたのか。葵のやつ。

「見つけられるかはわからないけど、神隠しについては一通り調べるつもりだよ」

「あのね、拓くんは一緒に学校から帰ってるときに急に居なくなっちゃったの」

「急に? それって、突然って意味?」

「そう。つないでいた手が離れたと思って、どうしたのかと思って顔を上げたらもう居なかったの」


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