高齢夫婦、キツネとタヌキと一緒にパンを焼く in 限界集落
ゴオルド
おじいさんとおばあさんとキツネとタヌキの田舎暮らし
時は令和。とある限界集落に、おじいさんとおばあさんとキツネとタヌキがおりました。
おじいさんとおばあさんは都会暮らしに飽き飽きしていたので住んでいたマンションを売り、山奥にある限界集落のはずれに建つ中古の一軒家を買い、田舎暮らしを始めたのでした。
キツネとタヌキは山に住んでおりましたが、たまに集落におりてきて畑の野菜を盗むなどして暮らす野生動物でした。
彼ら4人はいつしか一緒に暮らすようになりました。移住者と害獣である彼らは集落の住民たちとの親密な付き合いに消極的で、つまりヨソモノと嫌われ者同士ということで気が合ったのです。
ある日、おじいさんが蕎麦打ちにハマりました。
「このあたりは空気もいい、水もいい。蕎麦を打つには最高の環境じゃ」
しかし、すぐに飽きてしまいました。もともとそれほど蕎麦好きというわけでもなかったのです。
埃をかぶった蕎麦打ちセットを「もったいない」と残念に思ったおばあさんは、せっかくなのでこの道具を使ってパン作りをしてみることにしました。蕎麦打ち用の器は、パン生地をこねるのにも良さそうです。
するとキツネとタヌキも手伝うと言うので、2匹を風呂に入れて、毛に紛れ込んだ草の実を丁寧に取り除いてやり、仕上げにノミ取りの薬を1滴、首にちょんと垂らしてやりました。手のひらにアルコールジェルをつけてやると、2匹は神妙な面持ちで両手をすりすりして肉球の殺菌もちゃんとしました。
さあ、ではパン作り開始です。
ヘルシー志向なおばあさんがライ麦粉を取り出すと、おじいさんは驚いたような顔をしました。
「なんじゃライ麦って。わしは普通のパンが好きなんじゃが、普通のパンは焼かないのかい」
「普通のパンなんて私が焼くものか。血糖値が上がりにくくて食物繊維もとれる黒パンを焼くのさ。そしてさらにこれらも追加するのさ!」
おばあさんは通販で取り寄せたキヌアやアマランサスといった健康穀物を、おじいさんに見せてあげました。
「わあ、これはアワやヒエとは違うの?」と、キツネが尋ねました。
「つぶつぶしていて似てるね」と、タヌキが言いました。
「これはね、健康と美容にいい穀物なんだよ。これをパンに入れたら、とってもヘルシーな高級パンになるんだ。白金台あたりでワインとチーズを買うような人たちに馬鹿ウケのずっしりとした噛み応えのある黒いライ麦パンのでき上がりってわけさ」
「すごいすごい」
キツネは手を叩いて喜びました。でもタヌキは困ったような顔をしました。
「ボク、白くてふわふわのパンが好きだなあ。ずっしりした噛み応えのあるパンは、あの、美味しいかもしれないけど、ボクふわふわがいいの」
おじいさんはタヌキを抱きしめて、
「そうじゃろう! そうに決まっておるわい。いろいろ流行りはするが、なんだかんだいってノーマルなのが一番うまいんじゃ」とおばあさんに言いました。
おばあさんは困ってしまいました。おじいさんだけがライ麦パンに反対しているのなら無視するところでしたが、タヌキまで反対とあっては無視できません。
「では、ライ麦と普通のパンのハーフアンドハーフにしようかね。おじいさんも手伝っておくれ」
「わかったわかった」
そういうわけで、おばあさんはスーパーフード入りのライ麦パンをこね、おじいさんは強力粉で普通のパンをこね始めました。腕がだるくなったら、キツネとタヌキが交替したりもしましたが、それはちょっとの時間だけのことでした。
4人でこねた二つのパン生地はぷっくりと膨らみ、それらを合体させてまん丸な形にしました。
ライ麦の半月と小麦の半月をくっつけたようなまん丸です。
あまりに生地が大きいので、台所のオーブンレンジには入りきりません。庭の片隅に設置したアウトドア用の大きな石窯(これもおじいさんが買ったのだけれど、二、三度使用しただけで放置されています)で焼くことにしました。
パン生地を木の台に乗せ、4人で担ぎ上げて庭に出ると、目の前には菜の花畑が広がっています。一本の大きな桜の木がこのあたりの主のような顔をして大輪の花を咲かせているのも見えます。桜の花びらがあたりに舞っていて、キツネは慌てたような声を出しました。
「わあ、花びらがパン生地にくっついちゃうよ」
おばあさんは笑いました。
「心配性なキツネだねえ。そんなことにはならないから安心しなさい」
濡れ布巾をさっとパン生地にかぶせて、釜近くの作業台に置くと、おばあさんは石窯のようすを確認しました。薪は既に真っ赤に燃えて、中からほっぺたの産毛がちりりと焼け付くような熱気があふれてきました。いいぐあいですが、パンを焼くにはもう少し高温のほうが良さそうです。おばあさんは薪を追加しました。
「あっ、大変だよ、イノシシがいるよ!」
今度はタヌキが慌てた声を出しました。
「どれどれ、ほほう」
おじいさんが目をやると、黒々とした毛に大きな耳をしたイノシシが畑のあたりをうろうろしていました。畑の野菜を盗み食いするつもりなのでしょう。しきりに地面のにおいを嗅いでいます。
キツネはバンザイするみたいに両手を挙げて、大きな声を張り上げました。
「こら、あっちへ行け! おじいさんとおばあさんの畑を荒らしたら承知しないよ」
イノシシは面倒臭そうに顔を上げて、ゆったりとした足取りで去っていきました。
「自分だってよその畑を荒らしていたくせに、よく言うもんだ」と、おばあさんは鼻で笑いながら言いました。
「それは昔の話でしょう。ボクたちもう畑を荒らしたりしないよ」と、タヌキが言うと、おじいさんが「タヌキもキツネも改心したからのう、もう悪さはせんのじゃ」と両手でキツネとタヌキの頭を撫でました。
「そうかね。つい昨日のことだけどね、どこかの誰かさんが、ある畑からカブを盗んでこなかったかね? 今朝になって台所の貯蔵庫を見たらなぜかカブがあるもんだから、私はビックリしたよ」
「それは……」
タヌキは口ごもってしまいました。
「それはね、西のほうにある鬼ババアの畑から盗ってきたカブなんだよ」と、キツネが自慢げに言いました。
「これのどこが改心したっていうんだか」
「でも、鬼ババアの畑からしか盗ってないよ」
「じゃあ、いいんじゃないか?」と、おじいさんが言うものだから、おばあさんはおじいさんを睨み付けました。
「だって、あの鬼ババアなんだろ? 性格悪くて、そのうえケチで、川で洗剤を使って洗濯をするような環境破壊ババアじゃないか。ちょっとぐらいお仕置きが必要なんだ」
「馬鹿言うんじゃないよ。確かにあのババアは気に食わない。先祖がサムライだったとかいって威張りくさって、こっちが挨拶しても返事もしないし。うちがここに越してきたときだって、ゴミの捨て方について尋ねたら半笑いで馬鹿にするだけで何も教えちゃくれなかった。私はそのことを一生根に持つからね。それにあいつはニワトリを飼っているわけでもないのに、イタチに石を投げるほど性根がひん曲がっている。本当に嫌なババアさ。そりゃちょっとぐらい嫌な思いをすればいいと私だって思わないでもないけど。でもね」
おばあさんはキツネとタヌキに交互に視線をやりました。
「やったらだめなことはだめなんだ。それにあのババアは猟友会に顔がきく。ババアに買収された猟師があんたたちを銃で撃ったりしたらどうするんだい。だから、もう馬鹿なことはするんじゃないよ」
銃で撃たれると聞いて、キツネとタヌキは震え上がってしまいました。
「さあ、そろそろ石窯もあったまったかね」
おばあさんは、濡れ布巾をとってパン生地を器用にくるっと丸めると石窯に投げ入れました。
そこから先は魔法のようでした。
あっという間に、ふっくら大きなまんまるパンが焼き上がったのです。
キツネとタヌキは大はしゃぎしました。
「こんなに大きなパン、見たことないや」
「おばあさんがカレーを作るときのお鍋より大きいパンだよ」
2匹が喜ぶのを見て、おじいさんとおばあさんもにっこりしました。
「じゃあ、早速食べてみようかのう」
おじいさんがナイフでパンを切ろうとしたら、おばあさんが「待ちな」と制止しました。
「なんだい、おばあさん。はやく焼きたてを食べようじゃないか」
「悪いけどこのパンはそのまま食べるつもりではないんだよ」と、おばあさんは言います。
「どういうことだ?」
「えっ、食べないの?」
「ええーそんなあ」
3人はとてもガッカリしました。
「このままでは食べないという意味だよ。食べさせないという意味じゃないから心配するんじゃないよ。私はこのパンを使って、パンシチューを作るつもりさ」
「パンシチューってなあに?」と、タヌキが言いました。キツネも興味津々といった顔でおばあさんを見ています。
「まずこのパンの上をナイフで切り取るんだ。そして中身をくりぬいて、そこにシチューを入れるのさ」
タヌキは丸い目をさらに丸くしました。
「わあ、パンがお皿になるんだね! すごいすごい」
「ねえ、おばあさん、くりぬいたパンはどうするの?」と、キツネが尋ねました。
「そうだねえ、そのまま食べてもいいけど……実はそこまでは考えてなかったね」
「そんならサンドイッチにしたらどうだ」と、おじいさんが言うと、キツネは飛び上がって喜びました。
「わあ、サンドイッチって大好き!」
そういうわけで、4人は調理のためにパンを担いで台所に戻り、おばあさんはシチュー作りを開始し、おじいさんはサンドイッチ作りを始めました。タヌキはおばあさんのエプロンの裾を押さえる係、キツネはおじいさんを応援する係になりました。
「おばあさん、どんなシチューを作るの?」
両手でエプロンを押さえながら、タヌキが聞きました。
「クリームシチューが定番だけど、私はクラムチャウダーにするつもりさ。だってあたしはシアトル育ちだからね。シアトルはクラムチャウダーが有名なのさ」
「へえ~。ボクもシアトルに行ってみたいなあ」
「おじいさん、くりぬいたパンはあっちこっち破けてるけど、これでサンドイッチが作れるの?」
「なあに、心配いらんよ。こういうのはラップで包んで寄せてくっつけて、ちょいと押して、ラップサンドにしちまえばいんだ。ほらできた」
「わあ、なんだか可愛くなったね」
そうして、4人は「完成~!」と同時に声を上げました。
みんなでクラムチャウダー入りのパンをよっこいせと大皿に乗せて、ラップサンドはそれより小さめの皿に並べ、お気に入りのカップを出して、紅茶を淹れました。さあ待ちに待ったお食事タイムです。
「この料理はキツネとタヌキが手伝ってくれたからねえ、これは「キツネとタヌキのお手伝いパンのご馳走」ってところだね」
みんなの注目を集める中、おばあさんがパンにナイフを入れると、中からクラムチャウダーがあふれ出て、あさり出汁とクリームの良い匂いが湯気とともにほわんと立ち上りました。パンの小麦の香ばしいにおいと一緒になって、食欲をそそります。あまりに美味しそうなものだから、キツネもタヌキも思わず椅子の上に立ってピョンピョン跳ねてしまいました。
おばあさんはパンとクラムチャウダーをそれぞれに取り分けてやり、「さあ、いただきましょう」と言いました。
「いただきまーす。もぐもぐ。わあ、黒いパンは香ばしくて、白いパンはふわふわかりかりで美味しいねえ」と、キツネが言いました。
「クラムチャウダーもクリーミーでとっても美味しいよ! パンと一緒に食べるともっと美味しいね」と、タヌキが言いました。
「シアトル時代を思い出すわ……。懐かしいねえ」
おばあさんは遠い目をしました。
「ジョーとエリスは元気にしとるんかの……」
おじいさんもしみじみしました。
続いて、ラップサンドです。おじいさんが、みんなの皿にラップサンドを取り分けました。赤いリボンで包みの口をとめているのはからしバター入りなので、おじいさんとおばあさん用。青いリボンのラップサンドはキツネとタヌキ用です。
薄く伸ばした2色のパンで、トマトとキュウリ、細切りのニンジン、レタスにハムとチーズを包んでくるくると巻いたラップサンドは、まるでお誕生日会で使うクラッカーのようでした。
「美味しいし可愛いね」
「いくらでも食べられるね」
キツネとタヌキが大絶賛していたら、おばあさんが小さく呻きました。顔を真っ赤にして涙をこぼしているではありませんか。キツネとタヌキは慌てて子ども用の椅子からおりて、おばあさんに駈け寄りました。
「どうしたの?」
「おなか痛いの?」
「違うんだよ、ちょっと昔のことを思い出しただけさ。心配かけて済まないねえ」
おばあさんは2匹を抱きしめて、鼻をすすりました。
「ふふ、わしとおばあさんが初めてデートしたとき、わしはラップサンドを作っていったんじゃよ」
「これ、おじいさん、余計なことを言うんじゃないよ!」
おばあさんは慌てて止めようとしますが、おじいさんはむしろ楽しそうに話を続けました。
「あのとき、おばあさんはえらく感動して、いくらでも食べられるっていってたくさん食べてくれたんじゃ。それがきっかけで交際が始まってのう」
「私はそんなこと忘れちまったね」
「そうかい。あれはテキサスでのダンスバトルの後のことで、息抜きに二人で公園に出かけたんじゃったなあ。あの頃のみんなは元気にしているんじゃろうか。懐かしいのお」
おばあさんはまた涙をこぼしました。でも、どうしたことか口元には微笑みを浮かべていました。
「あの頃は本当に幸せだったよ」とおばあさんが言うと、「わしは今も幸せじゃよ」とおじいさんは言いました。おばあさんは静かに頷き返しました。
キツネとタヌキは、何も心配しなくてよさそうだとわかって、にっこりしました。
おばあさんは涙をぬぐい、肩をすくめました。
「限界集落に移住するだなんておじいさんが言い出したときは、ほんとうにどうかしていると思ったんだけどね」
「移住して良かっただろう」
「どうだかねえ。病院やスーパーまで遠いし、上下水道が整備されてないから不便だし、人付き合いも面倒だし」
おばあさんは、キツネとタヌキのつぶらな瞳を見て、
「でも、まあ、悪いことばかりでもないかもしれないね」と言って、また涙をぬぐいました。
<おしまい>
高齢夫婦、キツネとタヌキと一緒にパンを焼く in 限界集落 ゴオルド @hasupalen
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